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Sky’s  作者: 白咲実空
#10.ヒビキ
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77/104

4

「ビラ配り?」

 首を傾げると、「そう!」と元気の良い返事がきた。李珠りずは私にチラシの束を渡すと、説明を始める。

「今朝市民会館に行ってね、美坂みさかさんにお願いしたの。花雫かだ祭りのビラ、良かったら配らせてくれませんかって」

「花雫祭りのビラ配りなんてされているところ、見たことありませんけど……」

 花雫町出身の瑠琉るるがビラを見て記憶を掘り起こす。私も、花雫祭りもそうだけど地元のお祭りのビラが配られているところなんて見たことがない。

「確かにこういう地元限定のビラって、配るっていうより何処かのお店でご自由にどうぞーって感じで置かれてるイメージがあるけど」

 そうそう、そんなイメージがある。が、李珠はそれをわざわざ配ろうと言う。フリーステージに立てるかもまだ決まっていないし、お給料が発生するわけでもないのにどうしてそんなボランティアをするのかというと。

「けど! 沙希さきの人目慣れ訓練には、持って来いだと思わない⁉」

 私のためだった。まぁ、なんとなくそんな気はしていましたケレド。

「……でも、李珠、あの、わざわざここでやらなくっても」

 私は今自分が立っている場所の景色を見渡して、ひくりと唇の端を引きつらせる。が、李珠はお構いなしと言った感じで「のんのん!」とアニメのキャラクターみたいな台詞を吐く。

「彩ヶさいがやのお祭りなんだから、彩ヶ谷以外の地域からも足を運んでもらいたいでしょ? 明日は美波みなみの地元、透映とうは市でやるから、今日くらいはここで我慢して!」

「でも……」

 わざわざ、陽繋ひけい市でやることはないだろう。陽繋市羽歩はぼ町、実家とは別の地域だが、普通に私と玲奈の地元だ。小学生の頃はここらの公園によく遊びに行っていたし、友達……だった知り合いも何人かここに住んでいる。

「二人と三人に分かれる形でやろっ? チームは私が勝手に決めたんだけど……、えっと、私と美波と沙希で一チーム、玲奈れいなと瑠琉で一チームって感じでオッケー?」

 オッケーじゃないって。もし、知り合いにあったら。私を苛めていた人達に出くわしたりしたら堪ったものではない。先日苛めの過去を打ち明けたばかりなのに。

 配慮が足りない、と感じるのは私の我儘なのだろうか。

 結局何も言えないまま、配られたビラの束を握りしめる。私は李珠と美波に羽歩町を案内しながら、誰かいないか一応探す。因みに玲奈と瑠琉は羽歩町横の地域に行った。

「あっ、あそこのラーメン屋さん美味しそう!」

「いや、普通のラーメンだよ? まぁ美味しいけど……」

「都会のラーメン店はすぐ潰れてしまうけれど、こういう田舎で続いているラーメン店はけっこう美味しいものよ。後で食べに行きましょう」

 お昼を食べて集合したばかりだというのに、美波の腹の虫が鳴る。私は苦笑を零しつつ、周囲を警戒して歩く。できるだけ住宅街は避け……たかったが、ここらは住宅しかない。公園に向かっても良いけど、もし誰かいたら? 知り合いの妹か弟がいたら? 告げ口される。今日のお昼、一条いちじょうさんとこの不登校だった子が公園にいたー、なんか祭りのビラ配ってたー、とか家族に言って、それが近所に広まり母校に広まり……あれ、待って。もしそうならなかったとしても、夏祭りは女子高生にとっての大イベント。来る人は、遠方だろうがお祭りに来るのではないだろうか。

 え、どうして気づかなかったんだろう。そうだ、バレるじゃん。私がYouTuberってこと、もう一度ダンスを始めたこと、歌って踊るアイドルをしていること。

 バレたら、どうしよう。嗤われるのは確定だ。こんな奴がアイドル? って、絶対──。

「沙希?」

 気づくと、李珠と美波が随分と前に立っていた。私は二人の先に視線を送る。誰かいないか、知り合いがいるのではないか、ビラ配りのことなんて忘れて、頭のキャパが突如訪れた危険信号に引っ張られる。

「ちょっと、また顔色悪いじゃない? 熱中症? それとも緊張?」

「あちゃー、やっぱ地元でビラ配りは不味かったか。ごめんね、沙希。ちょっと休んでいく?」

 まだ、一枚も配っていないのに。李珠は罪悪感を覚えているのか、「貸して」と私からビラを貰おうと手を伸ばす。けれど私は、咄嗟に、ビラを持つ手に力を籠めた。

 赤いランプが灯っていた危険信号が徐々に、薄い色を取り戻していく。ゆっくり深呼吸すると、見慣れた風景が視界に、鮮明に映ったような気がした。

 クリアになった頭を振り、私はビラを抱きしめる。

「だい、じょうぶ。配ってみるから、頑張らせて」

 昨夜、決意したばかりではないか。私が変わらないと現状も変わらない。私は皆のために、私のためにも変わってみせるんだって。

 震えた声で、足で、私は小さく、弱弱しくも確かに強い一歩を踏み出した。


 車が行き交う道路沿いの歩行者道を各々の姿が視認できる程度に散って、ビラを配る。田舎とは言え学生が住む家々が並んでいるところなので、それらしき姿を見かけたら電柱の影に身を潜める。逃げたら意味がないのは解っているけれど、小学生相手ならまだしも中学生、ましてや高校生なんて見かけようものなら心臓が一気に激しく乱れ始める。

「あら、花雫祭り?」

 散歩をしていたらしいお婆ちゃんが、私のビラを覗き込んでそう言った。私はすかさず、「はい!」と大きな声で返事をしてしまう。恥ずかしくなる頬を俯かせながら、ビラを渡す。

「こ、今度、もしかしたら、たぶん、まだ決まってはないんですけど、フリーステージに出られるかも、しれないので、も、ももも、もし良かったら、どうぞ。出ない、かもしれないんですけど」「ハッキリしないわねぇ」

「あぅっ」

 お年寄りって正直な方が多いよなぁ。私の脆いメンタルに擦り傷ができたが、お婆ちゃんの微笑みを見るとすぐパニックだった脳みそが安堵に変わった。私、単純すぎる。

「そう。フリーステージに出るの。ふーん、そう」

「で、出ないかもしれないし、出るかもしれない……。この前オーディションが終わって、結果待ちで……。あ、えと、私がミスしちゃったから、あ、グループで出るんですけど、出られないかも」

 自分でも何を喋っているのか解らなくなってきたが、沈黙が生まれないよう必死に喋った結果、やはり沈黙は生まれてしまった。お婆ちゃんはビラをじっと見て、次に私を見る。ビラには昨年の花雫祭りで開催された浴衣コンテストにて優勝を収めた美人なお姉さんが勿論浴衣姿で映っているので、あまり比べるようにじろじろ見ないでほしい。

「あぅ……え、えぇっと、夏祭りと言えば、金魚すくいとか──」

「あんたも可愛いねぇ」

 あっぶな、勢いに任せて小学生の頃夏祭りの金魚すくいで捕まえて来た金魚がなんだかんだ七年間生きているとかいうクソどうでも良い話をするところだった。で、なんだって?

「最近の若い子は皆、綺麗な顔をしとるねぇ」

「あ、えっと……ありがとうございます」

 って、何照れてるの私! このお婆ちゃんが言った可愛いの主語は私じゃなくて、私も含む最近の若い子なんだって! あれ、でも私も含まれてるってことは、やっぱり照れて良い局面、なのか?

「あんた腕ほっそいねぇ。なぁに食べてんの?」

 お婆ちゃんが私の腕をとって言う。そ、そうですかね? えへへ。

「だ、ダンスを少々……。運動が、得意でぇ」

 やばい、まんざらでもない感じマシマシで言ってしまった。実際そうなんだけど。お婆ちゃんは、「運動かぁ。良いねぇ」と感慨深そうに薄い感想を述べると、ビラを持って「ほんじゃあね」と去って行ってしまった。きゅ、急だな。私と話すの、退屈だったのかな……。こういう時、李珠なら長く会話を続けられるんだろうけど……っていかんいかん! またネガティブになってるし! 今日は頑張るって決めたんだから!

 気を引き締め直し、ビラ配りを続ける。

「か、花雫祭り、八月二十九日、三十日開催でーす」

「あら、とっても面白そうね。家族と行かせてもらうわ」

 公園の前で犬の散歩をしていた女性が、笑ってビラを受け取った。

「花雫祭り? 彩ヶ谷は小学生だけじゃ駄目だから、ママとパパ誘ってみるね」

 駄菓子屋の前で駄菓子を食べていた少年が、ぎこちない手つきでビラを受け取った。

「フリーステージ出たかったなぁ。来年出ようぜ。俺とお前で」

「出て何するんだよ。高校の文化祭で漫才やって大スベりしたの、忘れた?」

 信号待ちをしていた会社員の若い男性二人が、自ら声をかけてくれてビラを受け取った。

「フリーステージ、出られると良いね。心配しなくてもきっと大丈夫よ! 上手くいくって!」

 焼肉屋の店先で休憩をしていた女性の店員さんが、私の背中を叩いてビラを受け取った。

「この暑い中ビラ配り、大変でしょう? あなた、ほらさっきの」

「ああ、これな。冷えてるから、持って行きな。良いって良いって。ビラと交換、な?」

 素敵な老夫婦が、買い物かごを家の中に持って行く前に、お茶のペットボトルを渡してビラを受け取った。

「えー、ちょうどお祭りやってないか探してたんですー。友達連れて絶対行きます!」

 マンション前の広い駐車場で大学生らしいお姉さんが、嬉しそうにビラを受け取った。

 時には無視をされ、ビラを受け取ってくれないこともあった。その度に傷つきはしたけれど、もし私が逆の立場だったらと考えると、わざわざ遠いところのお祭りになんて行かないし、ビラなんてひたすら地面を見つめてスルーに徹していただろう。だから、途中からは気にならなくなった。無視をされることが当たり前で、偶に受け取ってくれる人の温もりを大切にした。そうしていると不思議と、ビラ配りが嫌だなんて気持ちは忘れていた。

 朱色が水路の面を照らし、電柱は黒い影に飲みこまれていく。家々に明かりが点き始めた頃、私達は腕の中を空にして駅の前に集合した。

「ビラが配り終えたところで、今日は嬉しいお知らせがあります!」

 李珠が手を叩いて言うと、私達は互いに顔を見合わせる。「何よ?」と急かす美波に、李珠は満面の笑みを浮かべた。

「なんとっ! 花雫祭りのフリーステージに、私達Sky′s(スカイ)の出演が決定しました!」

 一拍遅れて、歓声が上がる。喜び、それと安堵に似たため息が誰かの唇から漏れた。

「出演って……どちらかと言うと参加でしょう? 大袈裟な言い方ね」

「そんなこと言ってぇ? 美波、顔が喜んでるよ」

「良かったぁ、出演できるんですね……。お婆ちゃんとお爺ちゃんに報告しないと」

「これから練習、もっと増やしていかないとね。って、本番までもうあんまりないけど」

 スケジュールを確認する玲奈の視線が、ふと私に向けられた。私は胸を撫でおろしながら、首を傾げる。私を見たまま視線を外そうとしない玲奈は、瞬きを数回した後、薄い笑みを浮かべた。

「頑張ろうね、沙希」

「うん、勿論」

 何はともあれ、私達は今年の夏、ステージに立つことが決まった。今までダンスの大会を通して人前で発表をしてきたことはあったが、自分たちが作った曲を、衣装を、振り付けを、何から何までオリジナルの作品を発表する機会は未経験だ。だからだろうか。緊張感はひとしおで、喜びと安堵の他にも、私は若干の不安と恐怖を覚えてもいた。勿論、表には出さなかったけれど。

「よし! それじゃあ花雫祭りに向けてー……? えい、えい、おー……って、皆も一緒にやってよ!」

 李珠の掛け声に誰も合わせず、抗議の声が響く。

「だって恥ずかしいじゃない」

「はい、私もそういうのはちょっと……」

 美波と瑠琉はそう言いながら、騒ぐ李珠と共に駅の中に消えていった。

「じゃあ、私達も帰ろっか」

「そうだね」

 玲奈の隣に並んで歩き始める。会話の内容はごく自然なもの。今後のスケジュールや、動画の企画、編集の役割分担、夏休み明けの学校の話等々。

「ラジオやりたいと思ってるんだよね」

 動画の企画に延長して、玲奈がそう言った。毎週一回が難しいなら、月に一度でも良いからラジオ配信をしたいのだと言う。

「そういえば玲奈って、この前まで配信者だったんだよね? やっぱり喋るの好きなの?」

「うん……って、学校ではあんまり喋らないから、なんだこいつって思うかもしれないけど」

「そんなことないよ。確かにちょっと意外ではあるけど、知っている人と喋るか顔も判らない人に向けて喋るかなんて、話し方も内容も全然ちがうものになるだろうし、それに──」

 そこで、私の言葉は終わった。不自然な中断だったが、玲奈も特に気にせず足を止めた。私も足を止め、玲奈同様前からこちらに向かって歩いてくる人物に注目した。

 三十代くらいの、ショートヘアの女性だ。ここらに住んでいるのだろう。買い物袋から長ネギがはみ出している。あまりにも注視していたためか、俯いていた女性が私達を見た。目と目が合い、私は完全に動けなくなる。女性が小走りで駆けよってくるまでの数秒間、息が詰まる。

来栖くるすさんよね? やっぱり! 来栖さんじゃない!」

「……お久しぶりです、山本やまもと先生」

 女性──山本先生には覚えがあった。私の母校、陽繋中学の教員をしており、担任になったこともなければ教えてもらったこともない。数学を教えている先生、としか認識していないが、知っている人というだけで苦しくなる。

「高校、遠いって聞いたけど大丈夫? ……って、来栖さんなら大丈夫よね。勉強も、心配ないでしょ。部活はしているの? 中学の時は確か……あぁでも、途中で辞めちゃったんだっけ」

「あはは……先生よく覚えてますね。部活はしていませんよ。勉強はまぁ、そこそこ? ですね」

「あら、部活やってないの? 来栖さん面倒見良いから、勿体ないわね」

 そこで、山本先生はちらと私を見た。ほんの、一瞬だけ。一秒にも満たない僅かな瞬間だったけれど、私にとっては充分すぎるほど長く感じられた。

「それじゃあ、頑張ってね」

「はい、ありがとうございます」

 山本先生は軽く会釈して、私の横を通り過ぎていく。姿が見えなくなったことで、緊張の糸が一気に解れた。

「……三年のとき担任だったんだ。沙希は、接点ないよね?」

「ない。けど、見たことはあったから……」

 玲奈が歩き出さないので、私の方から足を出した。ゆっくりと、並んで歩く。

「山本先生、私のこと気づいてないよね?」

「あー、他クラスの生徒のことは判らないかもね」

 だとしても、不登校児として認識していたのではないだろうか。私の顔を見たことはなくとも、一条沙希という名前だけは頭の片隅に残っているのではないだろうか。

「陽繋中の先生ってさ、無関心な人が多かったよね」

 私に悩む隙を与えまいとするかのように、玲奈がそんなことを呟く。呟かれたところで、私はどの先生とも接点なんかなかったので、無関心かどうかは判らないのだけれど。

 ……あぁ、いや。一人だけ、いた。接点を持った先生が。

「一年の時の、柴崎しばざき先生。担任の……」

 私の呟きに、玲奈の動きが一瞬だけ鈍くなった。数秒遅れて、玲奈は再びいつものペースで歩き出す。

「柴崎先生も、無関心な人だったよねー。先生ってほら、日常生活も教師みたいなところあるじゃん? せっかくの休みも生徒が何かやらかすと向かわなきゃいけなかったり、部活の顧問もやってると自分の時間なんてほとんどないわけだし。でも教師って、根っからの子供好きが多いからそこらの問題も苦にならない、みたいな綺麗なドキュメンタリーをこの前見たんだけどさ」

 陽繋中の先生は、日常と仕事を切り分けてる人が多かった、と玲奈は言う。

「休みの日の部活も、生徒のトラブルに駆り出されることも、仕事だって割り切ってる人が多かった。それはそれですごく良いことだとは思うんだけど……だからだろうね。生徒の心に、寄り添えない先生ばっかりだったよね。まぁ私も、誰かに寄り添ったりなんて、得意じゃないんだけど」

 玲奈の声音が尻すぼみになっていく。私は続く玲奈の声に耳を傾ける。

「教えるのも、注意するのも、褒めるのも、感情のコントロールが全部事務的だった。柴崎先生は特にね。生徒から相談を受けたりもするけど、一回受けた相談と同じ内容の相談を一ヶ月後とかにしに行くと、初めて受ける相談みたいな対応をされるんだって。友達が言ってた。男子に揶揄われるから注意してってお願いしたら、一回注意して後は放置だって。忙しいのは解るけど、先生としてありえないって」

 私も一度、柴崎先生に相談したことがあった。苛められているから、どうにかしてほしいって。柴崎先生は優しく、「解ったわ」と微笑んでくれたけれど、現状を変えようとはしてくれなかった。ただ苛めっ子を数人別室に呼び出して、苛めるのをやめるよう咎めただけ。おかげで私が告げ口したことがバレて、余計に酷くなった。

 私の両親が学校に苛め関係で文句を言いに行った際も、柴崎先生も校長先生も謝罪するばかりで、今後の方針や反省すべき具体的な点なんかは曖昧な回答が多かったらしい。

 両親も、カウンセラーの先生も、私も、ありえないと誰もが思った。学校が、先生が悪いんだって。私が不登校になったのも、人生のどん底に落とされたのも、私は──一条沙希には、一切の責任がないんだって思ってた。

 でも。

「その子は確か男子が嫌いになって、女子校に行ったんだっけ。それまではずっと、揶揄いとか陰口とか……苛めって思うようなこともされてるみたいだった。あの子は苛めじゃないって言ってたけど、男性恐怖症みたいな感じになってて、恋バナとかも全くしない子だったなぁ。酷い話だよね。一回の苛めで、人生の風向きがコロッと変わっちゃうんだから……。だから、ええと……あー、ごめん、何の話してたんだっけ。なんか、私が言うなって話になってきちゃったけど……あ、ごめん。こういうのも嫌だよね。あはは、御覧の通り、ラジオやりたいって言いながらトークスキルは別になくてさ。いつの間にか訳の分からないことをべらべら喋っちゃうんだけど。いやほんと、なんでこんな話してるんだろ。ごめ──」

「ずっと誰かのせいにして生きてても、幸せにはなれないよね」

 玲奈の言葉を遮って、私は言う。女子校に行ったらしい玲奈の友達が聞けば、何を言っているのかと怒られるかもしれない。けれど、この言葉は他の誰でもない。私が、私自身に向けた言葉だ。

「不登校になったのも、暗い性格になっちゃったのも、人目を気にするようになったのも、全部、中学時代に遭った苛めのせいで、私のせいではない。それは……最初は、苛められるようになったのは私に原因があったからだって自分を責めたりもしたけど、最近になってやっと当時の状況を冷静に見つめ直すようになってから、いややっぱ向こうのせいじゃんって思えるようになった」

「それはっ、勿論……。沙希は何も悪くないよ……」

「うん、私は悪くない。どんな理由があれ、人を傷つけて良いことにはならないし。でもね」

 夜の色に塗りつぶされていく空を見つめる。一見すると真っ暗だが、そこには確かな光があった。雲間から覗く月影が、星明りが、あった。

「これからの自分がどうするか、どうなるかは、自分で決めていかなくちゃいけないんだ」

 これからの未来に、私を苛めてきた奴はいない。だって私は不登校になって、遠くの高校へ通うと決めたことで、もう彼女達とは関わらない選択をしたのだから。もしかしたら、もう何回か会うことはあるのかもしれないけれど。

「苛めっ子から逃げ切るためにはね、いつまでも苛めに縛られてちゃいけないの。苛めっ子とこれからの人生はしっかり分けて、私はこれからを生きるために、自分が幸せになるために、自分で行動していかなくちゃいけない。変わっちゃった性格も、人目を気にしちゃうところも、あいつらに苛められたからって原因はあっても、いつまでもあいつらを引きずってちゃどうしようもない。私が好きな私になるためには、あいつらのことは一旦置いといて、変わらないと、いけない」

「……っ、ごめん、沙希。それは、さ、正しいことだとは思うよ? 前を向こうって姿勢はすごく立派だと思う。でも、立派すぎるんじゃないかな? 沙希は優しすぎるよ。もっと……私には言えなくても、他の皆に愚痴ったりさ、そういう風にしていかないと……、無理しすぎて、いつか壊れちゃうんじゃないかって、心配になる……」

 心配は素直にありがたい。けれど、私は首を横に振る。

「愚痴とか復讐とかに拘ってちゃ、変われないよ。これからにあいつらはいないんだから。私のこれからは、私が決めて、行動したことで決まっていくんだから。人前で踊れないことも、あいつらのせいでって考えてても仕方ないでしょ? 私が踊れるようになるためには、私が人目を克服しないとどうにもならない。これ以上あいつらのことを考えて生きていくのは……あいつらに、縋りながら生きていくってことになると、私は思う」

「復讐は何も生まないって? そんなの、ただの綺麗ごと──」

「綺麗ごとなんかじゃないよっ」

 綺麗ごとなんかじゃない。これは事実で……残酷な、真実だ。

「……ごめん」

 玲奈の呟きに、私はハッとして息を飲む。大きな声で反論してしまったことに申し訳なさを感じたが、玲奈は驚きからくる謝罪というよりかは心底困った表情を浮かべて、苦笑交じりの声音で言った。

「私、沙希に怒ってほしかったのかも。柴崎先生のことも、苛めのことも、お前が言うなよって、言ってほしかったのかも……。ごめんね。私結局、自分のことしか考えてないや」

 沙希は眩しいね、と玲奈は言った。私は私を、眩しい奴とは思えなかった。

 私がなりたい眩しい奴は、私が好きな私だから。

 途中で玲奈と別れ、私は家路を歩く。見慣れた景色であるはずなのに、ここ最近ぐっと身近に感じられるようになった、気がする。懐かしいような寂しい住宅街を、歩いていなかった空白期間を埋めるようにゆっくり歩く。

 後ろからベルを鳴らす音がして端に避けると、自転車が走りすぎていく。ママチャリだった。籠にはスポーツ用のエナメルバッグが入っている。ポニーテールの女の子は、知っている中学の制服を着ていた。私の母校ではないけれど、何故だか胸が苦しくなる。……否、いつもの苦しさとは違う、別の種類の苦味が胸の辺りを支配する。自転車は近くの一軒家で止まり、女の子は家の中に入っていく。ただいまー、と元気な声を残して、扉は閉まる。

 その光景が、何故だか酷く、私の琴線を刺激した。

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