第107話:スケーラビリティの罠
「で、どうだい。最初の定規工場と、次に予定してる紡績工場……これぐらいなら、領の財政を圧迫せずに、持続可能な感じで運営できそうかな?」
「はい。数学的資質に長けたアルゴに詳細な試算を任せてみるつもりですが……おそらくは可能かと。定規の独占販売による利益を積み立てれば、数年後には二つ目の紡績工場の増設も見えてくるでしょう」
グスタフの声には、堅実な手応えがあった。領主としては満点の回答だ。だが、俺はストローを噛み、わざとらしく溜息をついた。
「……でも、それだけじゃ、世界を上書きするような大きな利益にはならないよね」
「大きな利益、ですか? これだけでもフェルゼンの富は大きく跳ね上がる計算ですが……」
「グスタフ。定規一本、布一反を売って得られる『利益の積み立て』で次の工場を建てる。そのやり方じゃ、俺が描いてる巨大工業地帯が完成するまでに、何十年かかると思ってるんだい? その頃には君も、リタイアして隠居生活だよ」
俺はテーブルの上に、迷路のように入り組んだ巨大なインフラ網の構想図を指し示した。
「工場一つを増設するのに、数年単位の時間がかかる。その『待ち時間』は、ビジネスにおいては致命的なバグなんだよ。競合他社……つまり他領の連中が追い越してくる隙を与えることになるからね」
「……しかしゼクトさん。いくら効率化を図るとはいえ、無から金は湧いてきません。物理的な資材も、人件費も、現実に存在しなければ工場の拡張は不可能です。複雑な仕組みの工場は、魔法で一晩にして建てるわけにもいかないのですから」
グスタフが困惑したように眉を寄せた。彼は「稼いだ金で設備投資する」という、極めて健全な、しかし現代においては旧式の経営思考に縛られている。
「だからさ。他人の財布を活用するんだよ。さっき三人で権利を三等分したよね? あれをさらに細かく砕いて、フェルゼンの領民たちに売るんだ」
「……権利を売る?一部の特権的な出資者ではなく、一般の領民に、ですか?」
「そう。一口の金額を、パン屋のおばちゃんや冒険者が小遣いで買えるくらいまで小さくする。彼らは『ガラ=モン・ファクトリーの成功』を信じて、自分たちの貯金を出す。その集まった莫大な資金を使って、数年待たずに次の工場を今すぐ建てるんだ。これを『株式公開(IPO)』って言うんだよ」
グスタフは絶句した。自分の理解を遙かに超えた速度で「未来」を引き寄せようとする俺の言葉を、必死に脳内で処理しようとしている。
「待ってください。そうなれば……工場の権利がバラバラに散らばることになります。もし、他領の商人が領民になりすましてその権利を買い占めたら?あるいは、意見の合わない者たちが結託して、工場の運営に口を出してきたら……?それは領主としての私の統治権、そしてガラムの技術を守れる仕組みなのですか?」
グスタフの懸念はもっともだ。ガバナンスが崩壊すれば、システムは外部からの攻撃に対して無防備になる。
「不安になるのも無理はないね。だから、まずは『クローズド』な環境でテストするんだ。公開株は他領には一切流さず、フェルゼンの領民だけに限定して販売する。フェルゼンの中だけで回る経済圏を作るんだよ」
「フェルゼン内、限定……」
「そうすれば、権利が外に漏れる心配はない。さらに、売る株には『配当は受け取れるけど、工場の経営には口出しできない』という制限をかけておく。お金は出してもらうけど、管理権はこっちで握り続けるんだよ」
(……現代の『議決権制限株式』の応用だ。コレなら安心できるんじゃないか?)
「ニャォン(……この若様、なんか考え込んでるわよ)」
たまがテーブルの端で欠伸をしながら、俺を射抜くような目で見た。俺はグスタフの次の言葉を待った。彼は、図面と俺の顔を交互に見た後、震える声でこう言った。
「……ゼクトさん。その仕組み、もっと……もっと多くの領民を救うために、使うことはできませんか?」
グスタフからは、返事ではない意外な質問が返ってきた。システムの仕様を聞いて「自分たちが得をする方法」ではなく「全員を幸せにする方法」を模索し始めた。
「……具体的には?」
「その公開される権利を、一部の余裕がある領民に売るのではなく、最初から……最初から全ての領民に均等に配ることはできないか、と考えているのです」
「……は?」
俺は思わずコーラを飲む手を止めた。
「領民全員が、生まれた瞬間からこの巨大な工場の『持ち主』の一人となり、その利益を生涯受け取り続ける……。そうなれば、フェルゼンから貧困という言葉が消えるのではありませんか?」
(……出たよ。資本主義を一足飛びに超えて、ユニバーサル・ベーシックインカムを実装しろって言いやがった。この王子様、天才か天然か、どっちだ?)
「……グスタフ。その仕様、実装可能かどうか、少し時間が欲しい。二、三日後にアルゴさんといっしょにもう一度来てくれるかな」
俺はそう言い残すと、椅子から立ち上がり、書斎へと向かった。背後でグスタフが「無茶を言っているのは分かっています。ですが……!」とつぶやく声を聞き流しながら、俺は扉を閉めた。
さて、ここからは俺の領域だ。現代の経済学ですら解決できていない「全住民への富の分配」という高難度ミッション。この世界の仕様でどうパッチを当てるか、久々に『あっちの道具』をフル稼働させる必要がありそうだ。




