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黒猫勇者と怠惰の宰相 〜引きこもりの俺、安眠のためにリモートワークで異世界を改革する〜 膝の上の愛猫が最強勇者であることを俺は知らない  作者: 香箱
第三章:怠惰の秩序

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番外編:円環の街の記録者

 新都市フェルゼンの朝は、魔導ランプが霧に溶け、白亜の街並みが青白く浮かび上がる幻想的な時間から始まる。その静謐を切り裂くように、重厚な金属音が石畳を激しく叩いた。


「エリシュア殿、そこです! 動かないでください!」


 フェルゼン騎士団長バルトスは、全力疾走の勢いのまま石畳にスライディングした。全身を纏う鎧が火花を散らし、耳を劈くような金属音を奏でる。しかし、彼の両手に握られた『魔導記録機』だけは、微動だにせず地面すれすれの高さで固定されていた。


「……ふふ、よろしいわ。私の美しさが、この街並みと完璧に調和しているはずですわね」


 中心部のラウンドアバウト。その中央に立つエリシュアは、魔法の杖を優雅に掲げ、完璧な角度で静止している。彼女がエルフの里に持ち帰るためのポートフォリオ撮影。それは一分一秒を争う、光との戦いだった。


「……っ! 太陽光が建物の影から抜けました。いまです!」


 バルトスは伏せた状態から、瞬時に左手に携えた大盾を斜め四十五度に傾けた。鏡面のように磨き上げられた盾の表面がレフ板となり、朝日の反射をエリシュアの顎のラインへと集中させる。


 カシャカシャカシャカシャ!!


 凄まじい連写音が響く。バルトスは流れるような動作で立ち上がると、今度は数十メートル後方へ、鎧の重さを感じさせない速さでバックステップを踏んだ。


「エリシュア殿、三歩右へ。背後の噴水の水しぶきを、あえて『玉ボケ』として配置します。魔力感度を最大まで開放。背景の圧縮効果を利用し、貴女の存在感を際立たせます!」


「注文が多いですわね……。でも、いいわ。最高の一枚のためですもの」


 エリシュアが指示通りに動くと、バルトスは今度は隣の建物の壁を垂直に駆け上がり、二階のテラスへと飛び移った。そこから身を乗り出し、極めて不安定な姿勢で機材を構える。


「俯瞰より狙います! 街路の直線を視線誘導として利用し、画面中央の貴女へと収束させる……完璧だ。シャッター速度、固定!」


 バルトスが口にする言葉の意味を、エリシュアは正確には理解していない。

 だが、彼がこの魔法の機械を手に持った瞬間、騎士としての全神経を「光の演算」に注ぎ込み、神懸かり的な構図を次々と叩き出すことは知っていた。誰に教わったわけでもない。彼はただ、記録機の背面モニターに映る世界を、物理法則ごと支配しているかのようだった。


「次はあちらの運河ですわ! 私の髪が水面に反射し、シンメトリーな美しさを描くポイントがあるはずですわよ!」


「承知! では私はあちらの橋の欄干に逆さ吊りになり、水面ギリギリの視点を確保いたします!」


 バルトスは最短距離で運河へと駆けた。

 彼にとっては、魔導記録機のシャッターを切ることも、戦場で剣を振るうことも、本質的には同じ「規律」の遂行なのだ。光の射す角度を読み、被写体の呼吸を捉え、決定的な瞬間を逃さずに切り取る。


「……バルトスさん、街の写真『も』撮るのを忘れないでくださいね。ゼクト様に釘を刺されていますから」


「分かっております。……ほら、エリシュア殿。あそこの排水ポンプの横へ。バルブの真鍮の光沢をアクセントにしつつ、貴女の肌の質感を対比させます。……素晴らしい。機能美と造形美の融合だ!」


 カシャッ。


 もはや何が主役なのか判然としないが、バルトスの瞳には明確な完成図が見えている。

 撮影は、陽が沈み、紫色の黄昏が街を包むまで続いた。


「……終わりましたな、エリシュア殿」


 記録機のメモリを使い果たし、バルトスは静かに、しかし満足げに息を吐いた。

 甲冑は泥と埃にまみれ、盾には何度も光を反射させたことによる熱が残っている。


「ええ。見事でしたわ、バルトスさん。……さあ、帰りましょう。ゼクト様に、この勝利の記録をプリントアウトしてもらわなければなりませんから」


 二人は、数千枚に及ぶデータの塊を携えて、森の家へと歩き出した。

 背後には、彼らが一日中駆け回って写し取った、完璧な秩序を誇る新都市フェルゼンが、静かに夜の帳へと沈んでいった。

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