第86話:同種という名のシステム定義
数日後、リビングの大型モニターに、フェルゼンの人口統計データと、「ペイント」ソフトで自作した図解を映し出しながら、俺は隣でメモを取るグスタフに問いかけた。
「……なぁ、グスタフ。なんで人間とエルフ、それに魔族が『別の生き物』だと思ってるんだ?」
俺の唐突な質問に、グスタフは筆を止め、不思議そうに顔を上げた。
「……え? それは、見た目も違いますし、魔力の適性も違います。……そもそも、種としての成り立ちが違うと教えられてきました。我々は人間、彼らは亜人、あるいは魔族……と」
「なるほどね。……でもさ、システム的に見れば、それって致命的な『定義ミス』なんだよ。その間違ったフォルダ分けが、差別っていうバグを生んでる」
俺は「怠惰の玉座」に深く腰掛け、手元のスマホを操作して、ある比較図をモニターに表示させた。
「いいかい。俺のいた世界には、生き物を分類する明確なルールがある。……それは『交配して、生殖能力のある子を残せるかどうか』だ。これを生物学的種概念って言うんだけどさ」
「……コウハイ、ですか? つまり、子が成せるかどうか、と」
「そう。例えば、馬とロバがいる。この二つを掛け合わせると『ラバ』という子が生まれるんだ。……でも、ラバには基本的に子供が作れない。ウマは染色体……設計図のグリッドが六十四本、ロバは六十二本。その中間の六十三本という奇数で生まれてくるラバは、設計図のグリッドの数が合わなくて、次のコピー……つまり生殖細胞が作れないんだよ」
俺は画面を切り替え、今度は人間とサルの比較図を出した。
「もっと遠い種、例えば人間とチンパンジーなんてのは、受精すらしない。設計図のフォーマットが根本から違うんだよ。違うハードの部品を無理やり繋げようとしても、動かない。それと同じで、命が発生しないんだ」
(まあ、俺の世界じゃ倫理的にも法律的にもアウト中のアウトだしな。そういえば、大昔に『オリバー君』っていうのが猿人疑惑で話題になってたってのをネットで見た記憶があるけど、とんでもない時代のブラック歴史だよな)
グスタフは、俺の出す未知の用語に圧倒されながらも、必死に理解しようと食らいついてくる。
「……ですがゼクトさん。エリシュアは人間とエルフのハーフですし、アルゴは人間と魔族のハーフです。彼らは現に、ここに存在していますが……」
「そこなんだよ。エリシュアやアルゴさんは、ラバとは違う。彼ら……ハーフと呼ばれる人たちから、さらに次の世代の子供が生まれることは、この世界でも普通にあるんだろう?」
「はい。……ハーフの方々が家庭を築き、子を成した例はいくつも記録にあります。私の遠い親戚にも、エルフの血が入っている者がおりますし」
「だったら、結論は一つだ。……人間も、エルフも、魔族も。生物学上は、すべて同じ『人』っていう一種に過ぎないんだよ。ラバのような不完全なエラーでもなければ、サルと人間のような互換性ゼロの別種でもない」
俺がさらりと言うと、グスタフは雷に打たれたような顔をして固まった。
「な、何を仰るのですか……! それでは、我々が何百年も続けてきた争いや、種族を分ける法は、一体……」
「ただの『個体差』を『種の差』だと勘違いして、勝手にデータベースを分割してただけだね。……いいか、グスタフ。子供が作れて、その子がさらに子供を作れる。……それは遺伝情報の互換性が、ほぼ百パーセント維持されてるってことなんだ。中身のコードは完全に同一。ただ、能力のパラメーターが少し違ったり、外装の色指定が違うだけのマイナーアップデートに過ぎないよ」
俺はコーラを一口飲み、喉を鳴らした。
「エルフは『魔力保有量にパラメーターを振ったモデル』。魔族は『演算能力と器用さに振ったモデル』。……それだけの話なんだよ。交配が可能で、次世代が繋がる以上、本質的なプログラムコードは同じなんだ。……グスタフ、あんたは髪の色が違う人間を、別の生き物だと定義するかい?」
「……まさか。そんなことは……」
「差別っていうのは、『自分たちとは違う種族だから』という、間違った前提の上に構築された巨大なジャンクコードなんだよ。……エリシュアやアルゴさんが存在し、その血が次代に繋がってゆくこと自体が、この世界が『一つの種』で構成されていることの、何よりの証明さ。それを否定するのは、目の前にある仕様書を無視するのと同じだよ」
グスタフは、何かを自分の中で懸命に処理するように、何度も頷いていた。その瞳には、今まで抱えていた「種族間の確執」という重荷が、論理によって解体されていくような安堵の色が見えた。
「……腑に落ちました。ゼクトさん、あなたの言葉は常に、霧の中にあった世界の輪郭を鮮明にしてくれます。……『種族』ではなく『住民』。血の色の違いを競うのではなく、同じ設計図を持つ同胞として管理する。これこそが、フェルゼンが進むべき最適解なのですね」
感極まった様子のグスタフは、椅子から立ち上がると、深く一礼した。その真剣すぎる眼差しに、俺はいたたまれなくなって視線を逸らす。
「……あー、理屈が通ればそれでいいんだ。とにかく、行政のデータベースを統合して、無駄な選別コストを削ってくれればさ。……ほら、早く行かないと役所の連中も動き出せないだろ?」
「はい! 直ちに『種族平等居住法』の草案を修正して参ります! 失礼いたします!」
弾かれたようにリビングを飛び出していくグスタフの背中を見送り、俺は深く息を吐き出した。
「……ふぅ。ったく、あんなにやる気出されると、こっちまで疲れるよ」
静かになった部屋で、たまがのんびりと鼻を鳴らす。
「ナォ(……あそこまで迷いの晴れた顔をされたら、もう誰も彼を止められないわね)」
俺はたまの頭を軽く撫で、温まったコーラのグラスをサイドテーブルに置いた。
人、エルフ、魔族。同じ「人間」という一つのディレクトリに放り込んでしまえば、処理は格段に軽くなる。
さて、余計な演算が消えたところで、俺は本来の予定通り、無為な時間の浪費という最も重要なプロセスに戻るとしよう。




