第60話:本拠地への不正アクセス
隠し扉の先は、地下水路の湿気とは無縁の、不気味なほど乾燥した石造りの空間だった。
壁には魔法灯が一定の間隔で配置され、ここが単なる隠れ家ではなく、組織的な運用がなされている「拠点」であることを物語っている。
(……鼻が曲がりそうだわ。インクとカビ、それにどす黒い欲望の臭い。)
「……ここが奴らの心臓部、王都支部の『大書庫』だ」
ヴォルグが声を潜めて言う。
大書庫、とは名ばかりで、そこには膨大な量の帳簿や通信記録の羊皮紙が、整然と棚に並べられていた。
王都の闇を支配しているという『黒い回廊』。その実態は、情報を力に変える、極めてアナログで執念深い組織のようだ。
(……非効率の極みね。こんな紙の山、爪を研ぐのにも使いたくないわ)
「止まれ。前方、廊下の角に気配が二名。巡回の周期は一定だ。論理的に考えて、ここは『定時パトロール』のルートと推測される」
バルトスが小声で告げる。
「バルトス様、どうする? 相手はプロだ。下手に騒がれると……」
カイルが剣の柄を握りしめ、不安げに問いかけた。
バルトスが重厚な鎧を鳴らし、その「論理」とやらを披露しようと口を開きかけたが、私はそれを待たずに一歩踏み出す。
「……黙って見てなさい。私が行くわ」
(いちいち計算式を立てていたら日が暮れてしまう。私は早く帰りたいのよ)
気配を完全に断ち、湿った影のように滑り出した。
角を曲がった先にいたのは、全身を黒装束で包んだ二人の見張り。彼らが私の接近に気づくことは、万に一つもない。
瞬きをする間の一閃。
私は漆黒の剣の柄で、一人の首の付け根を正確に強打し、同時にもう一人の喉元を素手で圧迫して声を封じた。
「……がっ」
「…………」
崩れ落ちる二人の体を、音も立てずに床へと横たえる。
肺から空気が漏れる音さえ許さない、最短かつ最速の無力化。
「……排除完了。先へ進むわよ」
背後で立ち尽くしていた三人の元へ戻り、顎で先を促す。
バルトスだけが「流石はメイナ殿、余計な変数を一切挟まない見事な処理スピードですな」と、あいつの影響を受けた妙な感心を漏らしていた。
(……変な知識を吹き込まれたせいで、この騎士もだいぶ壊れてきたわね)
王都の地下深く、積み上げられた情報の山をすり抜け、私たちはさらに奥へと潜っていく。
やがて現れたのは、これまでの石造りの通路とは一線を画す、装飾の施された重厚な扉だった。
バルトスが前に出る。
彼は懐から出した書物を一度だけ強く握りしめると、それを仕舞い、一切の迷いなく右脚を振り抜いた。
「失礼する! フェルゼン騎士団、バルトスである! 諸君らの非合理な利権独占を正しに参った!」
鼓膜を震わせる轟音と共に、扉が内側へと弾け飛ぶ。
部屋の中にいた、黒いローブを纏った男たちが一斉に振り返った。
部屋の中心、大きな机に積み上げられた書類の山に囲まれ、羽根ペンを置いて顔を上げた男がいた。
片眼鏡をかけた冷徹な事務官のような雰囲気を漂わせる男。彼が『黒の回廊』王都総管――この巨大な闇のシステムの管理人だ。
「……フェルゼンの猟犬か。旧市街のヴォルグがしくじったかと思えば、これほど無粋な客を招き入れるとは……。帳簿が汚れるな」
男の冷ややかな言葉に、ヴォルグが鼻で笑いながら一歩前に出た。
「おい、おい。俺は別にしくじってなんかいないぜ、ベルフェルド。むしろ、お前たちの古いやり方に『損切り』を提案しに来てやったんだ」
「……損切りだと? 破棄された道具が、よく回る口だ」
「破棄? 冗談だろ。俺はフェルゼンで新しい『投資先』を見つけただけさ。……お前たちのこの、埃を被った王都のシステムは、もう時代遅れなんだよ。……な、メイナ?」
ヴォルグが私に視線を投げる。
私は、天井の梁から音もなく降り立ち、漆黒の剣を召喚した。
ベルフェルドは私の方へ向き直り、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「これはまた美しいお嬢様だ。王都の闇へようこそ。お会いできて光栄だが……ここがお前たちの、デッドエンドだ」
私は、冷たく光る剣先を男の喉元へと向けた。
「……いいえ。ここは、ゴミ捨て場よ。……さあ、掃除の時間だわ」




