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黒猫勇者と怠惰の宰相 〜引きこもりの俺、安眠のためにリモートワークで異世界を改革する〜 膝の上の愛猫が最強勇者であることを俺は知らない  作者: 香箱
第四章:怠惰の共生

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第73話:全知という名の深海、摩耗する思考リソース

 「世界の全知」が手元にあるということは、救いであると同時に、底なしの泥沼に足を踏み入れることと同義だ。

 

 深夜二時。書斎の空気は最新型PCが吐き出す熱気で僅かに歪み、俺の視界はブルーライトの刺激でチカチカと明滅していた。

 トリプルモニターを埋め尽くすのは、エリシュアが執念で撮り溜めた四千枚を超える「絶望」のサムネイル。それはもはや画像データというより、一つの村が死にゆく過程を記録した、呪いのログファイルのようだった。


「……クソ、目が滑る。情報量が多すぎる(オーバーフローだ)」


 俺は目薬を差し、痛む目頭を指先で強く押さえた。

 ネットには何でもある。だが、その中から「今、目の前にあるバグ」に合致する正解を導き出すには、検索者のリソース――時間、精神、そして読解力をあまりにも削りすぎる。

 

 まずは、バラバラに放り込まれた画像データを、意味のある「構造」に整理することから始めた。

 デジカメにはGPSなんて載っていない。俺は写真の背景に写り込んだ木々の形状、岩の配置、影の伸び方から、里の農地の全体マップを脳内で再構築し、時系列と位置情報を強引に紐付けていく。

 

(栄養不足か、ウイルスか、菌か、それとも土壌のpH値か……)

 

 『果樹 枯死 パターン』で検索すれば、数百万件のヒットが出る。だが、表示されるのは俺のいた世界の常識に基づいた回答ばかりだ。この世界の植物が、地球のどの種に該当するのかすら分からない現状では、その九割がノイズに変わる。

 

「……結局、足跡を探すしかないか」

 

 俺は、エリシュアが「呪いの始まり」とメモを残していた、比較的軽症なエリアの果実写真を選択した。

 拡大、拡大、さらに拡大。

 

 ピクセルが割れ、画像が砂嵐のようになる。

 俺はRAW現像ソフトを立ち上げ、コントラストを調整し、特定の色域を間引き、エッジ(輪郭)を極限まで強調した。最新型PCの演算リソースが、画像の中に隠された「物理的な実体」を掘り起こそうと唸りを上げる。

 

 そして、三時間が経過した頃。

 AIによる超解像処理アップスケーリングが完了し、再構築された鮮明な画像の中に、それはいた。

 

 果実の茎の隙間。エルフの眼や魔法の視覚では「微細な汚れ」にしか見えなかったであろう、数ピクセルの不自然な「影」。

 粘液を纏った微小な卵。そして、植物組織を噛み砕いたような悍ましい「顎」の痕跡。

 

「……呪いじゃない。ただの不正アクセス(害虫)だ」

 

 犯人の「特徴」を特定した俺は、そこからさらに検索の海へと深く潜った。

 ここからはキーワードの総当たり戦だ。

『白い綿 吸汁 果樹』

『穿孔性 蛾 幼虫』

『熱帯雨林 農業 全滅』

 

 表示される農業指導マニュアル、大学の論文、熱帯地方の農家が綴った古いブログ。俺は翻訳プリンタをフル稼働させ、吐き出される情報の山を片っ端から読み倒す。

 

 カカオポッドボーラー(蛾の幼虫による穿孔害)。

 ミリバグ(カイガラムシによる吸汁および病害の誘発)。

 

 複数の要因が重なり合い、里の「防衛ライン」を突破した結果のシステムダウン。それが精霊の怒りという名の、理不尽な絶望の正体だった。

 

「原因はわかった。だが……パッチがない」

 

 農薬を作れ? 里の広さを考えれば、噴霧器すら無いこの世界でそんなものを作るのは非効率の極みだ。一度撒けば、生態系というOSごとクラッシュしかねない。

 

 俺は、さらに深く、全知の深海へと沈んでいった。

 欲しいのは、低コストで、持続可能で、かつ「自律的に敵を排除する」セキュリティ・プログラムだ。

 

 そして――明け方。

 モニターの青白い光の中に、一つの古い文献の引用記事が浮かび上がった。

 

『西暦304年、中国・南方草木状。ツムギアリ(Weaver Ant)を用いた柑橘類の防除』

 

「アリ……だと?」

 

 さらに深掘りする。アフリカのカカオ農園で、現代でも現役で使われている最古にして最新の「生物農薬」。

 樹上に巣を作り、縄張り意識が異常に強く、目の前を通る害虫を片っ端から捕食して回る。二十四時間稼働のパトロール隊。

 

 エルフたちが「ただの羽虫」と見捨て、足蹴にしていたであろう微小な生命体が、実はこの森を救うための「最適化されたコード」だった。


「……これだ」

 

 俺は思わず、乾いた笑い声を漏らした。

 

 ふと気づけば、窓の外は薄明るくなっていた。

 ポテチの袋は開いたままだが、一枚も食べていない。コーラはすっかりぬるくなり、炭酸も抜けていた。

 

「ナァ」

 

 いつの間にか書斎に忍び込んでいたたまが、椅子の足元で呆れたように俺を見上げていた。

 

「……たま。俺、一晩中、アリの生態について調べてたよ。……三十六歳の引きこもりが、異世界でやる仕事じゃねえだろ、これ」

 

 俺は椅子に深く背を預け、凝り固まった首を鳴らした。

 全知のインターネットという深海から、ようやく「一つの真実」を釣り上げた。

 

 だが、本当の苦労はここからだ。

 

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