第46話:交差点の死神と、消えない記憶
新都市フェルゼン。
魔法と職人たちの熱量によって爆速で組み上げられたその街は、今、かつてない活気に包まれていた。
「……ふぅ。極楽、極楽」
俺は、リビングに鎮座する『怠惰の玉座』に身を預けていた。
二億Lポイントという、天文学的な数値を叩き出して手に入れたこの椅子。座り心地という次元ではない。座った瞬間、最高のまったり感が提供される。説明書も何も無い。購入時に見た「怠惰の玉座:怠惰が安定」の表示だけを頼りに払った50,000,000L。
(ジャケ買いみたいなものだったけど……大成功じゃない?やっぱり買い物はフィーリングだね)
「たま、これ最高だぞ。もう一生、ここから降りない自信がある」
「ミャウ(……呆れた)」
膝の上で丸まっていたたまが、どこか冷めたような鳴き声を上げて、俺の膝から降りた。
そのまま、いつもの「数センチだけ開いた窓」から、するりと外へ出ていく。
「お、散歩か? 車……じゃなかった、馬車に気をつけるんだぞ」
俺の能天気な声を背に、たまは完成したばかりの城下町へと消えていった。
***
新都市を彩る夜の光は、かつての暗鬱な影をどこにも残していなかった。
「新しく生まれ変わる街の夜は、私の横顔と同じくらい美しく、そして不変に輝くべきですわ!」
――そういえば、工事の合間にあの娘が鏡を片手にそんなことを言っていたわね。
エリシュアの自尊心が、新型術式の魔導ランプという形になり、街並みを優しく、しかし激しい光量で照らしている。
(自分の顔を照らすためじゃないかしら……?まあ、おかげで夜道が歩きやすいのはいいんだけれど)
私は今、冒険者『メイナ』の姿で、その光の海の中を歩いていた。
カイルとリンに誘われた、ある魔獣の調査依頼。無事にそれを終えた充足感と、心地よい疲労の余韻を背負いながら、私たちは整備されたばかりの目抜き通りをゆっくりと進む。
三人の影が、磨き上げられた石畳の上で長く、規則正しく伸びては消えていく。平和な夜の静寂が、私たちの足音を穏やかに吸い込んでいた。
「いやぁ、いつ見ても見事なもんだな、この街は」
カイルが、整然と並ぶ白亜の建物を眺めて感嘆の声を上げる。
「道も広いし、嫌な匂い一つしない。旧市街にいた頃に比べりゃ、天国だぜ」
「そうね。生活の質が劇的に上がったわ」
リンも同意するように頷いた、その時だった。
――ガシャンッ!!
鋭い衝撃音と、馬のいななきが夜の街に響いた。
見れば、十字路の真ん中で、二台の荷馬車が側面から接触していた。積まれていた樽が転がり、御者たちが顔を真っ赤にして怒鳴り合っている。
「おい! どこ見て走ってやがる!」
「そっちこそ、こっちは直進してたんだぞ!」
それを見て、カイルは苦笑いしながら肩をすくめた。
「ああ、またか。まあ、これだけ街が広くなって馬車のスピードも上がれば、たまにはあるわな」
「でも前の街に比べればずっとマシよ。あそこは道が細すぎて、一日に十回はどこかで詰まってたんだから」
二人は「日常茶飯事だ」と言わんばかりに、また歩き出そうとした。
だが、私は動けなかった。
アスファルトに似た石畳。
激しい衝撃音。
立ち上る焦げた匂い。
(……雨の匂いと、アスファルトから立ち上る焦げた鉄の匂い)
あの日、私は死んだ。
アホなガキを助けるために、身体を投げ出した。
骨が砕ける音。遠のく意識。
……あの瞬間の恐怖だけは、魂に刻まれている。
(……この街に、あんな思いは必要ない)
「……これ、前よりマシならいいって問題じゃないわ」
私が低く呟くと、二人が不思議そうに立ち止まった。
「メイナ? どうしたんだよ、そんな怖い顔して」
「……このままじゃ、いつか誰かが死ぬわ。……絶対に、直させなきゃ」
私は、言いようのない焦燥感に駆られて、家へと駆け出した。
***
リビングに戻ると、あのアホな主は『玉座』の上でだらしなく口を開けて寝ていた。
「ナーオー!(大事なことなの!起きて!)」
猫の姿のまま、私はカズヤの腹の上で爪を立てる。
「うわっ!? たま、何だよ、せっかく玉座で深い眠りに入ろうとしてたのに……」
「ミャウ! ニャニャッ、ニャーオ!(街の交差点! 事故が起きたの! 解決策を考えなさい、今すぐに!)」
「……お腹減ったのか? それともトイレか?」
「ニャーッ!!(違う! 命に関わることよ! 起きてよ、この怠け者!)」
「……たま、お前、今日なんか必死だな。明日、おやつを多めにあげるから。……むにゃ……」
……ダメだ。
こいつの脳内は今、玉座が提供する最高級の安らぎで満たされている。猫の言葉で、この「見えない危機」を伝えるのは不可能だ。
私は窓から再び外へ飛び出した。
猫としてではなく、メイナとして。
私は、家の隣に建つ騎士団の駐留所へ、殴り込むように入っていった。
「バルトス、いる!?」
「なっ……ターメイン様!? こんな夜更けに、一体何事ですか!」
バルトスは、新しく導入された『シフト制』のおかげで、以前より血色の良い顔で書類仕事に励んでいた。
「バルトス。今すぐゼクトに伝えなさい。……街の交差点に、『絶対的な規律』が必要よ」
「……規律、ですか? ターメイン様、ご安心を。新都市になってから、事故の件数は旧市街の十分の一以下に抑えられております。これは驚異的な成果なのですぞ」
バルトスは誇らしげに胸を張った。
……十分の一。彼らにとっては『大成功』。
でも、私にとっては、残りの『一割』が許せない。
「……十分の一になったから、何? あとの一割で誰かが死んでも、運が悪かったで済ませるつもり?」
「い、いえ、そのようなつもりでは……しかし、馬車同士の接触など、この世界では避けられぬ事象でして……」
「避けられないんじゃない。避けようとしていないだけよ」
私の声に、一瞬で魔力が混じる。
駐留所の空気が凍りつき、魔導ランプがチカチカと点滅した。バルトスの背筋に、冷たい汗が流れるのが分かる。
「バルトス。私は知っているの。……たった一度の『不注意』が、どれほど残酷に日常を壊すか。……ゼクトに言いなさい。この街に、あいつにしか作れない『交差点のルール』をインストールしろって」
「……あ、あの方にしか作れない、ルール……」
「そうよ。あいつは、誰も死なない仕組みを作ると言ったわ。……なら、このバグを放置することは許されない。明日一番で、あいつに突きつけなさい。……いいわね?」
私はバルトスの瞳を至近距離で射抜くように見つめた。その瞳には、かつて救世主として数多の魔獣を葬った時の、冷徹なまでの守護の意志が宿っている。
「は、ははっ!! 承知いたしました! 直ちに……いえ、明日早朝、ゼクト様へ緊急の課題として具申いたします!」
「……頼んだわよ」
私は冷たく言い残すと、駐留所を後にした。
夜の風に吹かれながら、私はまた、黒猫の姿に戻った。
窓から滑り込み、玉座の上で再び寝落ちしようとしているあのアホな主の横に、そっと寄り添う。
(……ごめんね。仕事を増やしちゃったわ)
でも、あんたが作ったこの街で、誰かが血を流すのを見るのは、もう嫌なの。
私の、たった一つの、わがままなんだから。
あくる朝。
寝ぼけ眼のカズヤの元に、バルトスから「交差点における安全確保の緊急要請」という名の、メイナ印の『重い課題』が届くことになった。




