第61話:再起動と騎士の矜持
ベルフェルドが背後に飾ってあった剣を手に取った。
それを合図に、部屋の隅々に潜んでいた黒装束の暗殺者たちが、一斉に音もなく飛び出してきた。
「……数だけは揃えたみたいね」
私は漆黒の剣を構え、最短の軌道で一番近い男の鳩尾を柄頭で打ち抜く。
男が、声も出せずに膝から崩れ落ちた。続いて横から迫る刃を最小限の動きでかわし、手首を返して相手の腕を突く。武器が床に転がる乾いた音が響く。
(……面倒くさい。あなたたちの動きは全部丸見えなのよ)
振り返ると戦場は混戦に突入していた。カイルが盾で敵を押し返し、リンが魔法の衝撃波で敵の足並みを乱す。ヴォルグはヴォルグで、旧知の仲間だったはずの連中を排除していた。
だが、一人だけ、明らかに「挙動がおかしい」男がいた。
「……待たれよ。この角度からの刺突に対し、私の回避行動がもたらす『最適解』は……。いや、相手が複数である以上、ナッシュ均衡を維持するには……」
バルトスだ。
彼は剣を構えたまま、四方から囲んでいる敵を前にして、ぶつぶつと何かを呟きながら硬直していた。
「おい、バルトス様! 何やってんだ! 突っ込めよ!」
カイルの叫びも耳に入っていないらしい。
バルトスは、ゼクトから授かった『論理学入門』の内容を脳内で演算しすぎた結果、変数の多さに思考がオーバーフローを起こしていた。
「敵の殺意を『負の変数』と仮定し、私の騎士道を『定数』と置いた場合……。う、うむ……解が出ない。この状況下での論理的な一歩は……」
あー、もう。
見ているだけでイライラする。
バルトスに振り下ろされようとしていた敵の斧を、割り込んで剣の腹で弾き飛ばした。
「な、メイナ殿……。私は今、論理的な解を……」
言いかけたバルトスの鳩尾に、私は一切の手加減なしに右足を叩き込んだ。
「――がはっ!!」
重厚なプレートアーマーごと、バルトスの巨体が数メートル吹き飛ぶ。
カイルとリンが「ええええっ!?」と叫び、ベルフェルドさえも目を剥いた。
「……な、なにを……メイナ殿……」
地面に転がり、苦悶の表情で見上げてくるバルトス。
私は、冒険者メイナとしての仮面を、一瞬だけ剥ぎ取った。
視線を落とす。
私の瞳に宿ったのは、かつて大陸を恐怖で震え上がらせた闇の伝説の使徒――『ターメイン』としての、深淵のような冷たさだ。
「……黙りなさい。メイナじゃないでしょ。私は誰?」
バルトスだけに聞こえる声で小さく囁いた。
それだけで部屋全体の空気が凍りつく。戦っていた者たちの手が止まり、本能的な恐怖に全員がその場に縫い止められる。
「あんたは学者にでもなりたいの?違うでしょう」
私は一歩、バルトスに歩み寄る。
私の影が巨大な獣のように揺れ、彼を呑み込む。
「……騎士なら、頭じゃなく魂で叫びなさい。あんたの守るべき『理』は、そんな薄っぺらい本の中にしかないの?」
バルトスの顔から色が消える。
だが、その瞳の奥に、死んでいたはずの「騎士の焔」が、一瞬で再点火されるのが見えた。
私は、威圧を霧散させ、「メイナ」に戻る。
「……さっさと立ちなさい。バグを直すのは、あいつの仕事。……敵を掃除するのが、あんたの役目でしょ?」
沈黙。
次の瞬間、ガシャンッ! と凄まじい音を立てて、バルトスが立ち上がった。
その体から溢れ出す力は、先程までの迷いを完全に焼き尽くしていた。
「…………承知っ!!」
咆哮。
バルトスは剣を正しく中段に構え、一点の曇りもない踏み込みを見せた。
「論理の先にある騎士の使命……今、理解した! ……諸君、道をあけよ! フェルゼンの盾、バルトスが通るッ!!」
その突進は、もはや一つの嵐だった。
群がる暗殺者たちを盾一つでなぎ倒し、敵の陣形を崩壊させていく。
「……ふん。やっと再起動したみたいね」
私は小さく鼻を鳴らす。
さて、残るはあの、高みの見物を決め込んでいる片眼鏡の男だけだ。
「ヴォルグ。……あのボスの『帳簿』、全部ぐちゃぐちゃにしてあげましょうか?」
「……ああ、言われなくてもそうするさ。」
ヴォルグが引きつった笑みを浮かべ、ベルフェルドへとにじり寄った。
決戦の仕上げの時間が近づいていた。




