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Sky’s  作者: 白咲実空
#10.ヒビキ
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80/101

7

 香ばしいソース、炭火で焼いたのであろう煙、誰かの香水、いろんな香りが混ざっている。午後七時十五分。夕暮れと夜空の狭間で揺らぐ明るいのか暗いのか定かでない景色に、提灯の明かりと鮮やかな浴衣の模様がやけに目についた。と思えば今度は子供の泣き叫ぶ声に気をとられ、次の瞬間には私達にカメラを向ける知らない人に目が移る。恐らくただの思い出作りのために録画しているのだろうが、無断撮影はご遠慮願いたい。

 優しいベージュ色の木で作られたステージに、下から照らすタイプのライトが複数置かれている。足を引っかけないように注意しながらポジションを探し、急激に襲ってきた緊張を和らげるため軽く息を吐く。大丈夫。私は可愛い私は可愛い私は可愛い。準備中に何度も小声で呟いたおまじないを心の中で繰り返す。サイドテールを結んだ花飾りに、そっと触れる。

「それではSky′s(スカイ)の皆さん、簡単な自己紹介をお願いします!」

 MCが言うと、真っ先に李珠りずが口を開いた。

「えー、皆さんこんにちはー! 既にお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、某アイドルオーディション番組に出ておりました、穂條李珠ほじょうりずことりずという名で、Sky′sというアイドルグル―プにて活動させていただいておりま……ん? させていただいてるはおかしいですね、えっと、しています! りずです! よろしくお願いしまーす!」

 なんだ、簡単な自己紹介って、本当に簡単じゃないか。てっきり趣味とか夢とか目標とかを盛り込むのかと思っていたけど、そうだよね。学校の自己紹介でもなければ面接でもないんだから。

李珠の次は、隣に並んでいる玲奈れいなが自己紹介タイムに入る。どうやらお客さんから見て左から順番にしていくこととなったらしい……あれ? ということは、私最後じゃん。え、どうしよう。並ぶ順番なんか決めてなかったから適当に出てきちゃったけど。え、最悪無理。

「く……っと、危ない危ない。りずにつられて本名言いそうになっちゃった。まぁ本名バレても別に良いんですけどね、一応隠しておこうということで……えー、改めまして、れいなです。歌もダンスも未経験に近いですが、精一杯頑張りますので応援よろしくお願いします」

 あれ、待って。この自己紹介、趣味も目標も盛り込んでないけど、なんか名前以外にもちゃんと言ってる。こう……場の空気を読んで臨機応変な自己紹介をしている。え、無理無理無理。私にそんな高等技術は持ち合わせていない。どうしよう。全然簡単な自己紹介じゃなかった。

「こんにちは、ではなくこんばんはですね。るると申します。えーっと、緊張してて上手く呂律が回らないんですけど、応援して、もらえると、助かり? ます? あはは……」

 良かった、仲間がいた。そうだよね、こういう場で上手く喋れる方がどうかしてるんだよね。

「るるちゃんかわいいー!」

 と、その時だった。舌っ足らずかつやけに高い子供の声が聞こえ、観客と私達がそちらを見る。幼稚園児くらいの女の子が、瑠琉るるを指さして「かわいいー!」と騒いでいた。客席は瑠琉への拍手で包まれ、瑠琉は「あ、ありがとうございますっ」と照れ笑いを浮かべている。駄目だ。仲間なんかじゃなかった。

「みなみです。よろしくお願いします」

「えっ、そんだけ⁉ みじかっ」

 美波みなみの自己紹介には李珠がツッコミを入れ、客席からは笑いが生まれる。澄ました顔でバトンを渡してくる美波は、それはもう堂々とした佇まいをしていた。少し仲間意識を感じていたが、違った。美波は美波であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。

 心臓が煩い。病気なんじゃないかってくらい煩い。どうしようどうしよう。何を喋れば良いの。ピンマイクの位置を確認するように手を動かし、時間稼ぎをする。が、そんなに稼げるわけもなく、何も思いつかないまま取り敢えず口だけを開いた。

「さ、さきです……。うぇっと、えーっと、えっと……だ、ダンスが、好きで……」

 しまった、好きなものの話とかどうやってオチをつけたら良いのか解らないじゃん。ダンスが好きで、好きだから何? 振り付けの話でもする? でもそしたら皆より長くなっちゃう。あー、早くパフォーマンスに移行しないといけないのにぃ……。

 魚のように口をパクパクしていると、背中にそっと誰かの手が回された。考えるまでもなく一人しかいない。隣に立っている美波だ。ゆっくりと私の背を撫でる美波は、私の顔を見るでもなくじっと正面を見つめていた。

私も同じ方を向くと、当たり前だが観客がいる。子供からお年寄りまで、百はありそうな客席はゆうに埋まり、後ろにも立って見ている観客が、大勢いる。それは、思い出したくない文化祭の日を想起させた。皆が私を、興味深げに、不安そうに、私を嗤うように、見つめていた。

「あ、う……」

「怖くない」

 美波が、ピンマイクに乗らない程度の声量で、ぼそりと呟いた。

「ここにいる人達の九九・二パーセントくらいは、私達のことなんか知らない。知らないから、怖がる必要なんかない。でしょ?」

 ……どうして、気づかなかったのだろう。背を撫でる美波の掌が、ほんの少しだけ震えていることに。

 ぐるりと、辺りを見渡してみる。横にいる李珠、玲奈、瑠琉の表情を確認する。李珠は、笑みを浮かべているけれど、いつもの笑みじゃない。瞳の奥が笑っていない。口角は上がっているが、唇はきつく閉じられている。玲奈は無意識か、握り拳をつくっている。瑠琉は両手の指を絡め、落ち着かないのか足の位置を変えたりしている。

 そっか、皆、怖いんだ。

 ──もし今回の夏祭り、参加できないってことになったら、それはそれでしょうがない。受け入れるしかないよ。沙希だけのせいじゃない。全員の力不足ってことで乗り越えるしかない。

 李珠の言葉を思い出し、唇を閉じて唾を飲みこむ。

 私だけじゃない。この苦しみは、私だけのものじゃない。皆で乗り越えるものなんだ。

「さ、さきです。……って、それはもう言ったか。え、えと……」

 大丈夫。私は一人じゃない。

「Sky′sというアイドルグループで、活動しています! YouTubeで検索したら出てくるので、チャンネル登録と高評価、良ければコメントもお願いします!」

 勢いに任せて、私は自己紹介……というよりかはグループ紹介を終えた。一秒の沈黙が生まれた後、

「ちょっとさき! それ私の台詞だから!」

 と李珠が笑顔でツッコミを入れる。客席から笑い声が上がり、私も安心から笑みが浮かぶ。客席を見ていると、多くの人がスマホを片手にポチポチしていた。Sky′sを検索してくれているのだろう。

 自己紹介タイムは終わり、次はいよいよパフォーマンスタイムに入る。設けられた時間は五分。私達が披露する曲は、先日茨城まで行ってMV撮影をした新曲、『ヒビキ』。

 正確な位置に立ち、目線は少し下げる。暑い。心臓がまだ煩い。誰の耳にも届かない声で、最後に、「私は可愛い」と呟いた。

 足元の影が濃くなる。反比例するように、足元の照明が光を増す。

 客席前に並んだカメラマン、その横にしゃがんでいる男性が、三、二、一、と指で合図をつくる。

 指が〇の形になった瞬間、無意識に、勝手に、私の足はダンスを踊るべく動き出していた。

 ほとんど、何も考えていなかった。

 ただ、目の前の景色を見て、何処かから流れてくる香りに身を任せて、胸の奥から湧き出る熱い何かに従って、踊る。指先は伸びているか、表情の管理、ジャンプの高さ、変わるポジション、いつもは意識することを、全部放り出して踊る。なのに何故か、ミスはない。間違えない。あれだけ練習してきたんだから。大丈夫、踊れてる。まだ、踊れる。

 ダンスの出来栄えに自信があったからか、歌声もいつもより調子が良い。序盤は緊張でやや震えていたが、一番のサビに入る直前くらいで喉に詰まっていた禍々しい塊が消えた。

「置いてかれそうになる 五線譜に 振り返って小憎らしい笑みを浮かべている」

 美波が歌う。

「憎しみも屈辱も 恥ずかしさも 全部全部僕らの仲間さ」

 李珠が歌う。

「応援が道を作り 批判が背を押すこともあって だけどもどちらもどう受け取るかは自分次第」

 瑠琉が歌う。

「目を閉じて 真っ暗闇も愛そう 愛さなきゃやってられない世界なんだから!」

 玲奈が歌う。

 短いベースが二番のサビへと繋がる。

 私も大きく息を吸い込んで歌う。喉じゃない、腹から声を出す。ワンフレーズが終わる度に手拍子が入る。悪いと思いながら、少しだけ振り付けにアドリブを混ぜてみる。すると、李珠がステップを変えた。美波は歌声をワントーン高くし、瑠琉は眉を下げ困った顔になるも衣装の裾を摘まんでスカートを翻す。玲奈は敢えてなのか、冒険はせず練習通りに歌って踊る。だが、笑顔はとびきりだった。

 私達五人が、光を追いかけて走っている。同じ光を、目指して。

 初めて覚える高揚感が脳を穿った。手を、足を動かす度、心が揺れ動く度に、全身を熱が迸る。もっと、もっと踊れるはずだ。もっと、歌っていたいし踊っていたい。

 まだ、もっとこの時間が続いてほしい。

 サビに入る前のCメロ。私から始まる音を、響かせる。

 響かせようとした、時だった。

「……っ」

 声になるはずだった空気が、唇を抜けて飛んでいった。

 声だけじゃない。動きも、一瞬、止まった。ほんの一瞬だったはずなのに、それはライブを崩壊に導くには容易いきっかけとなった。

 ただ少し、気を取られてしまっただけ。かつて私が着ていた制服と同じ制服を着た女の子が二人、彼女達を視界に入れた瞬間、吸い寄せられて動かなくなった。私に向かって指をさす彼女達の顔に、見覚えはない。当然だ。今中学生ということは、私と同い年ではないのだから。

 だから、気にする必要はない。人目は、克服はできずとも多少なりともマシにはなったはず、なのに。

「……沙希さきっ」

 玲奈の切羽詰まった声が、マイクを通してステージに響き渡った。脳が理解するより早く、私の身体が後ろにいた瑠琉とぶつかった、衝撃が走った。瑠琉の肩と私の背中が擦れ、身をよじった瑠琉は何とか踏み出した足を地に付けて止まったものの、私は空気を泳ぐと後ろからそのまま転倒。お尻に鈍い痛みが走り、かつてのトラウマが呼び起こされた。今年の四月。体育の授業で李珠とダンスの練習をしていた時。あの時も確か、尻もちをついて転んだのではなかったか。

 ああ、またか……。身体を支えようと床についた掌が痛い。否、掌ではなく手首だ。捻ったのだろうか。身体が痛みを受け入れ始めた時、私は今の状況も改めて理解した。

 流れ続ける音楽には、誰の声ものっていない。お客さんの手拍子も、声も止まり、次第にざわめきが大きくなっていく。MCのお姉さんがカンペを持ったスタッフと何やら身振り手振りで意思疎通を図っている。

 李珠が、美波が、瑠琉が、玲奈が。戸惑った様子で私を見ている。

 私は、動けずにいる。

 どうしていつもこうなの? せっかくステージに立っているのに。せっかく皆、今日のために練習してきたのに。私だけのライブじゃない、皆のライブなのに。

 私のせいで全部台無しになった。全部、崩壊した。

 震える。人目に怯えるだけのものじゃない。責任が、プレッシャーが、戸惑いが、恐怖が、焦りが……前の方の席に座っているママといつき、樹の友達であろう男の子の集団を見つけて、更に冷たい汗が全身に広がる。

 ……どうして、私はいつもいつも。どうして、いつもこうなの。

 どうしてどうしてどうしてどうして。私は、好きなことができないの? 諦めろって、ことなの?

 どうして──。

「好きだって言う人がいる」

 李珠だった。私の歌唱パートを、李珠が、歌っていた。李珠だけが踊り、歌う。ざわめきが止まり、お客さんが私から李珠に視線を移す。李珠は、強張った表情ながらも力強い声で歌う。

「僕らの声を必要とする誰かはきっといる 悪い言葉ばかり耳にしてしまう昨今 それでも光る言葉もきっとある」

 李珠に続いて、美波が、瑠琉が、玲奈が、動き出す。もう一度、ダンスが、歌が始まる。止まっていた時間が、熱をもって再び流れ始める。お客さんが息を飲んで、私達に注目している。不安、嘲笑、そんな陰もある。だけど確かに、応援、期待といった光もあった。

 目に映る景色の色が変わる。鮮やかに色づいたセカイを見つめていると、視界の端に綺麗な指先が入り込む。李珠が、私に手を差し伸べていた。

 次は李珠が歌うパートだ。けど、既に李珠は私のパートを歌い終わっている。だったら次は、私の番だった。

 恥ずかしい、逃げてしまいたい、そんな感情より、続けたい、踊りたいの気持ちが勝った。

 李珠の手をとり立ち上がる。諦めたくなかった。だって、好きなんだから。

「……っ、腐っちゃいないのよヒューマニズムっ!」

 声を震わせながらも、視線だけは前に持っていく。

「僕は僕らの歌を 想いを信じて 歌うんだ!」

 伸びやかな歌声が響く。どこまでも、響かせる。例え真っ暗な空に溶けてしまっても、聴いている人達の心にはいつまでも残るよう、刻みつけるように、歌う。

 喜びか悲しみかそれ以外の感情か、よく解らないままに涙を流していた。熱くなる目尻を拭って、歌い、踊る。今この瞬間だけは、それだけに注力する。他のことなんてどうでも良い。私は、やり遂げる。

 サビを五人で歌う。私の声だけじゃない。五人だけの声でもない。お客さん、足を止めて私達を見ている通行人、MCのお姉さん、運営の皆さん。歌が、歓声が、手拍子が、全てが合わさって音を奏でる。このセカイに、ひとつしかない音を。

 本当は静かに歌う箇所も、控えめに歌うパートも、全てを全力で歌いきった。全員が、出せる限りの声を一滴残らず出し絞った。

 終わりは爽快で、涼しい熱気がステージを中心に淡い残像を残していた。

 呼吸が、マイクにのる。一筋の汗が首を伝った。最後のポーズを崩し、本当の意味で曲が終わった。そして、拍手が鳴り響くであろう直前の、僅かな隙を狙って、私は大きく口を開けた。

「……今度はっ」

 突然の大声に、熱気に穴が開いたような様子で皆が私に注目する。再びざわめき始める客席に向かって、空気を裂くような声で、告げる。

「次はっ、絶対っ、大成功のライブにしてみせます! だからっ、また来年、よろしくお願いしますっ!」

 勢いよく頭を下げると、続いて、「よろしくお願いします!」と仲間の声が響いた。四人の声に、胸がきゅうっと熱くなる。

 盛大な拍手が鳴り響いた。「がんばって!」「待ってるよー」「応援する!」「また来年!」とそんな声も聞こえてくる。顔を上げると、客席の前列から山内やまうちさんが親指を立てて笑みを浮かべていた。隣に座った美坂みさかさんと江口えぐちさんも、顔を綻ばせて拍手をしている。

 私は泣きそうになる涙腺をきゅっと締めて、笑う。

 足元のライトは、もう眩しくない。心地良い光の渦の中、私達はもう一度礼をした。

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