第95話:同期された威圧
フェルゼンの西、広大な領地を統べるダリル公爵を乗せた豪華な馬車は、フェルゼン領へと続く中央街道をひた走っていた。
ダリルは窓の外を流れる景色を、苦々しい表情で見つめていた。三年前の戦災で荒廃し、泥と埃にまみれた「終わった辺境」というのが、彼の知るフェルゼンの全てだったからだ。
「……信じられん。あの若造、何を企んでいるのだ」
公爵の手元には、領主グスタフから届いたあの不可解な招待状があった。慇懃無礼なほどに簡潔で、それでいて見たこともないほど白く滑らかな紙に記された不遜な言葉。
『新都市落成記念。知と富の新たな秩序を、皆様の目でお確かめください』
この数ヶ月、ダリルはフェルゼンへ流出した領民の返還を求めて圧力をかけ続けてけきた。今回の晩餐会も、弱小領地による窮余の一策か、あるいは破れかぶれの虚勢のどちらかだと踏んでいた。
だが、馬車がフェルゼンの領境を越え、新都市に近づくと、その確信に最初の亀裂が入った。
「……御者よ、速度を落としたのか?揺れが止まったぞ」
「いえ、公爵閣下!速度は変えておりません。道が……道が、鏡のように滑らかなのです!」
ダリルが驚いて窓の外を見れば、そこにはかつての轍だらけの泥道などどこにもなかった。完璧な水平を保って舗装された石畳の道路が、地平線の先まで真っ直ぐに伸びている。道の両脇には、一定の間隔で配置された魔石灯が、夕闇を拒絶するように白々と、しかし温かみのある光で街道を照らし出していた。
「これは……王都の目抜き通りですら、これほどではない。一体、どれほどの財と人手を投じれば、このような道が完成するというのだ」
ダリルの困惑を乗せた馬車は、微かな振動も立てずに新都市の領主邸へと滑り込んでいった。
邸宅に到着した貴族たちがまず案内されたのは、美しく整備された広大な中庭だった。
中庭の奥には石造りの立派な舞台が設えられ、そこには豪奢な貴賓席が並んでいる。その周囲を無数の魔石灯が照らし出し、夜とは思えないほどの明るさが空間を支配していた。
ダリルをはじめとする招待客たちが貴賓席へと着席し、ざわめきが広がる。だが、彼らの視線は自然と眼下の中庭へと釘付けになった。
そこには、百人の騎士たちが彫像のように直立不動で整列していたから。一言の発声もなく、瞬きすらしていないのではないかと思わせるその姿は、観覧する貴族たちに底知れぬ圧迫感を与えていた。
ざわめきが静まり返った、その時だった。
『整列ッ!!』
騎士団長バルトスの、鋼を叩くような号令が夜の静寂を切り裂いた。
ドォォォォォォォォンッ!!
地響きのような、重厚な靴音が一つに重なった。
広大な中庭で、百人の騎士が一斉に行進を開始する。その動きには、一ミリのズレもない。右足が上がり、左足が降りる。その全てのタイミングが、まるで一つの巨大な心臓の鼓動であるかのように同期していた。
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ。
靴音が重なるたびに、中庭の空気が物理的な圧力となって貴族たちの肌を刺した。一人の猛者が強いのではない。百人が、一つの巨大な意志に接続された精密な機械のように動いているのだ。
『止まれぇッ!!』
再びの号令。靴音の残響すら一瞬で消える、完璧な静止。貴賓席に座る公爵は、無意識に椅子の肘掛けを握りしめていた。
そこへ、舞台の奥から一人の男が静かに現れた。フェルゼン領主グスタフだ。彼は一切の武器を持たず、ただ一人の貴族として堂々と歩みを進め、舞台の端から眼下の騎士たちを見下ろした。
その瞬間、中庭のバルトスが剣を掲げた。
シャリンッ!!
百本の剣が、同時に鞘から引き抜かれた。その金属音は、個別の音ではなく、一つの巨大な衝撃波となって貴族たちの鼓膜を揺らした。
騎士たちは一斉に剣を垂直に立てる。鍔を自分の鼻の高さまで上げ、刃を自分へ、柄を舞台上の主であるグスタフへと向けた。
『我が命、貴方の御心のままに!!』
主への絶対的な忠誠を示す『剣の礼』。一糸乱れぬ動きが、狂気じみた軍事で抑止力として突き刺さる。
(これは、ただの儀礼ではない。我々を攻めれば、この一糸乱れぬ鉄の群れがお前たちを噛み殺すという、フェルゼンの明確な答えだ!)
ダリルは、戦場を生き抜いてきた直感で理解した。目の前の騎士たちは、もはや個々の人間ではない。グスタフという主人が振るう、百の刃を持つ一つの巨大な武器なのだ。
圧倒的な武力と規律。その恐怖が観客の隅々にまで行き渡ったところで、グスタフは穏やかに微笑み、舞台の上から貴族たちを見渡した。
「皆様、新しいフェルゼンへようこそ。少しばかり騒がしかったでしょうか。我が騎士団も、新しき法と規律に慣れるのに余念がなくてね。……さあ、邸内の広間に宴の用意がございます。今夜はゆっくりと楽しんでいただきたい」




