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黒猫勇者と怠惰の宰相 〜引きこもりの俺、安眠のためにリモートワークで異世界を改革する〜 膝の上の愛猫が最強勇者であることを俺は知らない  作者: 香箱
第四章:怠惰の共生

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第77話:最適化されたネットワーク・インフラの構築

 リビングの空気は、エアコンの微風とは違う「熱」を帯びていた。

 ソファに浅く腰掛けたエリシュアと、その隣で背筋を伸ばしたままのバルトスはカメラを注視している。泥の臭いと、焦げ付くような陽光に晒された肌の匂い。彼らが持ち帰ったのは、単なるカメラの中のデータではない。死にゆく森の「最前線の記録」だ。


「……ゼクト様。……わたくし、見ましたわ。あの小さなアリたちが、里の希望になる瞬間を」


 エリシュアが、掠れた声で呟く。彼女の指先には、まだ泥が薄く残っている。

 俺は何も言わず、彼女から預かったデジカメをスマホに接続した。


 ――ピロリン。


 ロード完了の電子音と共に画像がモニターに展開される。

 俺は手元の画面を高速スワイプさせ、彼女たちが命懸けで抽出してきた生データを網膜に焼き付けていった。


(……なるほど。これがバグの正体か。想像以上に深刻だな)


 拡大されたモニターに映し出されるのは、果実の茎に潜り込み、内側から維管束を断ち切る寄生虫の群れ。そして、それに対抗し、一片の慈悲もなく顎を食い込ませる赤茶色のアリの姿だ。


「よし、サンプリングは完璧だ。……エリシュア、バルトスさん。二人の仕事は、九十九点。……あとの一点は、俺が埋める」


 俺の言葉に、エリシュアが顔を上げた。その瞳には、かつての虚栄心ではなく、一つのプロジェクトを完遂させようとするエンジニアのような光が宿っていた。


「……何をするのですか? ゼクト様。アリを増やす魔法でも、使うのですか?」


「いや、魔法は使わない。……足りないのは数じゃないんだ。ネットワークの『帯域』だよ」


「……タイイキ?」


 俺は、モニターの端に別のウィンドウを開き、簡単な図面を引き始めた。


「いいかい。アリは有能なパトロール兵だ。でも、今のエルンの森は、アリという軍隊にとっては道が複雑すぎて、兵士が前線(果樹園)に到着するまでに時間がかかりすぎている。……結果として、害虫の増殖スピードに、排除が追いついていないんだよね」


 俺は、樹と樹の間を指でなぞる。


「アリたちが地上を歩いて移動すれば、敵に遭遇するまでに何時間もかかる。……だから、専用の『光回線』を敷いてやるんだ」


「……光の、回線……?」


「物理的な紐だよ。丈夫な麻紐や、粘り気のない蔦でもいい。それを、アリの巣がある樹と、被害が出ている樹の間に、最短距離で繋いでやるんだ。……これを『アンツ・ハイウェイ』と言う」


 俺は検索結果から、実際にアリが紐の上を高速で移動する動画を表示した。


「障害物のない紐の上なら、アリの移動速度は数倍に跳ね上がる。さらに、情報の伝達スピードも上がるんだ。一匹が敵を見つけたら、すぐにフェロモンという信号を飛ばし、ハイウェイを通って本拠地から援軍が即座に到着する」


 エリシュアは、モニターの中の光景を吸い込まれるように見つめていた。


「……形そのもので、意志を、速度を、変える……」


「そう。これが『環境による最適化』だ。……さらに、もう一つ解決しなきゃいけないバグがある」


 俺は、一度画面を暗転させ、深刻な顔で続けた。


「……UI、ユーザーインターフェースの問題だ」


「……ゆー、あい?」


「里のエルフたちのことだよ。……エリシュア、お前の里の連中は、アリをどう思ってる?」


 エリシュアは顔をしかめた。

「……不浄な、汚らしい虫ですわ。精霊の宿る樹を汚す、忌むべき存在だと……わたくしも、最初はそう思っていましたもの」


「それだよ。せっかく俺たちが最強の防衛プログラムであるアリをインストールしようとしても、ユーザーがそれを『ウイルス』だと思って勝手に削除してしまったら、全部台無しだ」


 これこそが、技術導入における最大の障壁。人の感情という名のレガシー・コンフリクトだ。


「だから、リブランディング……つまり、名前の付け替えを行う。……いいかい、今日からそのアリは、アリじゃない。……森を守護する、見えざる精霊の使徒『フォレスト・ガード』だ」


「……精霊の、使徒……?」


「そう。アリが巣を作るために葉を綴じる行動を『精霊の繭』と呼ぶ。アリが害虫を食べる姿は『穢れの浄化』だ。……エルフたちが理解できる言葉に、全ての現象を翻訳してやるんだ。……幸い、お前には写真という証拠がある。バルトスさんには騎士としての説得力がある」


 俺は、グスタフに視線を送った。

「グスタフ。フェルゼンからの公式な『森の守護プログラム』として、このプロジェクトを里に送って。……これは、ただの農作業じゃない。フェルゼンとエルフの里を結ぶ、共同の『セキュリティ・アップデート』なんだ」


 グスタフは、感嘆したように深く息をつき、椅子から立ち上がった。


「……承知いたしました、ゼクトさん。アリの習性を、さらには人々の信仰心をシステムの一部として組み込みます」


「……さて、方針は決まった」


 俺は椅子に深く背を預け、たまの喉を撫でた。


「エリシュア、バルトスさん。……悪いけど、もう一往復してもらうよ。今度はテスターじゃない。……『システムエンジニア』として、アリのハイウェイを敷き、里の連中に新しい規律をインストールしてきて」


 エリシュアは、もう一度、自分の汚れた手を見た。

 そして、ふっと、これまで見たことのない、静かで誇り高い笑みを浮かべた。


「……喜んで。……わたくしの里ですもの。最高の仕事を、わたくしの手で達成してご覧に入れますわ」


「バルトス、参ります! 紐一本、一寸の弛みもなく張り巡らせてみせましょう!」


 二人は、再び立ち上がった。

 その顔に、もう「泥まみれの受難」への恐怖はなかった。自分たちが、世界の理を書き換える一部であるという、確固たる誇りが、彼らを支えていた。


「ナオン(……一段落ついたようね)」


「……俺は、早くこの問題を終わらせて、静かに昼寝がしたいだけなんだから」


 夕闇の迫るフェルゼン。

 新しいインフラの図面を抱え、二人のエンジニアが再び森へと旅立っていった。


 エルンの森が「再起動」するまで、あと、一息。

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