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黒猫勇者と怠惰の宰相 〜引きこもりの俺、安眠のためにリモートワークで異世界を改革する〜 膝の上の愛猫が最強勇者であることを俺は知らない  作者: 香箱
第三章:怠惰の秩序

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第58話:侵入前夜の焚き火

(……ああ、本当にお尻が痛いわ)


 私は、冒険者『メイナ』の姿で、馬の首筋を軽く叩きながら大きく伸びをした。

 フェルゼンの我が家を出発してから、馬に揺られること三日。ようやく、夜の地平線の向こうに王都の巨大な城壁が、まるで巨大な墓石のようにぼんやりと浮かび上がってきている。


 辺りはすでに深い夜の帳に包まれている。街道から外れた森の奥、私たちは人目を避けるように小さな野営地を設けていた。


(あのアホな主がここにいれば、今頃は「馬のサスペンションがクソだ」だの「自動運転を実装しろ」だのと文句を垂れ流して、ポテチの袋を抱えたまま動かなくなっているでしょうね、間違いなく)


 焚き火の小さな炎が爆ぜる音だけが、森の静寂に響いている。

 大盾使いのカイルは慣れた手つきで焚き火の番をし、魔道士のリンは杖を片手に、私たちの気配を消すための遮蔽結界を二重に編んでいた。


「……メイナ、大丈夫か? 三日間、ほとんど休みなしだったからな。疲れが溜まってるんだろ」


 カイルが、火にかけたクッカーのスープをかき混ぜながら、心配そうに私の顔を覗き込んできた。


「……別に。ただ、この辺りの空気が澱んでいて気に入らないだけよ。古い建物と、それ以上に古い人間たちの執着が積み重なっているような……そんな嫌な臭いがするわ」


 王都という場所は、歴史が長い分、無駄な贅肉が多すぎる。あいつがいたなら「キャッシュが溜まりすぎてメモリを食いつぶしている」とでも表現しただろうか。私にとっては、ただただ風通しの悪い、掃除のしにくい巨大なゴミ溜めにしか見えなかった。


「諸君、明日の行動計画を『論理的』に策定しようではないか」


 カチャリ、と規則正しく、そして異様に整然とした金属音を立ててバルトスが歩み寄ってきた。

 彼は焚き火の明かりを頼りに、『論理学入門』を聖典のように真剣な目つきで開いている。地面に描かれた王都の略図を、バルトスは手近な枝でなぞった。


「王都の正門は、出入りの検問に費やす時間が長すぎる。それに、守備兵の意識も高く、我々の正体が露呈するリスクが高い。……対して、北西にあるこの通用門は、下級貴族への貢ぎ物を運ぶ荷馬車の列が途切れることなく続いており、紛れ込むには最適の条件だ。発見される確率は、正門の四分の一以下と推測される。……メイナ殿、この選択の妥当性はどうでしょうか?」


 私は小さく溜息をついた。

(……あーあ。この重装騎士、あいつに感化されすぎて、話し方が回りくどくなっているわね。でも、言っていることは合理的だわ。あいつも『一番楽な、見つからない道を選べ』って言うでしょうし)


「……いいんじゃない。ただし、中に潜んでいる『黒い回廊』の連中の気配は、そこらの賊とは別物よ。……血の臭いより先に、冷たくて鋭い、研ぎ澄まされた殺気の刃みたいなのを感じるわ」


 私がそう言った、その瞬間だった。


 ――パキ。


 焚き火の爆ぜる音とは明らかに違う、乾燥した小枝を足で踏む微かな音が、遮蔽結界のすぐ外側から聞こえてきた。


「――っ! 誰だ!」


 カイルが瞬時に跳ね起き、背負っていた大盾を構える。バルトスは最短の動作で抜剣し、リンの杖の先には即座に三段階の魔力圧縮を施した火球が灯った。

 私は――闇の奥に潜む「気配」の正体を、野生の直感で正確に捉えていた。


「おやっと……。相変わらず、物騒な連中だ。……武器を収めてくれないか。俺は協力しに来たんだぜ」


 木々の深い影から、両手を上げた男がゆっくりと姿を現した。


 二十代後半、といったところだろうか。

 艶のある長い黒髪を後ろに流しているが、その片方の瞳は長い前髪に隠れて見えない。顔立ちは端整だが、その肌はどこか青白く、不健康な色気を漂わせている。身に纏っているのは、夜の闇に溶け込むような上質な黒いコート。


 旧市街で闇市を仕切っていた男――ヴォルグだ。


「……ヴォルグね。あんた、よくここがわかったわね」


 私の呟きに、バルトスが鋭い殺気を放ち、一歩前に出る。


「貴様、ヴォルグか! 旧市街から逃走し、行方不明となっていた大罪人が、なぜ自らこの場所に現れた! 今すぐ捕縛して、厳格な裁きと論理の鉄槌を受けてもらう!」


「待てよ、鉄の塊殿。……俺を捕まえたところで、王都の地下への扉は一生開かないぜ」


 ヴォルグは余裕の笑みを浮かべ、バルトスが突き出した剣の先を指で軽く避けた。その動作には一切の無駄がなく、流れるような美しささえある。


「俺はあいつらに切られたんだよ。……俺は『使い古された道具』として処分されるリストに載せられた。……あいつらは、フェルゼンの利権を根こそぎ奪うつもりだ」


 ヴォルグの剥き出しになった方の瞳が、冷たく、そして激しい憎悪を込めて光る。


「……俺はプライドが高いんだ。一度築き上げた俺の庭を、外部の無能に奪い取られるのは我慢ならない。……だから、お前たちに王都の『本当の裏口』を教えてやる。その代わり、黒い回廊を潰した後、俺の身の安全を保証してほしい」


 カイルとリンが、判断に迷うように私を見た。

 バルトスは『論理学入門』をパタンと閉じ、ヴォルグを射抜くような視線で見つめた。


「……メイナ殿。この者の協力は、任務の成功率を飛躍的に向上させる可能性があります。……だが、こいつを無条件で信用する根拠が不足している。……どう思われますか?」


 私は剣をカチリと鳴らし、ヴォルグの瞳をじっと見つめた。


「……いいわ。ただし、裏切る気配を少しでも見せたら、その瞬間に私の剣で『掃除』してあげる。……いいわね?」


「……恐ろしい嬢ちゃんだ。大丈夫だ。裏切ることはしない」


 ヴォルグは皮肉げに笑うと、懐から古い羊皮紙を取り出した。そこには、王都の正規の地図には決して載っていない、蜘蛛の巣のように複雑な地下水路の図面が描かれていた。


「取引成立だな。……さあ、俺のことを切り捨てたあいつらをブッ潰しに行くとしようか」


 焚き火を囲むメンバーに、かつての敵――闇のプロフェッショナルが加わった。

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