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黒猫勇者と怠惰の宰相 〜引きこもりの俺、安眠のためにリモートワークで異世界を改革する〜 膝の上の愛猫が最強勇者であることを俺は知らない  作者: 香箱
第三章:怠惰の秩序

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第47話:怠け者のデバッグ――円環の理

 ――ピンポーン。


 リビングに響く電子音。俺は『怠惰の玉座』に深く沈み込み、適温に冷やされたコーラを啜りながら、手元のスマホに連動させたモニターを確認した。

 そこに映っていたのは、少しばかり困惑したような、それでいてどこか「重大な使命」を帯びたような顔のバルトスだった。


「……やっぱり来たか」


 新都市の稼働が始まる前、俺は漠然と予感していた。システムというものは、実際にローンチして動かしてみるまで分からない、想定外の挙動を必ず起こすものだ。


 俺はため息をつき、玄関のロックを解除した。


「失礼いたします、ゼクト様」

 リビングに入ってきたバルトスは、いつものように背筋を伸ばしたが、その声には迷いがあった。


「ゼクト様。……実は、新都市の交差点にて、荷馬車同士の接触事故が数件報告されております。……いや、誤解なきよう。旧市街に比べれば、件数は驚異的なまでに減少しております! 九割以上の改善……我らからすれば、これ以上を望むのは贅沢というものなのですが……」


 バルトスはそこで言葉を切り、少し身を乗り出した。

「ですが……この街に、あの方……いえ、ゼクト様にしか作れない『絶対的な規律』が必要であると。そのような切実な訴えが、私の耳に届きまして」


(……訴え? 誰の? まあ、グスタフかエリシュアあたりが、完璧主義に目覚めたのか?)


 俺はコーラを置き、真剣な顔を作った。バルトスは「たいしたことではない」という体で話しているが、日本育ちの俺にとって『交通事故』は、他の何よりも優先して修正すべき致命的なバグだ。一割のバグを残したまま「ほぼ完成です」なんて言えるエンジニアはこの世にはいない。


「……九割改善、か。バルトスさん。俺の故郷ではね、事故の『一割』を許容する文化はないんだよ。特にこの広い道だ。馬車の速度が上がれば、一回の衝突がそのまま『死』にも繋がる」


「し、死……。そこまででございますか」


「そこまで考えておかないと。……よし、わかった。そのバグ、俺が修正するよ」


 俺はまず、頭の中に『信号機』を浮かべた。赤、青、黄色。

 だが、すぐに思い直す。


(……あ、この世界、電力網がないんだった)


 エリシュアの魔導ランプは、魔石という一つ一つが独立したバッテリーで動いている。街中の信号機をすべて『同期』させて、赤と青を切り替えるネットワークを構築するとなると、この世界の技術では不可能だろう。


(……信号機は、運用コストが高すぎる。もっとローテクで、かつ『物理的』に事故を不可能にする仕組みがいい)


 俺はいいアイデアを思い付き、ニヤリと笑った。


「バルトスさん。明日、グスタフを連れてきて。資料を作って説明するから。それと、石工のガラムさんにも声をかけておいて」


「はっ! 承知いたしました! 直ちに手配いたします!」


 バルトスが嵐のように去っていくのを見送り、俺は玉座から這い出し、書斎の最新型PCに向かった。

 この異世界で最もオーバースペックな計算資源が、今、一つの交差点のために投入される。


「……検索。『ヨーロッパ』『交差点』……それと、『ラウンドアバウト』」


 画面に、美しい円形の交差点の画像が次々と表示される。

 俺はそれらの資料を読み込み、俺なりの解釈で頭を整理していった。


(……これだ。ラウンドアバウト……環状交差点。これこそが、電力がなく、かつ規律が未発達なこの世界における最適解だ)


 俺は検索結果をなぞりながら、さらに思考をまとめていく。


「……信号機(電力)がいらない。馬車は円形の交差点に入る際、構造的に必ず速度を落とさざるを得ない。そして、出会い頭の激しい衝突が、物理的に発生しない仕組みだ」


 具体的にはこうだ。交差点の中央に『中央島』という円形の通行不能エリアを置く。馬車はすべて、時計回りにその円に沿って進む。


「……一番大事なのは『優先順位』の定義だな。環状路の中を回っている馬車が絶対優先。入ろうとする馬車は、中の流れが切れるまで待つ。……これだけで、交差点内での判断迷いが消える」


 さらに、課題は『シグナル』だ。この世界にはウインカーなんてない。


「……御者に『旗』を持たせよう。左に曲がる、あるいは円から出る時は、左側に旗を立てる。直進や右回りを続ける間は立てない。……この単純なフラグ管理があれば、周囲の馬車は次の動きを予測できる」


 俺はさらに、もう一つの必要不可欠な要素にも気づく。


「……標識もセットだな」


 どれが優先道路か、どこで一時停止すべきか。

 文字が読めない住民もいる。だったら、一目で意味がわかる『ピクトグラム』をデザインして、街中に設置しなきゃいけない。


「……よし、構成は固まった。……あーあ、また仕事が増えたな。……でも、まぁいいか」


 PCの画面には、AIが生成した「フェルゼン仕様のラウンドアバウト」の、馬車が滑らかに回るシミュレーション映像が映し出されていた。


 これを一度インストールしてしまえば、俺はもう事故の報告で安眠を妨げられることはない。

 俺はPCを立ち上げたまま、再び『怠惰の玉座』へと戻り、たまの帰りを待つことにした。


「……たま。明日はもっと、いい街になるぞ」

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