第78話:古き友への宣戦布告
エルフの里エルン、中央広場。
かつての美しさを失い、腐敗の臭いと絶望が淀む沈黙の空間に、一人の男の峻烈な声が響き渡った。
「……認められん。断じて認められんぞ、エリシュア!」
白銀の髪を後ろに束ね、エルフ特有の鋭い耳と、戦士としての鍛え上げられた肉体を持つ男。エリシュアの父であり、里の長である守護官を務めるデュランだ。
彼の足元には、エリシュアが広げた「アリの調査資料」と「アンツ・ハイウェイ」の設計図が、冷たく打ち捨てられていた。
「アリなどという卑俗な虫を、精霊の樹に這わせるだと? それが、お前が人間の街で学んできた『知恵』か! 誇り高きエルフの森を、薄汚い土着の迷信で汚すつもりか!」
「お父様! これは迷信ではありませんわ! ゼクト様が導き出した、確かな解決策ですの!」
「黙れ! その『ゼクト』とやらが何者かは知らんが、森を救うのは精霊の祈りと、我らエルフの誇りだけだ。泥にまみれて虫を数えるのが、お前の魔法か! 恥を知れ!」
デュランの言葉は、周囲で絶望に沈んでいたエルフの長老たちの心にも、冷たい拒絶として伝播していく。エリシュアは唇を噛み締め、悔しさに肩を震わせた。彼女がこの数日間、どんな思いで泥を這い、虫を観察してきたか。それを、一言の「不浄」で切り捨てられることの理不尽。
その時。
――カシャ、カシャ。
規則正しく、そして重厚な足音が、石畳を叩いた。
エリシュアの背後から、一人の男が前に出る。
「……相変わらずだな、デュラン。……二十年経っても、お前のその『高潔さ』という名の盲目は、少しも治っていないらしい」
デュランの眉が、ピクリと動いた。彼は、目の前に立つフェルゼンの騎士団長を、氷のような視線で射抜いた。
「……バルトスか。フェルゼンの猟犬が、何の用だ。ここは貴様の来る場所ではない」
「聖域だと? 笑わせるな」
バルトスは、デュランの鼻先まで歩み寄った。
「お前の言う『聖域』とは、果実が腐り、樹々が悲鳴を上げ、民が飢えに震える場所のことか? 誇りを守るために、森が死ぬのをただ見届ける。それが、お前の学んだ『守護』の定義か!」
「貴様に、我が森の何が分かる! 祈りが届かぬのは、我らの信仰が足りぬからだ……」
「信仰でバグが直るなら、俺も一緒に祈ってやるよ!」
バルトスの咆哮が、広場を震わせた。その言葉は、ゼクトがかつて吐き捨てた、乾いた合理主義の言葉だった。
「デュラン! お前がその『誇り』という名の古い殻に閉じこもっている間に、お前の娘は、泥を這い、虫に刺され、己の魔法を否定される屈辱に耐えながら、真実を拾い集めてきたのだ! 目を開けろ、この臆病者め!」
バルトスは、懐から取り出したプラスチックコップ――泥に汚れ、中にはアリと芋虫が蠢いているそれ――を、デュランの目の前に突きつけた。
「見ろ! この小さな生命体が、お前の祈りよりも遥かに速く、残酷に、森を食らう『敵』を排除している! これが現実だ! これが、フェルゼンの主が導き出した、最短の解決策だ!」
「…………っ」
「デュラン。……あのアリステッドを覚えているか。彼は戦場で誇りを守るために退却を拒み、部下全員を死なせた。今の貴様は、あの時、俺たちが唾を吐きかけた愚か者と、何が違う!」
デュランの顔から、急速に色が失われていった。
バルトスは、一瞬だけ表情を和らげ、隣に立つエリシュアの肩に手を置いた。
「……父として、この娘の戦果を、正しく検収してやれ」
広場に、長い、長い沈黙が流れた。
やがて、デュランはゆっくりと、震える手で、エリシュアが持ち帰ったコップを受け取った。
「……エリシュア。……よくやってくれた」
その一言で、里を縛り付けていた「不浄」という名の呪縛が、音を立てて崩れ去った。
***
「……へぇ。エリシュアの親父さんと、バルトスさんが同期?」
俺はグスタフから手渡された古い名簿の写しを眺めた。
「はい。エリシュアの父、デュラン閣下は、かつて王都の騎士養成所にエルフの里から留学されておりました。そこで、若き日のバルトスと席を並べていたのです」
グスタフは穏やかに、かつての学舎の様子を語り始めた。
「二人は当時、成績を競い合うライバルだったと聞いております。バルトスが泥臭い実戦派、デュラン閣下が華麗な理想主義派。……しかしお互いを認め合う、仲間としての付き合いだったそうです」
「……なるほどな。道理でバルトスさん、今回の任務を割り振った時に妙に張り切ってたわけだ」
俺はコーラを一口飲み、背もたれに深く体重を預けた。
旧友。ライバル。
誇り高いエルフに対し、それを一番よく知る同期が、現実を突きつけに行く。
(……ドラマチックすぎて、俺の怠惰な生活には胃もたれする設定だよ。……でも、まぁいいか。バルトスさんがデュランさんの脆弱性を一番よく知っているなら、導入コストは最小限で済むってことだ)
「……で、グスタフ。里の方はどうなりそうなんだ。あのアリ作戦、上手くいくと思うか?」
「……あの方たちが共に動くのであれば、失敗はあり得ないでしょう。デュラン閣下は頑固ですが、一度納得すれば誰よりも献身的に尽くす男です。バルトスがそれを引き出したのなら、あとは紐を張るだけの作業になります」
グスタフが確信を持って頷く。
「……そうか。なら、俺のやることはもう無いな」
現場の真実は、現場の人間にしか動かせない。俺ができるのは、最適解という名の「ソースコード」を渡し、それを実行できる適切な「権限者」をアサインすることだけだ。
「ナオン(……あんた、自分は一歩も動かずに、一番おいしいところを他人にやらせたわね)」
『旧友による排他制御解除パッチ』。インストール、開始。
遠い森の奥で、無数の精霊の使徒たちが、新しい高速道路を走り始めるのを、俺は夢の中で願うことにした。




