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黒猫勇者と怠惰の宰相 〜引きこもりの俺、安眠のためにリモートワークで異世界を改革する〜 膝の上の愛猫が最強勇者であることを俺は知らない  作者: 香箱
第三章:怠惰の秩序

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第46話:交差点の死神と、消えない記憶

 新都市フェルゼン。

 魔法と職人たちの熱量によって爆速で組み上げられたその街は、今、かつてない活気に包まれていた。


「……ふぅ。極楽、極楽」


 俺は、リビングに鎮座する『怠惰の玉座』に身を預けていた。

 二億Lポイントという、天文学的な数値を叩き出して手に入れたこの椅子。座り心地という次元ではない。座った瞬間、最高のまったり感が提供される。説明書も何も無い。購入時に見た「怠惰の玉座:怠惰が安定」の表示だけを頼りに払った50,000,000L。

(ジャケ買いみたいなものだったけど……大成功じゃない?やっぱり買い物はフィーリングだね)


「たま、これ最高だぞ。もう一生、ここから降りない自信がある」


「ミャウ(……呆れた)」


 膝の上で丸まっていたたまが、どこか冷めたような鳴き声を上げて、俺の膝から降りた。

 そのまま、いつもの「数センチだけ開いた窓」から、するりと外へ出ていく。


「お、散歩か? 車……じゃなかった、馬車に気をつけるんだぞ」


 俺の能天気な声を背に、たまは完成したばかりの城下町へと消えていった。


 ***

 

 新都市を彩る夜の光は、かつての暗鬱な影をどこにも残していなかった。

「新しく生まれ変わる街の夜は、私の横顔と同じくらい美しく、そして不変に輝くべきですわ!」

 ――そういえば、工事の合間にあの娘が鏡を片手にそんなことを言っていたわね。

 エリシュアの自尊心が、新型術式の魔導ランプという形になり、街並みを優しく、しかし激しい光量で照らしている。

(自分の顔を照らすためじゃないかしら……?まあ、おかげで夜道が歩きやすいのはいいんだけれど)


 私は今、冒険者『メイナ』の姿で、その光の海の中を歩いていた。

 カイルとリンに誘われた、ある魔獣の調査依頼。無事にそれを終えた充足感と、心地よい疲労の余韻を背負いながら、私たちは整備されたばかりの目抜き通りをゆっくりと進む。

 三人の影が、磨き上げられた石畳の上で長く、規則正しく伸びては消えていく。平和な夜の静寂が、私たちの足音を穏やかに吸い込んでいた。


「いやぁ、いつ見ても見事なもんだな、この街は」

 カイルが、整然と並ぶ白亜の建物を眺めて感嘆の声を上げる。

「道も広いし、嫌な匂い一つしない。旧市街にいた頃に比べりゃ、天国だぜ」


「そうね。生活の質が劇的に上がったわ」


 リンも同意するように頷いた、その時だった。


 ――ガシャンッ!!


 鋭い衝撃音と、馬のいななきが夜の街に響いた。

 見れば、十字路の真ん中で、二台の荷馬車が側面から接触していた。積まれていた樽が転がり、御者たちが顔を真っ赤にして怒鳴り合っている。


「おい! どこ見て走ってやがる!」

「そっちこそ、こっちは直進してたんだぞ!」


 それを見て、カイルは苦笑いしながら肩をすくめた。

「ああ、またか。まあ、これだけ街が広くなって馬車のスピードも上がれば、たまにはあるわな」


「でも前の街に比べればずっとマシよ。あそこは道が細すぎて、一日に十回はどこかで詰まってたんだから」


 二人は「日常茶飯事だ」と言わんばかりに、また歩き出そうとした。

 だが、私は動けなかった。


 アスファルトに似た石畳。

 激しい衝撃音。

 立ち上る焦げた匂い。


(……雨の匂いと、アスファルトから立ち上る焦げた鉄の匂い)


 あの日、私は死んだ。

 アホなガキを助けるために、身体を投げ出した。

 骨が砕ける音。遠のく意識。

 ……あの瞬間の恐怖だけは、魂に刻まれている。


(……この街に、あんな思いは必要ない)


「……これ、前よりマシならいいって問題じゃないわ」


 私が低く呟くと、二人が不思議そうに立ち止まった。

「メイナ? どうしたんだよ、そんな怖い顔して」


「……このままじゃ、いつか誰かが死ぬわ。……絶対に、直させなきゃ」


 私は、言いようのない焦燥感に駆られて、家へと駆け出した。


 ***


 リビングに戻ると、あのアホな主は『玉座』の上でだらしなく口を開けて寝ていた。


「ナーオー!(大事なことなの!起きて!)」


 猫の姿のまま、私はカズヤの腹の上で爪を立てる。


「うわっ!? たま、何だよ、せっかく玉座で深い眠りに入ろうとしてたのに……」


「ミャウ! ニャニャッ、ニャーオ!(街の交差点! 事故が起きたの! 解決策を考えなさい、今すぐに!)」


「……お腹減ったのか? それともトイレか?」


「ニャーッ!!(違う! 命に関わることよ! 起きてよ、この怠け者!)」


「……たま、お前、今日なんか必死だな。明日、おやつを多めにあげるから。……むにゃ……」


 ……ダメだ。

 こいつの脳内は今、玉座が提供する最高級の安らぎで満たされている。猫の言葉で、この「見えない危機」を伝えるのは不可能だ。


 私は窓から再び外へ飛び出した。

 猫としてではなく、メイナとして。


 私は、家の隣に建つ騎士団の駐留所へ、殴り込むように入っていった。


「バルトス、いる!?」


「なっ……ターメイン様!? こんな夜更けに、一体何事ですか!」


 バルトスは、新しく導入された『シフト制』のおかげで、以前より血色の良い顔で書類仕事に励んでいた。


「バルトス。今すぐゼクトに伝えなさい。……街の交差点に、『絶対的な規律』が必要よ」


「……規律、ですか? ターメイン様、ご安心を。新都市になってから、事故の件数は旧市街の十分の一以下に抑えられております。これは驚異的な成果なのですぞ」


 バルトスは誇らしげに胸を張った。

 ……十分の一。彼らにとっては『大成功』。

 でも、私にとっては、残りの『一割』が許せない。


「……十分の一になったから、何? あとの一割で誰かが死んでも、運が悪かったで済ませるつもり?」


「い、いえ、そのようなつもりでは……しかし、馬車同士の接触など、この世界では避けられぬ事象でして……」


「避けられないんじゃない。避けようとしていないだけよ」


 私の声に、一瞬で魔力が混じる。

 駐留所の空気が凍りつき、魔導ランプがチカチカと点滅した。バルトスの背筋に、冷たい汗が流れるのが分かる。


「バルトス。私は知っているの。……たった一度の『不注意』が、どれほど残酷に日常を壊すか。……ゼクトに言いなさい。この街に、あいつにしか作れない『交差点のルール』をインストールしろって」


「……あ、あの方にしか作れない、ルール……」


「そうよ。あいつは、誰も死なない仕組みを作ると言ったわ。……なら、このバグを放置することは許されない。明日一番で、あいつに突きつけなさい。……いいわね?」


 私はバルトスの瞳を至近距離で射抜くように見つめた。その瞳には、かつて救世主として数多の魔獣を葬った時の、冷徹なまでの守護の意志が宿っている。


「は、ははっ!! 承知いたしました! 直ちに……いえ、明日早朝、ゼクト様へ緊急の課題として具申いたします!」


「……頼んだわよ」


 私は冷たく言い残すと、駐留所を後にした。


 夜の風に吹かれながら、私はまた、黒猫の姿に戻った。

 窓から滑り込み、玉座の上で再び寝落ちしようとしているあのアホな主の横に、そっと寄り添う。


(……ごめんね。仕事を増やしちゃったわ)


 でも、あんたが作ったこの街で、誰かが血を流すのを見るのは、もう嫌なの。

 私の、たった一つの、わがままなんだから。


 あくる朝。

 寝ぼけ眼のカズヤの元に、バルトスから「交差点における安全確保の緊急要請」という名の、メイナ印の『重い課題』が届くことになった。

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