表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Sky’s  作者: 白咲実空
#10.ヒビキ
PR
74/101

1

 思えば、朝から気分が悪かった。起きたときから頭痛が酷く、朝御飯もあまり喉を通らなかったため、今日はバナナと牛乳しか胃に入れていない。身体には良さそうだから問題ないだろうし、一応熱を測ってみたけど三六・五度、平熱だった。

 今日の予定は一つだけ。大切な予定だけど、それさえ終われば午後は家でのんびりしよう。向こうで着替えるのは面倒だったので、いつもの練習着に袖を通す。運動靴を履いて、熱中症にならないようキャップを被り、スポーツドリンクを持って行った。

 電車で四十分。玲奈れいなはもう着いているとのことだったので、一人で向かう。誰かと喋っていれば気が紛れただろうに、電車が揺れると心臓も一緒に揺れているようで気持ちが悪い。

 彩ヶ谷(さいがや)市民会館は、高校とはまた違う場所にあった。地図アプリを見ながら歩き、額に浮かぶ変な汗を拭って、さも元気であるかのように取り繕った表情で会館内へ入る。

「ごめん、ちょっと遅れちゃった」

「大丈夫。私達は六番目だって。参加者、けっこう多いみたい」

 李珠りずが整理券を見せてくれ、揃った五人で控室へ向かう。視聴覚室のような部屋に、参加者全員が集っている。ざっと十人以上はいそうだ。

 三十分ほど窓から景色を眺めたり談笑したりしていると、すぐに私達の番になった。

「すかいずのみなさーん、多目的ホールにお願いしまーす」

 はーいと返事をして、私達は多目的ホールへ移動する。私以外の皆も練習着のまま行うようで、特に準備もなく貴重品だけを持って行く。

「すかいずだって。私、ちゃんとグループ名にSky′s(スカイ)って書いたよね? しかもフリガナ付きで」

「しょうがないでしょ。市民会館の職員なんてそんなものよ」

美波みなみさん、言い方……」

 皆の後ろをついていく。この時点で、正直吐きそうだった。やっぱり熱があるとか、風邪をひいたとかそんなんじゃない。けど、何故か体調が悪かった。貧血や生理痛に似た腹痛と頭痛に襲われ、一旦立ち止まる。

沙希さき?」

 玲奈に呼ばれ、私は「なんでもない」とすぐに笑って後を追いかける。なんでもないなんでもないなんでもないなんでもない。そう自分に、言い聞かせて。

 多目的ホールに入ると、三人の大人が会議テーブルに並んでいた。一人は眼鏡を掛けたOLという感じの若い女性。一人はぽっちゃりした四十代くらいの男性。一人は所々の白髪が目立つ五、六十代の男性。

「それではえーと……すかいず、さん?」

 ぽっちゃりが言うと、すかさず李珠が「Sky′sです。スカイ、sは発音しません」と訂正する。と、OLが眼鏡の縁を押し上げた。

「ごめんなさい。ちゃんとフリガナも付いているのに」

「いやいや僕もごめんねぇ。最近のアイドルとか、芸人とか、難しい名前が多いよねぇ。あれ、なんでなの? やっぱり他の人と差別化するため? 難しい方が覚えてもらいやすいのかな?」

「それもありますけど、お洒落じゃないですか。このSky′sも、短いけれどインパクトがあって、私はけっこう好きです」

 ぽっちゃりは「そうなんだぁ」と頭を掻き、OLは「そうですよ」と淡々と返す。

「眼鏡の人、かっこいいし良い人ですね」

「だね。雰囲気も緩そうだし、なんか安心した」

 瑠琉るると玲奈が小声で呟きあうのが聞こえ、私も心臓を撫でるように落ち着こうとしてみる。ちら、と美波と李珠の表情を窺うと、二人とも涼しい顔をしていた。

山内やまうちくん、美坂みさかさん、お話はもう切り上げて。時間がないよ」

 白髪の人が言うと、ぽっちゃりこと山内さん、OLこと美坂さんはハッとした顔をして、正面に立つ私達に再度顔を向ける。

「じゃあ、えっと……まずは軽く質問させてもらうんだけど。どうして、この花雫かだ祭りに参加しようと思ってくれたのかな? ああ、これは面接ってわけじゃなくて、ただのアンケートというか。これからも参加者を募っていくために教えてほしいことというか……」

「山内くん、物を喋る時はハキハキしてください。曖昧でよく解りませんよ」

「おおっと、美坂さんは手厳しいなぁ。ははは、まぁ、緊張しないで、気軽に答えてよ、うん」

「そうですね。まず、私とる……神北かみきたさんが、彩ヶ谷の出身なんですけど」

 質問に李珠が何か答えているが、私の耳には全く届いてこない。その後も、代表者として李珠がいくつかの質問に答えているようだったけど、私は質問と回答に相槌を打つことも、山内さんと美坂さん、そして江口えぐちと名乗ったもう一人の顔も、まともに見ることができなかった。

「あははは、大丈夫? 一条さん」

 山内さんから急に声をかけられ、私は必要以上に驚いた顔をしてしまう。

「いや、そんなゾンビにあったみたいな顔しなくても。緊張しないで、リラックスリラックス」

「そんなふうに言ったら、余計に緊張しちゃいますよ。ごめんなさいね、一条さん」

「い、いえ……あはは」

 適当に笑って、質問が終わる。そして、遂にパフォーマンスをする時間になった。

「沙希、大丈夫? 死人みたいな顔してるけど」

 李珠が不穏な表情で私の顔を覗き込む。私は「大丈夫」と返すしかできず、ポジションにつく。

「沙希、もうちょっと左」

 美波に言われ、私は「ごめん」と呟いて左による。そうか、このくらいの広さなら、もう少し距離をとっても良いのか。場所はここで良くて、目線は前に、向けないと。

「じゃあ、再生しますね」

 美坂さんが事前に渡したCDをプレーヤーにセットすると、Bluetoothの質の良い音が流れ始める。一、二、三の掛け声も何もない。唐突に音楽が掛かったので、動きが一瞬遅れてしまう。が、すぐに持ち直した。思考がぐちゃぐちゃでも、身体はしっかりと音とタイミングを覚えていた。

 よし、このままこのまま、慎重に、慎重に──。

「一条さーん、顔硬いよー。リラックスリラックスー」

 山内さんが私の方を見てそう言った瞬間、私の中の何かが崩れた。注意されたわけでも、ましてや嫌味を言われたわけでもない。ただ、純粋なアドバイスだ。私もアドバイスを素直に受け止めて、すぐ笑顔になれば良かった。

 なのに、崩れたダンスが戻ることはなかった。山内さんはすぐ美坂さんに「余計なこと言わないの」と止められていたけれど、私はそれを見ても、どうすれば良いのか解らなくなっていた。

 動きが鈍る。足が縺れ、転びそうになった。笑顔どころの話ではない。今の私は、客観的にも、主観的に見てもおかしい。

 山内さん、美坂さん、江口さんだけじゃない。李珠も何かがおかしいと気づいて私を見ている。美波も、瑠琉も、いつもの堂々とした歌声ではない、どこか迷いがあるような歌い方になっている。

 どうしよう、どうしよう、どうしよう。

 目線が下を向いてしまう。

 歌が、音が、全てが遠くなったような気がした。タイミングもリズムもテンポも、何もかもが解らなくなっていく。

 喉から絞り出した声は、とても歌と呼べたものじゃなかった。苦しそうで、痛そうな響きだった。

 不意に、突然、背中に何かがぶつかった。衝撃に押され、私はピカピカの床に身体を強打する。

「沙希っ、大丈夫⁉」

 ゆっくり起き上がると、目の前に玲奈の顔があった。

「ごめんなさい。一回、止めてもらって良いですか?」

 李珠の呼びかけに美坂さんがすぐに曲を止める。山内さんが眉を下げて椅子から立ち上がり、江口さんはスマホで誰かに電話をかけている。音楽の止まった室内に、私を心配する皆の声が響く。

 それが、痛くて、惨めで。

 いけないと解っていた。それほどのことじゃないと解っていたのに。

 気持ち悪くて、寒くて、痛くて。

「沙希、ちょっと出ようか。立てる?」

 李珠に手首を触られ、私は腕で顔を隠しながら立ち上がる。私の呼吸が、嗚咽が、何よりも近くに感じられて嫌悪する。

 何も喋れないまま、多目的ホールを後にする。冷房の効いた部屋を出た瞬間、暑いはずの廊下が何故か、心地良く感じられた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ