第74話:バグの正体、そして生物的パッチの提案
窓の外が白み始めた頃、俺は書斎の椅子で深く息を吐いた。
画面には、ネットで見つけた『ツムギアリ』の驚異的な防衛能力を示すデータが並んでいる。高い攻撃性、二十四時間の哨戒任務、外敵の徹底排除。エルフの里を救うパッチとしては、これ以上ないスペックだ。
(……理屈は通った。でも、肝心の『環境』がわからないんだよね)
エルフの里に、このスペックを満たすアリが実際に生息しているのか。現在の森の生態系バランスはどうなっているのか。肝心の「生データ」が圧倒的に足りない。
(答えは見つかったけど、環境への適合テストが必要だよな。……よし。あの二人を『テスター』として再利用しよう)
俺は翻訳プリンタを走らせ、次のフェーズへの「仕様書」を書き上げることにした。
***
翌朝。
リビングに集まったグスタフ、エリシュア、バルトスの三人は、一晩で少しは気力が回復したようだったが、その表情にはまだ「里が死に向かっている」という重い影がへばりついていた。
俺は『怠惰の玉座』から立ち上がり、モニターの画角を三人が一番見やすいであろう角度に調整した。
「……おはよう。とりあえず、分かったことから話すよ」
モニターには昨夜、最新型PCをフル稼働させて解析した画像が表示されている。エルフたちが「呪いの始まり」と呼んだ果実。その接写画像だ。
「エリシュア。君たちが『森の呪い』とか『精霊の怒り』って呼んでいたものの正体だけど……おそらく、これだよ」
拡大された果実の付け根を指し示す。そこには、エルフの視覚や探知魔法では見逃されていたであろう、微細な「穿孔」と、白い粉のような付着物が鮮明に映し出されていた。
「これ、は……? 汚れではなくて?」
エリシュアがモニターを覗き込み、目を丸くする。
「ううん。これは虫の卵と、樹液を吸われた痕跡だね。……里を襲っているのは魔導的な事象じゃない。ただの『虫害』……それも、特定の害虫が爆発的に増えたことによるリソースの強奪だよ。おそらくだけれども、可能性は極めて高い」
俺がそう告げると、エリシュアは「虫……それも、小さな虫ですか……」と呟き、深く考え込むようにモニターを見つめた。
やがて、彼女は何かを悟ったように、震える声で言葉を紡ぎ始めた。
「……わたくしの魔法は、『敵意』や『魔力』、あるいは『異常な汚れ』を検知して反応するように組まれていますわ。でも、この虫はただの小さな生命体……森の背景の一部と変わりません。そんな奴らが数億匹単位で、しかも木の内部や葉の裏に潜んでいたら……広域魔法で処理する事はできません……」
エリシュアの瞳に、絶望に替わって、己の魔法というシステムへの深い理解と悔しさが入り混じる。
自らの両手をじっと見つめ、その指先が震えているのを隠そうともせず、やり場のない悔しさを吐き出すように言葉を継いだ。
「……だから、どんなに祈っても、魔力を注いでも、何も変わらなかったのですか……。わたくしたちは、見えない敵と戦っていたのですわね……」
「理屈は整ったね。じゃあ、検証してみよう」
俺がそう言うと、グスタフが身を乗り出してきた。
「ゼクトさん。原因が『虫』であるならば、対策はありますか? 騎士団を派遣して手作業で駆除するには、エルンの森の果樹園は広すぎますが……」
グスタフが切実な表情で問いかける。
「手作業なんて無理だよ。だから、これを使おうと思って」
俺は画面を切り替え、ネットの海から釣り上げた「アリによる防除」の資料を表示した。
「アリ……ですか?」
「そう、アリ。……いいかい、害虫が数億匹いるなら、こっちも数億匹の守護者を雇えばいいんだ。樹の上に巣を作って、四六時中パトロールして、外敵を見つけたら片っ端から排除する……ツムギアリっていう、最強の自動防衛プログラムだよ」
俺は、アフリカのカカオ農園や、かつての中国で行われていたアリ農法の話を、彼らにもわかる言葉で噛み砕いて話した。
巣を置くだけで農薬のいらない環境が構築される。
その「自然の摂理をハックする」という発想に、三人の目に希望の光が灯った。
「素晴らしい! さすがはゼクト様! アリを使い魔のようにして森を守らせるのですね! それならすぐにでも里の者に伝えて――」
「待って。まだ喜んじゃいけないよ」
俺は、浮き足立ちかけたエリシュアをフラットな声で制した。
「理屈は通ってるけど、これはあくまでよその成功例だ。このエルンの森に、同じスペックのアリが実際にいるのか。もしいたとして、今の害虫との戦力差はどうなのか。……それがわからない限り、ただアリを放しても、別の生態系バグ(外来種問題)を起こすだけだよ」
希望で輝いていたエリシュアの瞳が、少しだけ冷静さを取り戻す。
「……まずは、里の現状をスキャン……精査する必要があるんだ。どの階層にどんなアリがいて、誰が一番強い殺し屋なのか。その生データを拾ってこないことには、仕様書は書けないんだよね」
「生データ……。つまり、調査が必要ということですね」
グスタフが深く頷く。
「そう。だからエリシュア、もう一度里に戻って、泥にまみれてきてほしいんだ。魔法使いとしてじゃなく、森の真実を見極める『テスター』としてね」
エリシュアは、一瞬だけ自分の綺麗な指先を見たが、すぐに強く拳を握りしめた。
「……承知いたしましたわ、ゼクト様。わたくしに、その調査とやらを教えてください。……この森を救うための、真実の欠片を、必ず拾い集めてまいります!」
俺は、玉座の横に用意しておいた「調査機材」――プラコップや白い布、網をテーブルに並べた。
「よし。じゃあ、俺の調べた昆虫学に基づいた、効率的な調査手順を教えるよ。……みんな、よく聞いてね」
絶望から仮説へ。そして仮説から検証へ。
フェルゼンの主による、エルフの里の本格的な「デバッグ」が、今はじまる。




