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Sky’s  作者: 白咲実空
#10.ヒビキ
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3

 彩ヶ谷(さいがや)市民会館には鯉がいる。駐車場から少し離れた、自動販売機とベンチがある休憩スペース。そこの近く、石組みで作られた池に、三匹の錦鯉が悠々と泳いでいる。普通の飲料が並ぶ自動販売機とは別に餌用の自動販売機が設置されているので、三百円支払えば餌やり体験ができるのだ。

「あ」

 餌が入った小袋が落ちてくると同時に、押しボタンに売り切れの赤い文字が表示された。一日に鯉が食べる餌の量が決まっているためか、今日の分はこれで終了してしまったらしい。

沙希さきさん、あの……」

 瑠琉るるが言いにくそうにもじもじするが、言わんとすることは解っている。私はゲットした小袋から餌を数粒出すと、瑠琉と美波みなみ玲奈れいなにそれぞれ一粒ずつ分けた。

「三百円だから、えっと……」

「あと一粒余ってるでしょ? 李珠りずにもやらせれば、五人で丁度六十円ずつよ」

 玲奈と美波がそんな話をして財布を出す。別に、三百円くらい良いのに。今日はいろいろ迷惑かけて、足を引っ張って……情けない姿ばかり見せているのだから、寧ろ三百円くらい払わせてほしい。なんて言えば、きっと三人は気にするなって、そんなに自分を責めるなって、言ってくれるんだろうなぁ。

 透明な水に太陽の光が反射する。揺れる水面と、池の底に敷き詰められた石をぼうっと眺める。

「霰零……」

 と、美波が呟いた。玲奈が首を傾げる。

「あられ? 何? お菓子?」

「ううん。霰零っていうの。この……池の底に敷き詰められた石のこと」

「へぇ、石畳じゃないんだ」

「えっ、あ、どっちだろ……」

 美波が珍しく砕けた口調で顎に手を当てる。私は霰零か、石畳か解らない底にもう一度視線を戻す。くすんだ色ばかりの石の中に、一つだけ黄土色に艶めくものを見つけた。

「美波さんが正解ですよ。これは霰零といって、玉石が使われていますから。石畳は池の底より、街道なんかでよく見ますね。四角くて平らな石が使われているんです」

「へぇ、そうなんだ。にしても美波、霰零なんて言葉、よく知ってたね」

 玲奈の意見もそうだが、なぜ美波は急に霰零と口にしたのだろうか。

「言葉のボキャブラリーを増やしているの」

 ボキャブラリーってなんだっけ。言葉の、だから語彙の数ということだろうか。

「今、作詞は李珠に任せているのだけれど……私もいずれ自分で、満足のいく詩を書きたいと思っているから」

「李珠に任せるんじゃ駄目なの?」

 言ってから、失言だったかもしれないと気づく。美波は今、書きたいと言ったのだ。書かなければ、と義務的な言い方をしたわけではない。そうしたいと望んでいるから、そう言ったのだ。

 美波は特に気にしたふうもなく、どこか遠くを見つめるような瞳で言った。

「もうすぐ、友達が引っ越すの。中学の時から仲の良かった友達がね」

 遥か彼方、雲を突き抜けた先の中天を見つめるような瞳だった。

「引っ越しても私は、あの子のことを忘れたくない。いつか私、あの子を想う曲を作りたいの。Sky′s(スカイ)としてじゃない、清瀬美波きよせみなみとしての曲を。だから、李珠に任せるんじゃ駄目なの」

 任せるんじゃ駄目、と言いながら、任せたくないと強く思っているのだろうことは、なんとなく解った。美波が友達との関係にけじめをつけるような意味合いで作るのだとすれば、私達は部外者だ。介入する余地はない。

「良い響きの言葉を探しているの。私とあの子が出会った、夏を連想させるような音色をね」

 美波は友達、の話をしている。友達の正体が誰なのかは、知っている。のに、恋をするような切なさを孕んだその横顔に、一瞬だけ見惚れてしまった。美波ってこんな顔もできるんだな、とシャッターを切りたい衝動に駆られてしまう。

 と、シャッターを切る音がした。

「李珠あなた……何を撮ったのかしら」

 スマホを持った李珠はもう数歩、私達の方まで歩いてくると、顔を顰める美波にへらりと笑った。

「いやー、同性ながら嫉妬しちゃうね。ん? 同性だから、か。よくもまぁあんな綺麗な顔ができるもんだよ。全く」

「何を怒っているのか知らないけれど、勝手に写真を撮るのはプライバシーの侵害よ。早く消しなさい。今すぐに」

「あっ、鯉に餌やってる! 良いなぁ!」

「ちょっと、無視は良くないわよ!」

 李珠に最後の一粒を渡す。餌をゲットした李珠は、早速池に向かって打者のようなフォームを構える。小さいとはいえ固形物を投げるのはどうなのだろう。鯉に当たらなければ良いけど。

「あーっ、僕の餌―っ!」

「……っと、ととっ⁉」

 突如、背後から聞こえた幼い声に李珠のフォームが崩れ、餌が滑り落ちそうになるも何とか手を握りしめることで回避する。李珠と一緒に振り返ると、そこにはお母さんと見られる若い女性と手を繋いだ、五歳くらいの男の子が私達に向かって指をさしていた。

「その餌、最後の餌―?」

 男の子はお母さんの手を離すと、大声で叫びながらこちらにててっと駆け寄って来る。李珠は握りしめた手を広げ餌に目をやった後、くすりと笑う。

「そうだけど。もしかして君、この餌がほしいの?」

 男の子は息を切らしながら李珠のもとまで来ると、ぶんぶんと首を横に振る。

「違うよっ。僕じゃなくて、鯉の餌だもん! 餌が欲しいのは鯉で、僕はただ、餌をやりたいだけ!」

 その返しに、思わず笑ってしまった。最近の子供って皆こんな感じなのだろうか。否、そんなはずはない。この子の国語力がやけに高いだけだ。

「あっははははは! 合格!」

 李珠は盛大に笑うと、餌を男の子にあげる。餌を貰った男の子は「ありがとう」と言って、緩い動きで池に投げる。男の子のお母さんも小走りで来ると、「ありがとうございます」と頭を下げた。お母さんのお腹は大きく、第二子がいるのだろう。

「お姉ちゃん達も、映画見に来たのー?」

「映画?」

 男の子はうんと頷いて、すぐそこの掲示板を指さす。市内マップの横に貼られた一枚のポスターには、男の子に大人気なアニメ『ライダーマン』のキービジュアルが描かれていた。一昨年公開された映画で、弟の樹も友達と見に行ったと言っていたっけ。

 ごめんなさいねと何故か謝るお母さんにいえいえと首を振ると、李珠が「私達はね」と口を開く。

花雫かだ祭りのステージに立つために、オーディションを受けに来たんだよ!」

 オーディション、なんて大層なものでもないと思うが、その大層なものでもないものにド緊張して、吐きそうになった私が言うことではないだろう。男の子はオーディションの響きに目を輝かせ、お母さんは「あら、もしかしてフリーステージですか?」と小さく目を見開く。李珠は頷き、

「そうなんです! まだ出られるって決まったわけじゃないんですけど、きっと、絶対出るんで! もし良かったら見に来てください! それと、YouTubeでSky′sってチャンネルでアイドル活動してるんで、良かったら登録と高評価もぜひ!」

 “良かったら”で始まり“ぜひ”で終わる。なんて高度なお勧めテクニック。回る舌に関心する傍らで、お母さんは早速スマホでSky′sのチャンネルを検索し始めてくれた。優しい人だな。

「あっ、これですね。『ReVenge(リベンジ)』ってMVの……」

「そうですそうです! 最近始めたばかりなんで、今から推すと古参になれますよ!」

「ママ―、僕も見るー」

 親子はそのまま、『ReVenge』の動画観賞を始めた。目の前で自分達の動画を見られるって、なんか緊張するな。どんな反応をされるのか怖くて、私は親子から目を逸らし明後日の方を向く。

「ママ、この人誰?」

「ん? どの人?」

 曲の一番が終わった時、男の子がお母さんにそう問いかける。男の子はスマホと目の前にいる私達の顔を交互に見ながら、「この人」とスマホの中にいる誰かを指す。

「この人は……ほら、このお姉ちゃんだよ。髪型、一緒でしょう?」

 お母さんが目線を向けた先は、私だった。男の子が首を傾げていた誰かとは、どうやら私のことだったらしい。『ReVenge』はカメラワークが遠い位置にあるため一人一人の顔が識別しにくいのは解るが、私だけ目の前の私と動画の私が一致しなかったのは何というか、悲しいものがある。地味な、薄い顔立ちということか? 存在感がない、ということ?

「……ちがーう」

 男の子はどうしても私だけ、『ReVenge』を歌って踊る私とは結び付かないらしい。肩を落とす私に、男の子は言った。

「だって、顔が全然違うんだもん。こっちのお姉ちゃんは、強い顔してる」

 こっち、とは動画の中の私だ。

「こっちのお姉ちゃん、すごくかっこいい。ダンス、上手いし楽しそう」

 何かとても大事なことを言われた、ような気がした。冷水を浴びせられたような感覚に、全身が眠りから醒めたような心地になる。

「でも、こっちのお姉ちゃんは強そうじゃない。逆に弱そう」

「こら健太けんた!」

「あっはは……いいんですよ」

 良くない。ちょっと傷ついたぞ健太。でも、健太の言う通りなのかもしれない。

 『ReVenge』の撮影は、楽しかった。『ReVenge』だけじゃない。先日千葉まで行ってMVを撮影した時も、多少の緊張はするけど、カメラが回って曲が始まれば、私はただひたすらに踊り、歌うことしか頭に残らなくなる。

 MVは、人の目がないから。

 観客がいないから、臆することなく私は私らしくいられるのだ。

「面白かった!」

 動画を見終えた健太くんとお母さんは、チャンネル登録をして帰って行った。駐車場に停めた車に乗り込む健太くんは、昔、ダンススクールの帰りにお母さんと車に乗って買い物に行っていた時の私と重なった。

 車が見えなくなってから、私は静かな声で言う。

「……お祭り、もし無理だったらごめん」

「大丈夫だよ! 受付の人、きっと大丈夫ですよって言ってくれたし。もし無理でも、沙希のせいじゃないって。その時はまた、新しい動画でも撮ろうよ」

 すかさず李珠が励ましてくれるも、私の気持ちは晴れない。もっと早く健太くんに出会っていれば、オーディションの出来がほんの少しでも良くなっていたかもしれないと考えると……いや、きっといつ出会っていようが、私は緊張しっぱなしで固いダンスを披露して終わっていたと思う。大勢の観客だろうが数人の面接官だろうが、誰かに見られているという事実が変わらない限り、私はきっと変われない。

 現に、二回目のオーディションもあまり良い出来じゃなかったのだから。

「そういや沙希、帰り際、山内やまうちさんに会ったよ」

 私達が鯉に餌やりをしていた間、オーディションの結果発表日や合格した際に必要な準備物、当日のスケジュール等の説明を受けていた李珠は、山内さんと美坂みさかさん、江口えぐちさんに挨拶をして帰ろうとしたらしい。が、山内さんだけが事務室におらず、エントランスの入り口で李珠が来るのを待っていたそうだ。

一条いちじょうさんにごめんって言っといてって。すごい申し訳なさそうだった」

 そんなの、私の方が申し訳ない。山内さんは緊張を和らげようとしてくれただけで、私のことを想って色々と言ってくれたわけだし。

「……悪いことしちゃったな」

「二回目の時のこと?」

 美波に言われ、私は小さく首肯する。二回目のオーディション時、山内さんは席を外していた。美坂さんと江口さんだけが面接官として座っており、正直な話をすると一回目の時に比べ大分踊りやすかった。それでもミスはしてしまったし、歌声は始終震えていたが。

「沙希さんも山内さんも、誰が悪いという話ではないと思いますよ。ただ、ちょっと相性というか、タイミングとか体調とか、諸々が合わなかっただけです」

「瑠琉の言う通り。切り替えて、今日はもう解散にしよう。体調悪かったのも、ただの緊張だけじゃなくてほんとに夏バテとかもあったのかもしれないしさ」

 玲奈が私の背を軽くぽんぽんと叩く。私は「そうだね」と同意を示すことしかできない。私が悪い、申し訳ないと繰り返してもどうにもならない。皆を困らせることにしかならないから。

 オーディションの結果がどうなるのかは解らない。けれど、どうなろうがいつかステージに立つ日が来た時のために、人目に慣れておく必要はある。私は、前に進むしかないのだ。

 少し回復はしたが何かしこりのようなものが残る心臓は、蝉の合唱が反響するように大きな音で拍動を繰り返す。暑さを怨み空を見上げれば、眩しすぎる太陽の光が私を刺した。


 夜、ベッドの上で、私は今日の反省会をする。江口さん達は特別に二回もオーディションの機会を設けてくれたのに、一度目も二度目も、私は思うようなダンスができなかった。ただの体調不良ではない。ただの体調不良であったなら、寧ろどんなに良かっただろう。風邪もウイルスも薬を飲めば治るのに、精神的なものは薬一つでは治ってくれない。

 治すには、私の努力が必要とされる。

 Sky′sの皆に迷惑をかけるわけにはいかない。今後のライブを見てくれるお客さんを後悔させるような真似はしたくない。何より、私は何も考えずただひたすら、思い切りダンスを楽しみたい。

 在りし日のように、私の堂々としたダンスを誰かに見てもらいたい。

 そのためには、変わらなくちゃいけない。一度ついてしまった傷は跡になって、なかなか消えてはくれないけれど。それでも、絆創膏を貼って隠すことはできるはずだ。忘れられない苦い記憶も、毎日毎日思い出さなくて済むようになるくらい、今を全力で駆け抜ければ良いだけ。

 過去は変えられる。事実は変えられなくても、当時の感情を今の私が笑い飛ばせるようになれば、消えてなくなってほしいと願っていた過去も、あって良かったと思えるようになるかもしれないから。

 新曲のサビをワンフレーズだけ、扇風機にかき消されるような音量で歌った。

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