第59話:地下の回廊
――王都、地下水路
頭上にある華やかな大通りの喧騒とは対照的に、湿った冷気と、長い年月をかけて蓄積された古い澱のような臭いが立ち込めている。
私たちは跳ね返る汚水の飛沫を避けながら、ヴォルグの足取りを追う。彼の歩みには迷いがない。王都の地下に張り巡らされたこの巨大な迷宮を、まるで自分の庭であるかのように熟知している。
「……ヴォルグ。あんたが言っていたその『闇の組織』について、もう少し詳しく聞かせて」
私の問いに、ヴォルグは歩みを止めず、前髪から覗くむき出しの瞳を、水路の先にある深い闇に向けたまま話し始めた。
「……『黒い回廊』。奴らはこのヴァルメリア王国の影そのものだ。王都に総本部を置き、主要な都市すべてに根を張っている。賭博、娼館、闇市場……この国の裏で動く金の流れは、すべて奴らの指の間を通っていると言ってもいい」
ヴォルグの声は、冷たく響く。
「奴らにとって、フェルゼンでの『改革』は、平和な商売を邪魔する最悪の毒だったのさ。あそこが導入した新しい仕組み……取引の透明化や、理にかなった区画整理、そして徹底した自警体制。それらは、奴らが今まで甘い汁を吸ってきた『闇』を、根こそぎ焼き払ってしまったんだ」
大盾を背負ったカイルが、狭い通路で肩をすくめながら、ヴォルグの言葉を繋いだ。
「新都市建設でフェルゼン支部が立ち行かなくなったわけか。それにしても逆恨みもいいところだな」
「逆恨みで済めば良かったんだがな。奴らは強欲だ。自分たちの利権を奪ったフェルゼンを、今度は裏から丸ごと乗っ取ろうとしている。……あの街にある『新しい仕組み』を自分たちの手中に収め、都合のいいように作り変える。それが奴ら本部の狙いだ」
(……なるほどね。あいつが「自分が動かなくていい世界」を必死に組み立てたのに、横からそれを奪おうっていうわけ。……本当に、掃除のしがいがあるゴミたちだわ)
私は漆黒の剣の柄に手をかけた。ヴォルグの言うことが事実なら、これは単なる意地の張り合いじゃない。あいつの安眠を守るための「大掃除」の最終段階だ。
「ヴォルグ。その情報が真実であるならば、奴らの行動は理にかなっていない! 秩序を乱し、人々の利便性を損なうことは、論理的に見て明白な悪行である!」
ガシャン、と金属音を立ててバルトスが割り込んできた。彼は暗がりの中で『論理学入門』を大切そうに抱え、目をギラつかせている。
「フェルゼンの主が敷いた至高の規律を、そのような私欲で汚すことは断じて許されぬ。諸君、論理的に考えても、ここで奴らの中枢を叩くことが、最も効率的で正しい解決策だ。……メイナ殿、私のこの分析はどうでしょうか?」
私は、水路の曲がり角で立ち止まり、冷ややかにバルトスを見上げた。
「……いいから、あんたはその頑丈な鎧で相手の攻撃を全部受け止めなさい。それが今のあんたにできる、一番『正しい』役割よ」
「ははっ!! 了解しました! 私は揺るぎない壁となり、メイナ殿という鋭い刃の通り道を切り拓いてみせます!」
バルトスが満足げに頷く。ヴォルグはそんな私たちを見て、わずかにだけ口元を歪めた。
「さぁ、着いたぜ。ここを上がると目的地だ」
私たちはヴォルグが示した隠し扉――水路の壁に溶け込むように作られた重厚な石の仕掛けへと向かった。
この先に、王都の闇を統べる「黒い回廊」の中枢がある。
(……待ってなさい。あんたたちがフェルゼンの平和を汚そうとしたツケ、一括で払ってもらうわ)
私は影を纏い、ヴォルグが開いた闇の階段へと、音もなく滑り込んだ。
湿った石造りの迷宮に、決戦を告げる静かな靴音だけが、不気味に響き渡っていた。




