第104話:規格外の命名式
リビングの空気は、エドモンが加わったことで一気に「商談」の熱を帯び始めた。ガラムは相変わらず不機嫌そうに鼻を鳴らしているが、エドモンは俺が広げた図面を食い入るように見つめ、細長い指で顎を叩いている。
「……ゼクトさん。この計画、理屈は分かる。だが、なぜ最初に『定規』なのだね?綿織物や鉄製品ならともかく、定規など一度買えば一生ものだ。市場がすぐに飽和するとは思わないかね?」
エドモンの指摘は、短期的な利益を追う商人としては正しい。俺はリクライニングを少しだけ戻し、空のコーラグラスを弄りながら彼に向き直った。
「エドモンさん。定規を売って儲けるのは、あくまで入り口だよ。俺が狙っているのは、この世界の『長さ』という定数を、フェルゼン規格で上書きすることなんだ」
「……上書き、だと?」
「そう。想像してみてよ。今、ガラムさんの指の太さと、あんたの指の太さは違うよね?この世界で『指一本分』なんて曖昧な注文を出したら、届く部品のサイズは運任せだ。椅子を作らせれば脚の長さはバラバラ、建物を建てれば壁は斜めになる。そんな『近似値』で誤魔化している商売、非効率だと思わない?」
俺はテーブルの上を指でなぞり、そこに仮想の設計図を描くように続けた。
「今はまだ、完璧に噛み合うネジ一個すら、この世界には存在しない。職人が現物合わせで削っているからね」
「あぁ!?俺の削ったネジが不完全だってのか!?ふざけんじゃねぇ、俺のはいつだって完璧だ!」
ガラムが机を叩いて身を乗り出した。
「落ち着いてよ。ガラムさんが最高の一本を作るのは知ってるけど、それと同じものを、別の町の職人が作れるかって話だよ」
「……なるほど、職人の『調整』というコストをゼロにするわけだね」
エドモンが扇子で口元を隠し、冷徹に補足した。
「そう。ガラムさんの治具で作ったフェルゼンの定規が普及すれば、いずれはAという町で作ったネジが、Bという町で作った機械に、何の説明もなく『カチッ』とハマる世界が来る」
「……カチッ、か。……悪くねぇ響きだな」
ガラムが武骨な指を動かし、空中で部品をはめる仕草をした。
「定規はただの道具じゃない。フェルゼン経済圏というシステムに参加するための『認証キー』なんだよ。定規を安くばら撒けばばら撒くほど、世界中の職人は俺たちの規格に従わざるを得なくなる。……支配的だと思わない?」
エドモンの目が、見開かれた。扇子を握る手に力がこもる。商人の脳内で、物流と規格が統一された際の爆発的な利益と、その背後にある「単位の支配」という恐るべき利権が計算されているのだろう。
「……全ての職人が、フェルゼン製の部品を取り寄せ、フェルゼンの基準で仕事をする。これは、チェス以上に質の悪い、静かなる侵略だね」
「その侵略の第一歩が、世界で最も正確な定規を生み出す『最初の工場』だ。川の力を一箇所に集めて、何十台もの機械を同時に、一定の精度で動かし続ける。……この巨大な水車とシャフトのシステム、ガラムさんなら作れるよね?」
ガラムが身を乗り出し、自信に満ち溢れた顔で笑った。
「よし、話は見えたぜ!ゼクトさん、その工場の建設、俺が現場を仕切ってやる。俺の弟子共を総動員して、石材から木材まで最高級を揃えて、歴史に残る城を建ててやるよ!」
「おっと、待てガラム。予算を動かすのは私だと言っただろう。無駄に豪華な石材など使わせてたまるか。機能性に徹した効率的な設計で進める。工場の名前も、私が商業ギルドの威信にかけて相応しいものを考えておこう」
「あぁ!?名前だと?そんなの、俺の技術が詰まってるんだから『ガラム・ファクトリー』に決まってんだろうが!」
ガラムが髭を逆立てて吠えた。
「何を馬鹿なことを。出資と管理を担うのは私だ。品位というものが必要だよ。『エドモン・インダストリアル』。これこそが世界の基準に相応しい響きだ」
「インダス……なんだって?そんな気取った名前、職人が付いてくるかよ!現場の魂がこもった『ガラム鉄工造船所』、いや『ガラムの物差し小屋』でいい!」
「余計に質が下がったね。君の頭は火床の熱で沸いているのかい?」
(……始まったよ。プロジェクトの本質とは一ミリも関係ない、ネーミングライツの争奪戦だ。これこそリソースの無駄遣いの極みだね)
二人の怒鳴り合いは、リビングの窓を震わせるほどの音量になっていた。ガラムは拳を固めてテーブルを叩き、エドモンは冷徹な表情で扇子を仰ぎながらも、言葉の端々に毒を混ぜて相手を煽り続けている。
「ナォン(オス同士の縄張り争いは、いつ見ても生産性がないわね。どっちの名前になっても、センスがないのは同じなのに……)」
たまが欠伸をしながら、俺の膝からずり落ちて床で伸びた。俺は耳を塞ぎたくなるのを堪え、ぬるくなったコーラを飲み干して、投げやりな声で介入した。
「……あのさ。名前なんて何でもいいんだけど。そんなことで工期が遅れるなら、いっそのこと間を取って『ガラ=モン・ファクトリー』でいいんじゃないかな」
二人の動きが、ピタリと止まった。
「……ガラ=モン?」
ガラムが呆けたような顔で復唱する。
「……ガラ、と、モンか。……なるほど、二つの勢力が手を取り合った共同事業体、というわけだね」
エドモンが顎に手を当て、吟味するように呟いた。
「ガラ=モン……。……ふん、悪くねぇな。あいつの名前が全部入るよりはマシだ。それに、なんだか強そうな響きじゃねぇか」
「ああ、不本意ではあるが、妥協案としては機能している。ゼクトさん、君の提案には時折、調和を重んじる……というか、適当すぎるからこそ誰も否定できない奇妙な深遠さを感じる」
(……よし、とりあえず黙った。これでようやく、一歩も動かずに工業地帯を完成させるためのワークフローが回り始めたかな。まぁ、宇宙怪獣みたいな名前になったのは気にしないようにしておこう)
ようやく静かになった。二人は小声で「ガラ=モン……」「まずは基礎工事の予算からだ……」と呟きながら、工業地帯の配置図と人員計画について、火花を散らしつつも具体的な議論を始めた。




