第85話:ハイブリッドのオペレーター
翌朝、俺はようやく怠惰の玉座にログインして、たまのブラッシングというデイリークエストをこなしていた。
「ゼクト様! お申し付けの不審者、ただいま捕縛して参りました!」
バルトスが、いつにも増して誇らしげな、鋼鉄の意志を感じさせる声でリビングに足を踏み入れてきた。その後ろには、ヴォルグとグスタフ、そして――後ろ手に縄でぐるぐる巻きにされた、あの魔族の男がいた。
「…………」
俺は手に持っていたブラシを止めた。
……確かに、昨夜俺は「捕獲して」と言った。だが、その前に「穏やかに」という形容詞を付け加えたはずだ。目の前の光景は、どう見ても「凶悪犯の現行犯逮捕」のそれである。
「……バルトスさん。あー、縄はいらないから。ほどいてあげて」
俺が溜め息混じりに告げると、バルトスは驚いたように目を見開いた。
「しかしゼクト様! この者は魔族であり、なおかつカジノで不正を働いていた疑いのある危険人物……」
(『穏やかに』って言ったのに……。『捕獲』っていう命令系統のキーワードに引っ張られすぎだよ。あんたの脳内辞書に『任意同行』って言葉はないのか)
「いいから。……ヴォルグ、グスタフ。お疲れ」
ヴォルグが肩をすくめて、ナイフで鮮やかに縄を切る。自由になった男は、手首をさすりながら、静かに俺を見上げた。映像で見るよりも、その瞳は深く、理性的だった。
「……驚きました。フェルゼンの主が、これほどまでにお若い方だとは。それに、この妙な装束……失礼、少し混乱しております」
男は居ずまいを正し、深く頭を下げた。
「私はアルゴと申します。……捕縛された理由には心当たりがありますが、私に弁明の機会をいただけるのでしょうか」
その話し方は、驚くほど丁寧で、理路整然としていた。
「座って、アルゴさん。……聞きたいのはカジノのことだ。細かい仕組みは省くけどさ、あんた、こうやって数字を積み上げてたんだろ?
二から六が出たらプラス一、十以上が出たらマイナス一。そんな感じで勝負どころを探ってたんだろう?」
俺がさらりと種明かしをすると、アルゴの眉が僅かに動いた。
「……驚きました。私の思考のプロセスを、これほど正確に言い当てられるとは。ですが……」
アルゴは少しだけ申し訳なさそうに、眼鏡を直す仕草をした。
「私が用いていたのは、もう少し複雑なものです。……二、七はプラス〇・五。三、四、六はプラス一。五はプラス一・五。そして十以上はマイナス一。エースはマイナス〇・七。……常に合計値を〇に収束させ、山の偏りをより精密に算出する……最初は貴方のおっしゃるような方法でしたが、何度かカジノに赴くうちに、自然とそういうやり方に変わっていきました」
「………………は?」
俺の思考が、一瞬フリーズした。
(ウォン・ハルヴ……だと?カウンティングの中でも最高難易度と言われる、人間が実戦で使うには限界があるって言われてる計算式だぞ。それを、この魔法なんていうチートがある世界で、自力で……一人で編み出したっていうのか……?)
俺の脳内で、天才たちの名前が駆け巡る。数学の悪魔ジョン・フォン・ノイマンか?それともカードカウンティングの父エドワード・ソープか?いや、目の前にいるのは「異世界のアルゴリズムの化け物」だ。
(こいつ……本物の超天才じゃねーか! CPUのクロック数が桁違いだぞ。冷却ファンが回ってないのが不思議なレベルだ)
「ミャオン(……あんた、また変な顔して。口が開いてるわよ)」
たまの鳴き声で、俺はようやく再起動した。
「……アルゴさん。あんた、それだけの頭脳があれば、魔族領に戻っても高官にでもなれるだろう。なんでろくな仕事もないのに、差別だらけのフェルゼンに残ってるんだ?」
俺の問いに、アルゴは自嘲気味に、だが穏やかに微笑んだ。
「……魔族領でも、フェルゼンでも、私にとっては同じことなのです」
「同じ?」
「私は、魔族と人間の間に生まれたハーフ……いわゆる混血なのです。魔族領に行けば『人間の血が混じった不浄な者』として扱われ、人間領では『不気味な魔族』として忌み嫌われる。……どこへ行っても、私はシステムの外側……いえ、居場所のない異分子なのです」
アルゴの言葉に、隣で聞いていたグスタフが痛ましげに表情を歪め、ヴォルグは苦い煙草を吸うような顔をした。
「能力があっても、ガワのデザインが気に入られないだけで、ログインすら拒否されるってわけか……」
俺はコーラを一口飲み、ゲップを噛み殺した。
「アルゴさん。俺は効率が悪いことが大嫌いなんだ。あんたみたいな高性能なリソースが、カジノの片隅でくすぶってるなんて、この街にとって致命的なバグだよ」
「リ……リソース?ですか?」
「そう。差別なんていう低レベルなエラーに構ってる暇はない。……アルゴさん、あんた、仕事がほしくないかい?カジノの必勝法を考え出す側から、この街の経済システムを加速させる側に……つまり領主様に仕えてみないか?」
アルゴが、初めて目を見開いて俺を見た。その瞳に、計算では導き出せない「驚愕」というノイズが走る。
俺は、怠惰の玉座から不敵に笑ってやった。
「なに、やることは簡単だ。俺が寝てる間に、この街をより効率的にアップデートしてくれればいい。……とりあえず、そのボロボロの服を脱いで、まともな服に着替えよう。予算なら領主様が出してくれるからさ」
「承知しました、ゼクトさん!」
グスタフが、まるで自分のことのように嬉しそうに声を上げた。
こうして、フェルゼンというOSに、最強の「演算子」が組み込まれた。
俺の引きこもりライフは、これでまた一歩、完成に近づいたはずだ。




