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黒猫勇者と怠惰の宰相 〜引きこもりの俺、安眠のためにリモートワークで異世界を改革する〜 膝の上の愛猫が最強勇者であることを俺は知らない  作者: 香箱
第四章:怠惰の共生

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第87話:境界線の消える街

フェルゼン領主邸、執務室  


 デスクに積まれた書類の山を片付けていたグスタフは、扉を叩くこともなく中へ入ってきた気配に、顔を上げることなく口を開いた。


「……裏門の検問を抜けたっていう報告は一時間前に受けてる。相変わらず自由気ままだな、レオナール」


「はは、ヴォルグのところの連中か。相変わらず耳が早いね、君の領地は」


 金髪を無造作に揺らし、レオナールが親しげな笑みを浮かべてソファに深く腰掛けた。その振る舞いにはどこか自由奔放で、堅苦しい儀礼を何よりも嫌う彼らしい軽やかさがある。


「それで?わざわざこんな辺境まで何の用だ。また面倒な届け出でも持ってきたのか?」


「まさか。遊びに来ただけだよ。今のフェルゼンは放っておいても勝手に面白そうな噂が王都まで流れてくるからね。気になって仕方がないよ」


 レオナールは立ち上がり、窓の外、魔石灯の光が煌々と輝く街並みを眺めた。


「数ヶ月前、新都市を造り始めたって聞いた時は、正気を疑ったけどね。……見てよ、あの光の海を。旧市街を飲み込んで、さらに森の縁まで街が広がっている。王都の連中が何年もかけて議論しているようなインフラの整備を、君はたった数ヶ月で、しかも完璧に成し遂げてしまった」


「……ただ、道理を積み上げただけだ。フェルゼンは辺境領ゆえ、強力な自治権を認められている。王都の法でさえ、この門の前では立ち止まらざるを得ない。ならば、それを最大限に利用して、最も効率の良い街を造る。それだけだ」


 グスタフは淡々と答えた。


「驚いたね。強力な自治権があるからこそできる『実験場』か。……でも、それだけじゃないんじゃない? 街の広場にいたあの男、魔族だろう?

子供たちがその周りで平然と追いかけっこをしてた。あんな光景、王都の人間が見たら卒倒するよ。君、一体どんな魔法を使ったんだい?」


「……魔法じゃない。彼ら「特定魔族」には正式に、広場での露店商売の許可を出した。魔族の料理や工芸品は珍しいからな、住民にも好評だ」


「驚いたね。三年前の戦いを忘れたのか、なんていう反対意見は出なかったのかい?」


「出たさ。だが、徐々にではあるが馴染んでいくだろう。広場の光景がその証拠だ。……結局のところ、差別なんてのはただの『無駄』なんだよ、レオナール」


「無駄?」


 レオナールが短く聞き返すと、グスタフはデスクの上のペンを置き、椅子を回して正面から彼を見据えた。


「能力がある奴を、肌の色や種族が違うっていうだけで追い出す。それは、使える手足を自ら切り落として捨てるのと同じだ。魔族は手先が器用で計算に強い。エルフは魔法の扱いに長けている。そんな貴重な『資産』を、ただの感情で腐らせてどうする?

住民が同じ決まりを守り、同じように利益を得る。それが一番、この街を豊かにする近道なんだよ」


 レオナールはしばらく呆気にとられたようにグスタフを見ていた。やがて、二人の視線が真っ向からぶつかる。二人は、深く澄んだ、同じ色の「青い瞳」で見つめ合った。


 レオナールはしばらくそうしたあと、噴き出すように笑った。


「ははっ、近道、か! 君、いつからそんな商売人みたいなことを言うようになったんだ?

前はもっと、『騎士の誇りにかけて不当な扱いは許さん』なんて、熱っぽく語っていただろう」


「……誇りじゃ腹は膨れない。だが、道理に適ったやり方は街を豊かにする。結果として、誰もが飢えずに済むなら、そっちの方がよっぽど誇らしいと思わないか?」


「……正論だね。いや、正論すぎて少し怖いよ。ねぇグスタフ、これ、君一人の知恵じゃないんだろう?」


 グスタフの眉がわずかに動くのを、レオナールは見逃さなかった。


「僕が思うには、君にこの『道理』を教えた誰かがいるんじゃないかな。……僕もあちこち見て回ったけど、今のフェルゼンには、明らかにこれまでの常識とは違う『何か』が混ざっている。……そろそろこの魔法の理を教えてくれてもいいんじゃない?」


「……何の話だ」


「しらばくれちゃって。まぁいいさ。君がその『知恵者』を隠したいなら、今はまだ追及しないよ。でも、僕もこの面白い変化は楽しんで見ているよ。……たとえそれが、王都からの監視役としてであってもね」


 レオナールは自嘲気味に肩をすくめ、再びソファに背を預けた。自由を愛し、新しいものを求める彼にとって、フェルゼンの変貌はあまりにも魅力的で眩しすぎた。


「君が作ろうとしているこの『新しい当たり前』、僕は嫌いじゃない。王都の連中は古臭い、凝り固まったしきたりに縛られてるからね。君のやっていることは、彼らにとっては劇薬だろうけど」


「……王都がどう言おうと、フェルゼンの主は俺だ。この街が富み、住民が笑うなら、それが唯一の正解だ」


 グスタフの言葉には、確固たる重みがあった。レオナールはその背中を見つめ、どこか満足そうに目を細める。


「わかってるよ。……さて、明日は噂のカジノでも覗いてみようかな。君の言う『道理』とやらが、どれほどのものか確かめさせてもらうよ。」


「ああ、好きにしろ。ただし、負けすぎて王都に泣きつくなよ」


「言ったね。僕の豪運を舐めないでほしいな」


 軽やかな足取りで部屋を去っていくレオナールを見送り、グスタフは独り、深い溜息をついた。


 グスタフは、レオナールが座っていたソファに視線を落とし、それから再びデスクの書類に向き直った。差別という不合理な壁を取り払い、種族という分け隔てを個人の個性の違いとして片付ける。


 血筋や家柄、王都の古い権威が何よりも重んじられるこの世界で、ただの一人の人間として等しく評価される場所を作る。それが、このフェルゼンを守るグスタフが、ゼクトという異端の知恵を借りて到達した唯一の答えだった。

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