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パーティー会場のような無駄に広い部屋は、五人で使うにしても大きすぎる。入って三十分くらいは興奮して天井からつり下がったミラーボールを光らせたりしていたが、今は普通に電気を点けて各々が大きくも小さくもない普通の声量かつ普通のテンションで好きに歌っていた。
「よっしゃ九十八点!」
「凄いです李珠さん! 完璧です!」
聴いたことあるようなないような演歌を歌い終えた李珠が採点結果を見て両手を上げると、瑠琉もマラカスをシャカシャカ振りながら場を盛り上げる。私はコップに注いだメロンソーダを飲んで、息を吐いた。
「いや、完璧ではないでしょ。あと二点足りないんだから」
「もー美波ちゃんはー、そんなノリ悪いことばっかり言ってるとー、周りの空気悪くしちゃうぞ?」
「うっ……今のは少しだけ胸に響いたわね」
李珠にだから良いかと思ってつい言ってしまったが、相手が誰であれ盛り上がっている時に言うべきでなかった。これがクラス会なんかだったら、間違いなく陰で悪口を言われる。別に悪口くらい普段は気にしないのだが、罪悪感があるので普通に申し訳なさを感じてしまう。
「え、ごめん」
李珠が豆鉄砲でも食らったような顔ですぐにそう言う。いや何故、李珠が謝るのだろうか。
「大丈夫よ。素直に謝られるとそれはそれで……ああもう、変な空気になったじゃない! 沙希、あんたフライドポテト食べてばっかりいないで歌いなさい!」
「むひょっ? わはひっ⁉」
フライドポテトを口に詰めていた沙希が、急にマイクを渡されてむせる。お茶で喉の通りを良くすると、すぐに首を横に振った。
「む、無理無理無理! 一人で歌うのはほんと無理!」
「何言ってるのよ。ソロパート歌ってるじゃない」
「あれは短いからぁ……」
空気を変えるべくマイクを押し付け合う私と沙希。玲奈が「もー、私が歌おうか?」とお母さんのように言った、その時だった。
「……あれ」
李珠が天井を見上げて呟き、同時に私達も口を噤み、聞こえてくる歌声に耳を傾ける。薄い壁から聞こえてくるそれは、言うまでもなく隣室の人の歌声だ。
「隣、上手いね」
沙希が言うと、玲奈が深く頷く。
「ねー、誰が歌ってるんだろ」
「しかもボカロね。活舌も良い……」
ボカロPとして、ここまでテンポの速い曲を一言一句違わず歌えるのには感動を超えて恐怖心が芽生えてくる。息継ぎをする暇なんかないだろうに永遠と歌詞を舌の上で転がし、単調になりがちだがしっかり抑揚もあり、盛り上がるサビの部分は腹から声を出すだけでなくちゃんと喉が開いた歌い方をしている。
高音が、ビビるくらい出ている。
声を聴くに、歌っている人はたぶん男性なのに。
「……同い年なのかな」
ぽつり。李珠が言った。小さな不安は波紋となって、私達に伝染していく。
「ねぇ、もしあの人がアカペラ歌唱大会にいたら──」
「年齢なんて関係ないでしょ。同い年だろうが小学生だろうが幼稚園児だろうが、それが私達より上手いのなら……充分、注意するべきよ。隣の人に負けるのなら、アカペラ歌唱大会でも負けるわ」
咄嗟に思ったことを口にする。今から負けた気でいるなんて愚かだと、そう、皆にも自分自身にも思ったから。
「そうだね。うん、ほんと、そうだ……」
李珠は俯いて、小さな声で呟くように言う。どんな顔をしているかは解らないが、前向きになれていることを願う。だって、李珠は私達のリーダーなのだ。歌に関しては一番頼りがいのあるリーダーが、真っ先に折れないでほしい。
「よしっ、歌います!」
だが、デンモクを持ったのは、瑠琉だった。
「私、負けるつもりありませんから!」
瑠琉はデンモクを操作しながら、熱い思いを口にする。
「感動したんです、私。沙希さんが高橋さん達に、絶対優勝できるって言った時。あ、私達のこと、こんなに信じてくれてるんだって、私あの時少し不安だったんですけど、全部吹き飛んじゃった……」
「瑠琉……」
じーん、と沙希の瞳が潤んでいる。瑠琉は鼻息荒く、沙希にマイクを向けた。
「なので、歌いましょう。沙希さん!」
「……っ、うん!」
瑠琉に感化された沙希が私の手からマイクを攫う。手持無沙汰になった私は、ふと自分のコップが空になりそうであることに気づき、席を立つ。
同時に、李珠も席を立った。
「……あー、私、飲み物──」
「飲み物なら私が行ってくるわ。ちょうどなくなりそうだったから」
いつもなら李珠に「淹れて来て」と頼むところだが、今日は私が行こうと思った。何故そう思ったのか、詳しくは自分でも解らない。なんとなく、今、瑠琉と沙希の歌を聴くのが嫌だったのかもしれない。
きっと今の二人なら、私なんかより遥かに眩しい歌を聴かせてくれるのだろうから。
ああ、馬鹿みたい、私って。
沙希も瑠琉も成長しているなんて、上から目線に偉そうに。
私はどうだって話なのに。
「あ、美波っ」
二人分のコップを持った私を李珠が呼び止めた。
「なに?」
振り返ると、沈痛な面持ちをした李珠がいた。
「ほんと、ごめんね」
一瞬何のことか解らなかったが、先ほど私が少しだけ本当に傷ついたことを言っているらしい。李珠はこんなに気にしいな性格だったかと、首を傾げながらも敢えていつもの調子で返す。
「はぁ? いや、本当に気にしていないから。何よ、しおらしくなっちゃって。気味悪いわ」
なんだか居心地が悪くなって、逃げるように部屋を出た。
ドリンクバーは階下にあるので、少しだけ時間が稼げる。ゆっくりとした足取りで向かい、まずは私の分の炭酸をコップに注ぐ。
そういえば、李珠は何を飲むのか訊くのを忘れていた。さっきは何を飲んでいたっけ。
「すいませーん、ちょーっと失礼しまーす」
私が悩んでいる間に、後ろの人が私を追い越し、ドリンクバーの前に行く。私は待たせてしまうのも悪いかと思い、素直に譲る。
「あ、はい。どうぞ」
目の前の人がコップに水を注ぐのをぼーっと眺めながら、李珠が飲みたそうなものを私は考える。炭酸は嫌がるだろう。李珠は気持ちよく歌いたいだろうから、喉に絡みそうなものはNGだ。とすると、無難にお茶か水か……。
「……あのー」
「はい?」
特に不審な行動をとっていた覚えはないが、目の前の人──私と同じ高校生っぽい少女にじっと見つめられて、私はやや後ろに下がる。睨まれているわけではないと思うが、何やら不満を抱えていそうな、そんな瞳。
あれ、どこかで会ったことがあったか。
「あれ? あれれ? うーん、あれ? もしかして、私の勘違い?」
「は? 何が……」
「いや、いやや、そんなわけない。だって私、一度見た顔の人は絶対覚えるもん。それに、こんな天然美を間違えるわけないってゆーかー」
一人でぶつぶつ言っているが、私に何か用があるらしい。無視するわけにもいかずじっと待っていると、突然、少女は私をビシリと指さした。
「ズバリ! あなたの名前は清瀬美波ちゃん! だね?」
無論、私の名前は清瀬美波だ。が、何故知っているのだろう。これが男性であれば警察の二文字が頭を過るところだが、この子は同い年くらいの少女。集団ならリンチの三文字が頭を過るところだが、少女は今一人しかいない。それに、リンチされる覚えなんてない。
「……え、どうして」
「どうしてもこうしても、Sky′sの動画を見たからね! あ、本名知ってるのは、調べたから! いろんな人に聞きまくって、ようやくたどり着いたの、昨日」
なるほど。Sky′sの動画を見た……。チャンネル登録者数が六〇〇人しかいない、マイナーもマイナーな私達の動画を見た……。そこも驚きだが、そこだけじゃない。
「調べた? どうしてですか?」
「どうしてって……うわー、何と言うか、うん。薄々そんな性格なんじゃないかとは思ってたけど、まさかドンピシャだったとはね。うん、よし、私が教えないと永遠に話が前に進まないだろうから、教えましょう!」
なんか失礼なことを言われたような気もするが、私は黙って教えてくれるのを待つ。
「ズバリ! 私の名前は電明千晶! よろしくね!」
電明さんはそう言うと、にこぱっと人好きのする笑みを浮かべ、ウインクした。が、私は名前を言われてもピンとこない。
「でんあき、さん? 珍しい苗字ですね」
「とっとっとー? あれ? あれれ? ここまで教えても解らない?」
解らない。電明なんて珍しい苗字なら、一度聞いたら私でも忘れることはないと思うが。
「……むぅ。PoriJoy! PoriJoyの、電明千晶! 巡逢高校二年生、軽音楽部のベース担当!」
まくしたてるように言われ、私はようやく思い出した。電明千晶という名前には覚えがない。今初めて聞いた名前だが、PoriJoyは知っている。今日知った、チーム名だ。
「ああ、アカペラ歌唱大会の……」
「おっ、やっと解ってくれたみたいだね。にしても、敵情視察とかしてないわけ? そっちのチームは随分とマイペースというか、のんびりやさんなんだね。それとも、強者の余裕的な?」
「いえ、強者の余裕みたいなものはないですけど……。ん? あれ、もしかしてPoriJoyさんは、Sky′sのことを以前から知っていてくれてたんですか?」
「以前からっていうか、先週から? ほら、出場メンバーの一覧表を打ち合わせの時貰わなかった? 私達PoriJoyは貰った瞬間から全チームのことを調べ上げて、対策を練ってたんだよ」
そういえば、先週の打ち合わせの時にスタッフさんからそんな一覧表を貰っていた。ざっと目を通して李珠に預けてしまっていたが。
「対策って……歌うまバトルなんだから、対策も何も、自分達の実力をぶつける以外にできることなんてないと思いますけど」
「それがあるんだなー、それが」
ちっちっちと電明さんは指を振る。
「例えば、試合前に相手のメンタルをぶっ壊しておく、とか」
「そんなことをしないと勝てないんですか? 随分と自信がないチームなんですね」
「うっ⁉ ……ぐぅ、あぶな、こっちのメンタルが壊されるとこだったよ……」
胸を押さえて呻く電明さん。弱いメンタルだ。
「えぇっと、つまり電明さんは、私のメンタルを壊しにきたんですか? ああいや、流石に勘繰りすぎですね。同じカラオケにいる時点で、ただの偶然なんでしょうし」
本当に私のメンタルを壊しにきたんだとしたら、真正面からメンタルをぶっ壊すなんて堂々と宣言したりはしないだろう。電明さんはただ、ライバルとして交友関係を築こうとしてくれているだけ。お互い頑張ろうねと、そう言おうとしてくれているだけ。
なんて、甘い考えが脳裏を掠めた時。電明さんの低い声が落ちた。
「もし、そうじゃないって言ったら?」
「え?」
思わず空の方のコップを落としそうになった。私の表情が面白かったのか、電明さんは獲物を狩る蛇のように目を細めて笑う。
「言ったじゃん。敵情視察、だよ。あなた達がテレビ局から帰る道すがら、カラオケ行こうって話が聞こえてきたからさ。じゃあうちらも行って、敵さんの歌唱レベルを把握しておこうと思って。ほら、動画で聴くのと生で聴くのとじゃ、全然違うから」
「……隣の部屋にPoriJoyさんがいたのも」
「ただの偶然じゃない、必然だね。だって、私達が店員さんに頼んだし」
思わず口を開けた。じゃあ、PoriJoyは最初から私達の後をつけていたということになる。
「それ、よく店員さんオッケーしましたね」
「隣が友達なんでーって言ったらあっさり。あのバイト君は駄目だね。適当すぎる。ま、助かったけどさ」
「……そうですか」
ストーカーされていた件は、特に何も思わない。どうでも良い。そんなことよりも、気になることがあったから。
「あれ? あれれ? 訊かないのー?」
私の心中を見透かしているのか、電明さんが演技っぽく首を傾げる。
「何をですか?」
私は敢えて、何も知らないフリをして答えた。なんとなく、この人の罠にかかってしまうことが嫌だったから。それと、訊かなくとも答えは解るような気がしたから。
それでも、電明さんは踏み込んできた。
「私達、Sky′sの歌はどうでしたか、って」
電明さんが私の瞳をじっと見つめてくる。私はなんとなく逸らす。が、逸らしたのが間違いだった。電明さんの笑みが深くなる。
「ふーん。その様子だと、訊くまでもなく理解してるって感じだね。あー、ならこっちから話しかけなくても、勝手にメンタル病んでたっぽいねー」
「別に、病んでませんよ。これしきのことで」
「え、そうなの? 私ならクッソ病むなー。勝負前から負けが決まっちゃうなんて、涙が出ちゃう。棄権しちゃうレベル」
電明さんはハッキリ言った。私達が、Sky′sが、負けると。
「あーあ、Sky′sと対決したかったけど、うちらはBブロックだもんなー。ざんねーん」
「Sky′sとそちらが勝ち上がれば、戦えますよ」
「うーんでも、Sky′sさんは勝ち上がれるかなー? 穂條李珠がいるから残りの四人も歌うまかと思ったけど、隣から盗み聴きしてる感じ、そんなだったし。ま、所詮は穂條李珠ありきのチームってことだよね。アカペラ歌唱大会に出場できたのも、穂條李珠ちゃんのおかげ?」
「は? どういう……」
何を言われているかは解っている。だが、本気で言われているのかは判別できなかった。Sky′sのリーダーは、ボスは、李珠である。歌もダンスも存在感も李珠が一番で、私を含めた他四人はそれに追いつこうと努力している。今のSky′sは確かに、李珠がいるから成り立っている。
けれど、それでテレビ出演が叶ったわけではない。アカペラ歌唱大会に出場できたのは、李珠だけじゃなくて五人の力があったから──。
「まさか、本気で自分たちの実力で審査に通過したと思ってるの? だとしたら、相当甘ちゃん。良い? 舞台はテレビなんだよ?」
五人の力で、成し得たことだと。そう、思っていたのに。
「昔に比べたらそりゃーやらせは減ったけど、完全消滅したわけじゃない。高校生限定アカペラ歌唱大会なんて超絶人気番組に出るための条件なんて、二つしかないよ。一つは超絶歌が上手いか。そしてもう一つは……」
電明さんは、逃がさないというように私の目を見て、言う。
「誰もが目を惹く、超絶面白い子がいるか」
まるで、お前は面白くない。お前はいてもいなくても変わらないと、そう言うみたいに。電明さんは私に、電明さんなりの、私が信じたくない真実を告げてくる。
「面白い、にはいろんな意味があるよね。言葉通りの面白い奴か、或いは……穂條李珠みたいな子か」
「……どういう意味です?」
「見世物ってことだね。言葉を選ばずに言うと」
本当に言葉を選ばずに電明さんはそう言う。けれど、その通りだと私も思った。解っていた。テレビ局側が、李珠をどんなふうに感じているか。思っているか。李珠の価値が、他の高校生と違うことくらい、私にだって。
「今日のくじ引き大会、面白かったよねー。みーんな穂條李珠のこと見てたもん。それと同時に、あなた達にも注目してた。歌はそんなだけどダンスはクッソ上手い一条沙希、可愛いけど可愛いだけの神北瑠琉、容姿は華やかだけど存在感はない来栖玲奈、そして……美人だけど素材を活かしてないせいで台無しになってる、清瀬美波」
「……もしかして、喧嘩売ってます?」
「さあ? そんなつもりはないよ? 私はただ、事実を言ってるだけ。穂條李珠は容姿も運動神経も歌唱レベルも存在感もアイドルのそれなのに、他四人はてんで素人。ただの一般女子高生って感じ」
放っておけば好き放題言ってくれる。沙希のことも瑠琉のことも玲奈のことも、李珠のことだって解っていないくせに。そう、解っていない。Sky′sの動画を見てくれた電明さんが解っていないのなら、他の視聴者にだって、テレビ局の人にだって、これからSky′sを知ってくれる人にだって、解ってはもらえないはず。
解ってもらえないなら、それが評価になる。それが、Sky′sになってしまう。
「おっと、そんなに睨まないでよ。怖い怖い。怒るなら、私より可愛くなってからにしてね? せめてお化粧くらい覚えたら? 穂條李珠の隣に立っても不自然じゃない見た目になってから、Sky′sの一員として威張りなよ」
電明さんはそう言って、水の入ったコップに口をつける。そしてもう一度ドリンクバーで水を入れた後、炭酸飲料が入った私のコップを小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「じゃ、頑張ってね、うちらはそろそろ帰るから。じゃーねー」
炭酸には追求せず、もう用はないと電明さんは階段を上がって行く。私は無言で、電明さんの背中が見えなくなるまで立ち止まっていた。
電明さんは、間違ったことは言っていなかった。このままじゃSky′sがアカペラ歌唱大会で負けてしまうことも。李珠以外の私達に実力がないことも。
間違っていないのなら、怒る道理なんてない。いつもの私なら素直に受け止めて、じゃあどうしていけば良いかを、冷静に考えられるはず。なのに。
コップに入れた炭酸を一気に飲み干した。ぷはぁと息を吐いて、私はそこに水を注いだ。コップを握る手に力が籠る。
ああ、きっとこれは、悔しいという感情なのだと。李珠のコップに水を注ぎながら、下唇を噛みしめた。




