第38話:合理的な教育と、揚げパンの誘惑
――プシュッ。
小気味いい音と共に、独特の甘い香りが鼻をくすぐる。
俺はコーラを氷の入ったグラスに注ぎ、喉を鳴らした。
「……くぅ、これだよ。このコーラが毎日好きなだけ飲めるってのは最高だねぇ!」
相変わらずのソファ特等席。膝の上には「たま」が重石のように鎮座している。
俺の視線の先には、導入した最新型ドローンの映像が、スマホから出力された4Kモニターに鮮明に映し出されていた。
「あ、バルトスさん。聞こえる? ……そう、そこの石材の配置。あと二メートル左に寄せて。……うん、そうすれば搬入経路がもっと広くなるから。バルトスさん、無理しないで適度に休憩挟んでね」
『おお、ゼクト様! 承知いたしました! いやはや、まさに神の視座……!』
トランシーバーから返ってくるバルトスの威勢のいい声。
現場の汗も埃も、この部屋までは届かない。画面越しに、豆粒のようなバルトスがテキパキと指示を出すのを眺めながら、俺は悦に浸っていた。
(これだ。一歩も動かず、涼しい顔で世界を最適化していく。これこそが俺の求めていた「仕事」の形だ。)
そんな至福のリモートワークを堪能していたある日、数日ぶりにグスタフが訪れてきた。
「ゼクトさん、今よろしいでしょうか。……おや、それはなんですか?」
「やあ、グスタフ。見てよ、この効率。現場に行かなくても全部わかるんだ。で、何かあった?」
入ってきたのは、俺の優秀な実務担当(にして、最近少しやつれ気味な)グスタフだ。
彼は手元の資料を眺めながら、困ったように眉を下げた。
「例の『学校』の件です。……難航しておりまして。特に門外の農村部ですが、親たちが子供を学校へ行かせたがらないのです。彼らにとって、子供は貴重な労働力ですから」
ああ、なるほど。典型的な途上国の課題だな。
だが、ここで教育を疎かにされると、将来的に俺の事務作業を丸投げできる……いや、代行してくれる優秀な人材が育たない。それは俺の「究極の安眠計画」にとって看過できない問題だ。
「……ねえ、グスタフ。ちょっと聞きたいんだけど」
「はい、何でしょうか」
「この国、というかこの街の一般的な四人家族って、一ヶ月にどれくらいで生活してるの?」
グスタフは少し意外そうな顔をしたが、すぐに頭の中で計算を始めた。
「そうですね……。住居を除いた食費や日用品だけで言えば、銀貨三十枚もあれば、人並みの暮らしは維持できるはずです」
俺は頭の中で日本の感覚に換算する。
銀貨一枚がだいたい五千円くらいか。
となると、大銅貨一枚が五百円、小銅貨一枚が五十円……というところか。
「なるほど、把握した。じゃあグスタフ、学校は午前中までにして、子供たちに『給食』を出そう。昼食を食べてから家に帰ってもらおう」
「キュウショク……ですか?」
「そう。学校で栄養バランスの取れた食事を出すんだ。費用は……三千円――じゃなかった、月額で大銅貨六枚くらいならどうかな?」
グスタフが目を見開いた。
「ゼクトさん、それは安すぎます! 一食に直せば小銅貨三枚ですよ!? 食材費だけで赤字になります!」
俺はコーラを一口飲み、ソファに深く背を預けた。
「個々の家庭でバラバラに食材を買い、個別に薪を燃やすから高くつくんだよ。……いいかい、学校で全員分を『まとめて』作るんだ。食材は卸値で一括買い付け。燃料も一箇所分。いわゆる『スケールメリット』ってやつさ。徹底的に大量生産すれば、一食あたりのコストは劇的に下がる」
「スケール……メリット……?」
「要するに、家で食わせるより安くて美味いメシが学校で食える、と親に思わせれば勝ちってこと。親は『子供を学校に放り込んだほうが食費が浮くし、家計が助かる』と気づく。そうなれば、無理に畑仕事させるより学校へ行かせるほうが合理的になるだろう?」
グスタフが呆然とした後、ブルリと肩を震わせた。
「……恐ろしい。親たちの『損得感情』さえも計算に入れ、子供たちを教育の場へ誘導しようというのですか。……なんて底知れない合理性だ」
いや、別に恐ろしくはないだろう。ただの学食の理論だ。
「ついでに、試作メニューに『揚げパン』を加えておいてよ。あれは安くて腹に溜まるし、何より俺が好きだから。……よし、じゃあバルトスさんに給食室の設置確認も頼んでおいてね」
俺がそう言って微笑むと、グスタフは深い敬意(というか、もはや畏怖に近い何か)を込めて一礼した。
「……承知しました。すぐに予算案を組み直します。」
……よし、これで十数年後には、エリート集団がフェルゼンをより豊かにしていくだろう。たぶん。
俺の完全なる隠居生活への布石は、着々と整いつつある。
「……ニャオン(揚げパン食べたいわね)」
膝の上のたまが、甘えたような声を上げた。
なんだよ、たま。俺はいたって真面目に、自分の安眠のためにフェルゼンを動かしてるだけだぞ。




