第53話:インストールは99%で止まる
マイノリティ・パッチの適用テストを開始してから一週間。
俺は『怠惰の玉座』に深く沈み込み、エアコンの効いたリビングで、ポテチの袋を抱えながら優雅な午後を過ごしていた。
「……ふぅ。一週間、何もせずに過ごしたな。そろそろ進んでるだろ」
俺は手元のコントローラーを操作し、解体予定の『旧市街』にドローンを飛ばす。俺の眉がぴくりと動いた。
「……おかしいな。まだ普通に暮らしてるぞ、あいつら」
モニターの中では、闇市の面々が、立ち退き命令などどこ吹く風で、平然と露店を広げていた。……いや、それだけじゃない。
ズーム機能を最大まで引き上げ、路地の角に立つ護衛の男に焦点を合わせる。
「……なんだ、あの装備。妙にしっかりしてないか?」
男が身に纏っているのは、使い古しの革鎧ではない。継ぎ目のない洗練された金属装飾が施された、重厚なラメラアーマーだ。腰に差した剣の柄からは、魔力でも籠っているのだろうか、微かな青い光が見える。
「……バルトスさんたちの標準装備より、いいもの使ってないか、これ。ただのゴロツキが買える代物じゃないんじゃないか?」
俺がそんな違和感に首を傾げていると、リビングのインターホンが鳴った。
案の定、そこに映っていたのは、目の下に隈を作ったグスタフと、今にも抜剣しそうな形相のバルトスだった。
「ゼクトさん……お忙しいところ申し訳ありません」
「失礼いたします、ゼクト様!」
リビングに入るなり、グスタフは深い溜息をついた。
「カルドス民族との交渉は、ゼクトさんの提案通り非常にスムーズに進んでいます。彼らは『博物館の館長』という役職に誇りを持って受け入れ、工事も始まりました。礼拝の様子を見物されることについても『特に問題はない』と承諾してくれました。……ですが」
「ヴォルグの方だろ?」
「はい。再三の呼び出しを送っているのですが、一向に返事がありません。完全に沈黙を守っています」
横に控えていたバルトスが、ついに我慢の限界といった様子で拳をテーブルに叩きつけた。
「ゼクト様! もはや猶予はありません! 奴らは我が主の慈悲を無視し、不遜にも旧市街を占拠し続けているのです。私が今すぐ騎士団を率いて乗り込み、あの掃き溜めごと排除してまいります!」
「バルトスさん、落ち着いて。テーブルが壊れたら弁償してもらうよ。」
俺が冷たく言うと、バルトスはビクッとして拳を引いた。
「強行突破は物的にも人的にもコストが高くつく。それに……俺が見た限り、あいつら、妙にしっかりした武装をしてたよ」
その時、バルトスがハッとしたように俺を見つめた。
「ゼクト様の……あの、例の……『神の眼』で見たのですね!」
「あ、うん……まぁそんなところだね。ちょっと気になって旧市街を見ていたんだ」
(……ドローンで見ただけだよ。神じゃなくて科学の眼なんだよ。4Kの超解像度だから「神スペック」ではあるけどね)
俺は引き攣った笑いを浮かべながら、グスタフの方に視線を向けた。
「武装、ですか? ヴォルグの部下はせいぜい錆びた短剣程度のはずですが……」
「いや、最新の魔導具みたいなのを装備してる奴がいた。下手すると、バルトスさんの装備よりいいんじゃないか?騎士団でも手こずるかもしれないよ。慎重に動いたほうがいい」
グスタフは頷いた。
「……確かに、それが賢明かもしれませんね。騎士団が動けば、向こうも臨戦態勢に入ってしまう。まずは情報の収集を優先しましょう。冒険者ギルドに調査依頼を出します」
「ナオン(面倒くさそうなことになってるわね。せっかくの昼寝が台無しだわ……)」
膝の上で丸まっていたたまが、大きな欠伸をしてグスタフを冷ややかな目で見ていた。
***
その日の夕方。
新都市フェルゼン冒険者ギルドの掲示板には、領主直々の「旧市街・隠密調査」という依頼書が貼り出されていた。
「……面白そうじゃない。旧市街の大掃除をしようってわけね」
その依頼書を勢いよく剥ぎ取ったのは、魔道士リンだった。
「おい、リン! 先走るな。報酬が高いってことは、それだけヤバい仕事だってことだぞ」
カイルが背後から慌てて声をかけた。彼は慎重な面持ちで、リンが掴んだ紙面を覗き込む。
「しかも『隠密』かつ『重武装の集団に注意』だと? 相手はただのゴロツキじゃねえぞ。下手すりゃ軍隊並みの装備を持ってるって噂だ」
「分かってるわよ。でもカイル、これだけの報酬があれば、新しい杖も買えるし、あなたの盾も新調できる。……それに、私たち二人だけでは不安でも、あの人を誘ってみればいいじゃない」
「あの人? ……ああ、メイナか」
カイルが納得したように頷く。
「確かに、あいつの隠密技術とあの得体の知れない剣技があれば、これ以上の適任はいねえな。……でもあいつ、いつも神出鬼没だろ? 暇なときなら付き合ってやるって言ってたが、今はどこに――」
「……呼んだ?」
「うわっ!?」
カイルが情けない声を上げて飛び上がった。
いつの間にか二人の背後、ギルドの柱の影に、漆黒の装束に身を包んだ少女――メイナが立っていた。鋭い瞳が、カイルを冷ややかに見つめている。
「め、メイナ! どこから出てきたんだよ!」
「……影から。それより、その仕事。私も行くわ」
メイナはリンの手から依頼書を奪い取ると、そこに記された「旧市街」の文字をじっと睨みつけた。
(あのアホな主が、さっきからリビングで『進捗がハングした』とか『ノイズが消えない』とか、眉間にシワを寄せて貧乏ゆすりをしてるのよ。……私の快適な安眠環境を守るためには、今のうちに掃除しておかないとね)




