第103話:資本と技術のデバッグ
――ピンポーン。
リビングに響く電子音に続いて聞こえてきたのは、扉の向こう側で繰り広げられている、耳が痛くなるような怒鳴り合いだ。
『……だから!その煤汚れた格好で訪問するのが非常識だと言っているんだ。ガラム、君という男は最低限のデリカシーというものを持ち合わせていないのかね』
『あぁ!?てめぇこそ、その胡散臭い香水の匂いを撒き散らすんじゃねぇ!鼻が曲がって仕事の精度が狂うだろうが、この守銭奴め!』
俺は、ため息と一緒にコーラを一口飲んだ。
(……COO候補とCTO候補の仲が最悪。ベンチャー企業が空中分解する時の典型的なアラーム音だね。まぁ、昨日ガラムさんに『理屈と数字に強い奴を連れてきて』と頼んだのは俺だけどさ)
「いいから、入りなよ。ロックは開いてるよ」
インターホン越しに投げやりに言うと、ドアが乱暴に開き、二人の男が雪崩れ込んできた。一人は、煤と汗が染み付いた革のエプロンを纏った、いつものガラム。そしてもう一人は、磨き上げられたシルクの外套に身を包み、不機嫌そうに扇子を扇ぐ男だった。
男はリビングに入るなり、動きを止めた。彼は俺のパジャマ姿を一瞥し、それから部屋の隅で淡い光を放つモニターを、鑑定士のような鋭い目で見つめた。
「……初めまして。私がエドモンだ。昨日、この岩石の化け物からあなたの話を聞かされてね。あの若造領主……グスタフ様が、ここ数ヶ月で急に理の化け物になった理由がようやく分かったよ。後ろで手綱を握っていたのはあなただったんだね、ゼクトさん」
「……手綱っていうか、ただのアドバイザーだよ。初めまして、エドモンさん。確か商業ギルド長だったよね?コーラ飲む?」
「あ、俺の分もな!」と割り込むガラムを無視して、エドモンはソファの端に優雅に腰を下ろした。
「失礼。私は商人だ。出所の分からない知恵には慎重になるタチでね。だが、この部屋の異様な調度品と佇まいを見れば、疑う方が非合理的に感じられる。……それで?この筋肉の塊が興奮して語っていた、新しい産業の話を聞かせてもらおうか」
俺はリクライニングを少しだけ起こし、テーブルに一枚の大きな図面を広げた。
「エドモンさん。今までのこの世界のものづくりは、職人の腕一本に頼りすぎているんだ。ガラムさんが最高の一本を作る。それは素晴らしい『工芸品』だけど、世界を変える力はないんだよ。俺がやりたいのは、『産業革命』っていう仕組みそのものの改革だよ」
「産業革命……?そんな呪文は聞いたことがねぇぜ、ゼクトさんよ」
(……呪文じゃないよ。社会構造のアップデートだよ)
ガラムが首を傾げるのを横目に、俺は説明を続けた。
「簡単に説明すると、三つのステップで行う。まずは動力の集中。今までは職人が自分の手足で道具を動かしていたよね?それをこの巨大な水車に任せるんだ。天井を通るこの太い棒が回るだけで、工場中の全ての機械が勝手に動き出す。人間は動力を生み出す苦役から解放されるんだよ」
「……なるほど。人力を動力から切り離す。それだけで、一人あたりの出力は数倍に跳ね上がるな」
エドモンの目が、計算機のように細かく動き始めた。さすがは商人のトップだ。
「次に分業だよ。今までは一人の職人が、材料の切り出しから仕上げまで全部やっていたよね?それをバラバラにするんだ。木を切るだけの係、削るだけの係。それぞれの工程に、ガラムさんが設計した『絶対に失敗しない型』……治具をセットする。作業員はただ、回っている機械に木を差し込むだけでいい。熟練の勘なんていらないんだよ」
「ほう、職人の誇りを、ただの作業に落とし込むというのか……」
エドモンはガラムを見ながらそう言うと、しばらく目を閉じて何かを考えていたが、やがて扇子を叩いて身を乗り出した。
「素晴らしい……!それは技術の共有化であり、富の量産だ」
「そのとおりだよ、エドモンさん。それが『産業革命』ってやつだ」
「仕組みを作るのは俺だ。だが、この巨大な建物を建てる石材はどうする。川の護岸工事の人員はどう管理する。それを考えるだけで俺の頭はパンクしちまう。…………だからお前に来てもらったんだよ」
ガラムが気恥ずかしそうに続いた。
「ガラムさんには『ものづくり』に集中してもらいたい。資材の調達、人員の配置、計画の策定、それらの面倒な実務をエドモンさんに任せたいんだ」
「私に、このドワーフの尻拭いをしろというのか?」
エドモンが眉を顰めた。
「尻拭いではないよ。相互補完の関係だ。ガラムさんはエドモンさんが安全コストを削りすぎていないか現場で見張り、エドモンさんはガラムさんが無駄な材料を使っていないか数字で厳しくチェックする。……ガラムさんも、これだけの規模の計画を管理できる人間は、フェルゼンにはエドモンさん以外にいないと思った。だから今日ここへあんたを連れてきたんだよ」
ガラムは唸り、何度も髭をいじってから、吐き捨てるように言った。
「……ケッ。癪だが、その通りだぜ。この冷血漢なら、どんなに過酷な工事計画でも涼しい顔で帳簿にまとめやがるだろうよ」
「……面白い。この頑固者と顔を突き合わせるだけの価値はありそうだ。ゼクトさん、この計画に乗らせてもらおう」
エドモンはそう言いながらガラムの方を向いていたずらっぽく微笑んだ。




