第92話:休日クラッシュと黄金の滝
ここ数日の我が家は平和そのもので、ゆっくりとした時間だけが流れていた。
(外交の基本設計はグスタフに放り投げたし、アルゴという最強の演算エンジンも用意した。これで少なくとも数カ月は、この涼しい部屋でスリープモードに入り浸れるはずだ)
俺はルミナショッピングの端末を操作し、新着のゲームソフトを検索し始めた。今日からはたまのブラッシングという日課さえ終われば、あとは俺の完全な自由時間とする。
「ナォ(……あんた、その板っ切れを眺めてる時の目は、死んだ魚よりひどいわよ)」
「最適解を出した後の休息は、エンジニアにとって最も重要なリファクタリング作業なんだよ。……さて、どれをポチるかな」
俺がまさに購入ボタンに指をかけようとした、その時だった。
「ピンポーン!ピンポン!ピンポン!ピ!ピンポーン!」
来訪者の勢いをそのまま表したようなチャイムの音が、リビングに鳴り響いた。
「ゼクトさんよ!上がらせてもらうぜ!」
現れたのは、ドワーフの血を引く頑固な職人、ガラム親方だった。その後ろには、まるで大型犬のように律儀に控える騎士団長のバルトスと、何やら新しい魔導具を大事そうに抱えたエリシュアの姿もある。
(……ああ、俺の休日が、今、目に見える形でクラッシュした音がした。居留守を使いたかったが、親方の声が物理防御を貫通してきたからしょうがない)
ガラム親方は、抱えていた重厚な木箱を俺の目の前のテーブルにドスンと叩きつけた。
「あんたの言った通り、黒檀を贅沢に使って仕上げたぜ!見てくれ、この『格』ってやつをよ!」
木箱が開かれると、中には磨き上げられた黒檀のチェス盤と、精緻な彫刻が施された駒たちが整然と並んでいた。手に取ってみると、適度な重みと、しっとりとした木の質感が指先に馴染む。俺が取り寄せた日本産のチェス盤の数倍は工芸品としての風格があった。
「……あいかわらずいい仕事だね、親方。これなら、周辺の貴族たちの虚栄心をハックするのに、十分すぎるスペックだよ」
「おうよ!ゼクトさんよ、あんたの出す『仕事』は、キツいがやりがいがある。この駒の一つ一つに、うちの若い奴らが三日三晩かけて魂を込めたんだ。都合二十セット、領主様には納品済みだ」
ガラムは満足げに胸を叩き、そこからさらに一歩踏み込むようにして、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「……だがよ、今回の晩餐会、フェルゼンの大勝負なんだろう?俺たちを、もっと働かせてくれ。あっと驚くようなモノを作ってみせるぜ!」
ガラムが期待に満ちた目で俺を覗き込んでくる。その後ろでバルトスも、鋼のような肉体を僅かに揺らしながら一歩前に出た。
「ゼクト様!私も、騎士団としてこの晩餐会でいかなる『力』を周辺に示すべきか、その仕様を伺いたく参りました!ただ門を警備するだけでは、フェルゼンの誇りを示せぬと、団員たちも鼻息を荒くしております!」
「……わかった、わかったから。そんなに身を乗り出さないでくれ。エリシュアも、その魔導具は一旦置いて」
エリシュアは、自分が開発した新型の魔導ランプを、今にも実演しそうなテンションで掲げていた。
(現場の熱量が高すぎるな。この熱を冷却しない限り、俺の安眠は物理的に不可能だ。……仕方ない、追加のパッチを当てるか)
俺はリクライニングを起こし、しばらくの間、脳内のアーカイブを検索した。周辺の貴族たちは、カジノとインフラの急変に怯えている。必要なのは、強烈な「視覚的インパクト」と「未知の体験」だ。
「……よし。ガラムさん、あんたには『黄金の滝』を作ってもらおう。食事と演出を融合させた、この世界にはない装置だよ」
「滝!?食い物の場に、水でも流すのか?」
「いや、流すのは水じゃない。……チーズだ」
俺は、テーブルの上にあった紙切れの裏に、簡単なシステム構成図を描き始めた。
「三段か四段の円錐状のタワーを作る。中心にポンプを仕込み、温めて溶かしたチーズを最上段まで吸い上げる。そこからチーズが滝のように溢れ出し、下段へと循環し続ける構造だ。これを『チーズファウンテン』と呼ぶ」
ガラムは設計図を食い入るように見つめ、鼻息を荒くした。
「……循環構造だと。この隙間にベアリングを仕込んで、液体の重みを分散させるわけか。面白い。親油性の金属で磨き上げれば、焦げ付きも防げるな。ゼクトさん、こいつは腕が鳴るぜ!」
「エリシュアはそのタワーの底部に、温度を一定に保つための魔導回路を組み込んでほしい。熱すぎればチーズが分離するし、冷えれば固まって詰まる。完璧な温度管理が必要だ」
「承知いたしました、ゼクト様!私の術式で、『ちーず』の状態を常に最適に維持してみせますわ!」
二人の専門家が、俺の出した突飛な仕様書を即座に工学的な課題として処理し始めた。やはり現場のプロは話が早い。
「何を作るのかは分かったんだが、その、『ちーず』……ってのは何なんだ?溶かすって……石鹸の類か?」
ガラムが首を傾げ、バルトスとエリシュアも顔を見合わせた。どうやらこの世界、乳製品としての「チーズ」という概念が一般的ではないらしい。
「……そっか。説明するより、実物を見たほうが早いな。みんなで食べてみよう」
俺はスマホを操作し、ルミナショッピングで最高級のチーズセットを注文した。数秒後に玄関に届いた箱から、芳醇な……人によっては「臭い」と感じるかもしれない香りを放つ塊を取り出す。
「これがチーズだ。エメンタールにグリュイエール。……エリシュア、この鍋の下を一定の温度で熱してくれ。焦がさず、沸騰させず、とろとろの状態をキープするんだ。完璧な温度管理を頼むよ」
「承知いたしました、ゼクト様!術式を固定しますわ!」
エリシュアの魔法で熱せられた鍋の中で、チーズがゆっくりと溶け出し、リビングに濃厚な香りが充満していく。俺は一口大に切ったパンを串に刺し、黄金色の液体に潜らせて三人に差し出した。
「まずは試食だ。……食べてみて。これが、フェルゼン発展の『燃料』になるかどうか」
ガラムが、恐る恐る口に運び……その瞬間、目を見開いて絶句した。
「……なんだこれ。濃厚なんて言葉じゃ足りねぇ。胃袋を直接掴まれるような旨さだぞ……!」
「この、とろけるような食感……。騎士団で普段食しているパンとは、もはや別次元の物質です……!」
バルトスも礼節を忘れ、二口目に手を伸ばしている。エリシュアは、チーズの糸を眺めながら「これをタワーで流すのですか!?貴族の方々、正気を保てませんわよ!」と興奮気味に叫んでいた。
「このチーズは熟成に数ヶ月かかる。それだと晩餐会に間に合わない。だから、本番用は別の二種類のフレッシュチーズを、フェルゼンの牛から絞った牛乳で、自分たちで作るんだよ」
俺はスマホを取り出し、この世界の設備でも短期間で再現可能な『モッツァレラ』、『リコッタ』チーズの醸造プロトコルを検索し、要点をまとめて提示した。
「取り寄せたのはあくまで『見本』だ。自分たちのサーバー……生産ラインを持ってこそ、真の自立だからね。チーズが完成したら、ガラム親方は循環装置を、エリシュアは温度管理を頼むね」




