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黒猫勇者と怠惰の宰相 〜引きこもりの俺、安眠のためにリモートワークで異世界を改革する〜 膝の上の愛猫が最強勇者であることを俺は知らない  作者: 香箱
第四章:怠惰の共生

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第72話:高解像度の絶望

 一週間。

 エリシュアがバルトスを連れてエルフの里へ向かってから、それだけの時間が過ぎた。

 俺は『怠惰の玉座』で、天井でゆったりと回るシーリングファンの一定のリズムに身を任せながら、そろそろ「自撮り画像でストレージをパンパンにしたカメラ」を抱えたエリシュアが、やかましく凱旋してくる頃だろうと踏んでいた。


 だが、現れたのは、俺の予想という名の設計図を無惨に踏みにじる、重く、淀んだ沈黙だった。


 ピンポーン、というチャイム。

 モニターに映ったエリシュアの姿に、俺は思わず眉を潜めた。

 リビングに招き入れた彼女は、いつもなら真っ先に向かうはずの鏡を一瞥もせず、幽霊のような足取りでソファに座り込んだ。


「……ゼクト様……」


 その声には、いつもの華やかさの欠片もなかった。

 服装が乱れているわけではない。だが、彼女を形作っていたあの過剰なまでの自信と光彩が、内側から完全に消し飛ばされている。瞳は焦点が合わず、ただ虚空を彷徨っていた。


「……どうしたんだいエリシュア。バルトスさん、帰りに何かあったの?」


「いえ……。道中の安全は確保されておりました。問題は、エルフの里の状態です」


 バルトスが苦渋に満ちた顔で報告する。その横で、領主の仕事を放り出してきたらしいグスタフが痛ましげにエリシュアの肩に手を置いた。


「ゼクトさん。エルンの森が、死にかけています。……エリシュアの話では、里の主食である果実――『エルン・ポッド』が、原因不明の枯死を続けているそうです。里のエルフたちはこれを『森の呪い』と呼び、精霊に祈りを捧げていますが……事態は悪化する一方だと」


「呪い……ね」


「ゼクトさん。フェルゼンから食糧の緊急援助を出す準備はできています。……ですが、このままではエルンの森というシステムそのものが崩壊する。そうなれば、エルフの里にはどのような影響が出るのかが予想もつきません」


 グスタフが、領主としての冷徹な判断と、親戚としての情が混ざり合った表情で俺を見た。


 俺が言葉を発するより先に、エリシュアが震える手でカメラを差し出してきた。


「……こちら、お返しいたします」


 受け取ったカメラの液晶を点け、俺はプレビュー画面をスクロールした。

 最初の数枚は、いつものエリシュアだった。道中の森を背景に、絶妙な角度で杖を構え、自身の美しさをこれでもかと誇示する写真。だが、ある地点を境に、その傾向は劇的に変化していた。


 エリシュアの姿が、画面から消えたのだ。


 代わりに記録されていたのは、茶色く変色した広大な農地。ひび割れた果実。力なく垂れ下がった葉。それらが、まるで執念をぶつけたかのように、様々な角度から、数千枚という膨大な数で記録されていた。


(……あの自撮り中毒が、自分を撮るのを止めたのか)


 その事実だけで、事態の深刻さが、どんな報告書よりも重く俺の脳にロードされた。


「エリシュア、これは……」


「……ゼクト様、お願い、いたしますわ。わたくしの魔法では、救えませんでした。……植物を活性化させる術式も、土地を浄化する魔導も、すべて試しましたわ。でも、何も、何も変わらないのです……。ゼクト様なら、この記録から、何か……何か分かるのではないかと思い……」


 エリシュアが顔を覆い、静かに項垂れた。

 彼女が信じているのは、俺の「魔法」ではない。この記録機の先にいる、得体の知れない「解析者」としての俺だ。

 リビングに、逃げ場のない沈黙が降り積もる。


「……グスタフ、エリシュアを連れて一旦帰れ」


 俺は、あえて突き放すような冷たい声を出した。


「な……っ!? ゼクト様、何を仰いますか! エリシュア殿はこれほどまでに……!」


「バルトスさん、黙ってて」


 俺はバルトスを制し、カメラをデスクの上に置いた。


「感情論でバグが直るなら、俺も一緒に泣いてやるよ。……でも、今必要なのは祈りでも食糧でもない。原因の特定だ。……お前たちは、家に帰って、泥のように眠れ。……話はそれからだ」


 エリシュアは、濡れた瞳で俺をじっと見つめた。

 やがて、彼女は小さく一度だけ頷き、バルトスに支えられて立ち上がった。


「……お願いいたします。……ゼクト様」


 重い足取りで三人が去っていく。

 リビングに再び、天井でゆっくりと回るシーリングファンの微かな稼動音だけが戻ってきた。


「ナァ(……あんた、ああいう言い方しかできないわけ?)」


 膝の上でたまが、どこか呆れたように、けれど俺の真意を見抜いたような声で鳴いた。


「……ディレクターってのは、現場のパニックを家庭に持ち込まないのが仕事なんだよ。……さて」


 俺は『怠惰の玉座』から這い出し、書斎のコックピット――PCの前へと移動した。

 部屋の照明を落とし、電源を入れる。


 ――シュオォォォ……。


 冷却ファンが静かに唸りを上げ、トリプルモニターが青白い光を放ち、俺を現実から切り離していく。

 俺はカメラからSDカードを取り出し、読み込み口に差し込んだ。


「……さあ、デバッグを始めようか」


 画面に表示された『読み込み中』のバーが伸びていく。

 エルフたちが「呪い」と呼び、エリシュアが「絶望」したその光景。


 その高解像度のデータの裏側に潜む、真犯人の正体。

 それを暴き出すのが、この聖域の主である俺の、唯一にして最大の「仕事」だ。

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