第55話:囚人と騎士のジレンマ
「……はぁ。それで、バルトスさんは今どこに?」
俺は『怠惰の玉座』に深く沈み込み、ポテチのカスを指で払いながら、目の前でがっくりと肩を落としているグスタフに問いかけた。
「……申し訳ありません、ゼクトさん。彼は、あのような『勝手な単独行動』で隠密調査を台無しにしたため……少し頭を冷やしてもらうべく、捕虜たちと一緒に投獄してきました」
「……捕虜と一緒に!?」
俺は思わず飲んでいたコーラを吹き出した。
なんだその、バグった実行ファイルを、ウイルス検体と同じディレクトリに放り込むような雑な処理は。
「はい。ですが、問題がありまして……。捕虜たちが一向に口を割らないのです。牢屋の方からは、バルトスの『ゼクト様ぁぁ! 申し訳ございませんんん!』という絶叫と嘆願しか聞こえてきません……」
俺は頭を抱えた。
(バルトスさん、あんた投獄されてもノイズを撒き散らしてるのか。もう歩くシステム障害だ)
「グスタフ。全員を同じ牢屋に入れてちゃダメだよ。それじゃあ敵の結束が固まるだけだ。それに……バルトスさんも一緒に放り込んでどうするんだよ」
「……ダメ、なのですか? 監視の効率は良いのですが」
「効率以前の問題だよ。人間っていうのはね、集団だと強気になるけど、独りになると『論理的な罠』に極端に弱くなるんだ。グスタフ、俺の故郷の古典的な論理思考を教えてあげるよ。……これを『囚人のジレンマ』と言うんだ」
俺はポテチを一枚齧り、戸惑うグスタフに解説を始めた。
「いいかい。2人の容疑者、AとBがいるとする。彼らを別々の部屋に隔離して、個別に司法取引を持ちかけるんだ。条件はこうだ」
俺は簡単な表を書いてやった。
「1:2人とも黙秘し続けたら、証拠不十分で軽い罪(懲役2年)で済む。
2:片方だけが自白して仲間を売ったら、自白した方は『釈放(0年)』、黙秘した方は『懲役10年』。
3:2人とも自白してしまったら、お互い様ってことで『懲役5年』だ」
「……ほう。面白いルールですね」
「ここで大事なのは、AとBが『相手がどう動くか確信が持てない』ことだ。Aの視点で考えてみて。もしBが黙秘していても、自分が自白すれば釈放(0年)される。もしBが自分を裏切って自白していても、自分が黙秘し続けたら10年、自白すれば5年で済む。……つまり、どちらにせよ『自白する(裏切る)』のがA個人にとっての合理的な選択になるんだよ」
グスタフがハッとしたように目を見開いた。
「Bも同じように考えますね。となると、結果は……」
「そう。お互いが自分の利益を追求した結果、2人とも自白して『懲役5年』を食らう。本当は2人で黙秘して『2年』で済ませるのが全体として最善(パレート最適)なのに、個人の合理的な判断がそれを阻むんだ。この場合、両者とも自白する戦略がゲーム理論でいう『ナッシュ均衡』となる。……このロジックを尋問に流用するのさ」
俺は、呆然とするグスタフに「尋問のプロトコル」を指示した。
「まず、全員を完全に隔離する。物理的に声も届かないようにね。……バルトスさんは一番奥の部屋にしておいて。その上で、一人ずつにこう囁くんだ。『お前の仲間はもう喋り始めているぞ。お前だけ黙っていても、罪を全部押し付けられて処分されるだけだ。今ならお前だけ特赦にしてやる』ってね」
「……個人の合理性を突きつけるだけで、人の結束を内側から崩壊させるなんて……」
「ナオン(……相変わらず、性格の悪い攻め方ね。猫に生まれて良かったわ)」
膝の上で丸まっていたたまが、目を細めた。
「さすがは飼い主、知的で痺れるわ」とでも思ってくれたんだろう。
***
数日後。
騎士団の詰め所から戻ってきたグスタフの顔には、確かな成果が刻まれていた。
「……落ちました。三人とも、互いを罵り合いながら我先にと情報を吐き出すようになりました。……ゼクトさん、彼らは『黒い回廊』という組織の末端だそうです」
「黒い回廊……? なんだその、厨二病全開な名前は」
どうやら旧市街のヴォルグを操り、フェルゼンの発展……いや、俺がこの街に持ち込んだ「未知のシステム」を壊そうとしている闇の組織があるらしい。
「グスタフ。どうやらこのバグは、旧市街だけじゃ収まらないみたいだね。外部からの不正アクセスの遮断……いや、元から断つ必要があるか。グスタフ、尋問を続けて」
俺の引きこもりライフを脅かす、巨大な外来ウイルス。
面倒だが、安眠を守るためには、「セキュリティ・アップデート」を開始するしかなさそうだ。
「……ポテチ、もう一袋開けるか。バルトスさんは……まだ牢屋に入れておいていいよ。論理学の基礎でも叩き込んでやって」




