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午後二時すぎ。私達は埼玉から千葉に移動する。山越駅から千葉県狛駅まで電車で一時間と少し。埼玉で冒険してきたというのにまだ昼過ぎであることに不思議な幸福感を覚えつつ、私達は控えめな声ではしゃぐ。ビルとビルの隙間から差し込む陽の光に目を細め、青が反射した田園の空に目を奪われながら、電車を降り、バスに乗る。
目的地の公園までは九駅先だ。小学校の遠足で来たことがある、私は家族で来た、この前テレビで見た場所だ、なんて会話をしていると時間なんてあっという間。三十五分かけてやって来たしらあけ公園は、そこらにある遊具と芝生のある公園と言うよりかは、色とりどりの植物で彩られた綺麗な風景を楽しむ観光スポットという感じだ。九つのエリアがあり、温室の植物が見られたり、売店備え付きの資料館もあったりする。勿論子供が遊ぶための広場もあって、駐車場は家族連れが行き来している様子だった。
私達が今いる場所はバス停を抜けてすぐの花畑エリア。入場料はないので、そのまま園内に足を踏み入れる。春はチューリップが咲いていたようだが夏は向日葵畑になっており、蓮が浮かぶ池の先には風車が回り、外国の映画みたいな風景が楽しめる。
「んー、暑いけどすっごい気持ち良いねぇー」
「はい。空気が澄んでいて心地良いです」
沙希と瑠琉が伸びをし、私もつられて空気を肺一杯に吸い込んでみる。澄んだ空気と花の香り、夏の瑞々しさが鼻を通り抜け、全身を巡る。なるほど、確かに気持ちが良い。暑いけど。
「ねぇねぇ、撮って撮って!」
李珠が駆け、向日葵畑をバックにポーズを決める。私は李珠をスマホで撮り、写真をグループLINEに送る。他にも、氷山神社や蕎麦屋、電車とバスの移動中などで撮った、皆の写真を送った。
「うわ、玲奈いつの間に撮ってたの?」
「ちょっと、撮るなら撮ると言ってから撮りなさいよ」
李珠と美波に言われ、「ごめんごめん」と頬を掻くも写真は消さない。全てを保存していく瑠琉と沙希の表情は明るく、ありがとうとお礼を言われた。
「ねねっ、ここで撮影できないかな?」
沙希がスマホから顔を上げ、風景を見渡して呟く。撮影、というのは新曲のMV撮影のことだろう。そういえばそんな目的もあったなと思い出し、私はスマホでしらあけ公園と検索してみる。すると、公式HPに撮影についての項目があった。タップし、内容を読み上げる。
「YouTubeに動画をアップし、収益が生じる場合には料金を支払うこと、だって。あと、開園日の九時から十七時以外は撮影不可。二時間の撮影で四千円……ああ、違う。二時間以内で四千円だ。あと、来園者が映り込まないようにすること、施設や植物の破損は弁償、混雑が予想される日の撮影は不可……だって」
「まぁ、当たり前のことしか書かれていないわね」
美波の言う通り、事前に撮影の許可を貰い、料金を支払い、周りに迷惑をかけなければ撮影オッケーということだ。誰でも守れる簡単なルール、かと思いきや、瑠琉が深刻そうに眉を顰めた。
「ですが、夏休みは今日みたいに混雑しているでしょうし、人気のスポットなら平日もそれなりに来園される方が多いんじゃないですか? 来園者が映り込まないようにと言っても、人払いをして良いわけではないでしょうし……。難しいのではないでしょうか」
「それに、私達は無名だしね。有名な人なら周りの人と協力して上手くできるのかもしれないけど」
瑠琉に付け加えて言うと、皆のテンションが一気に下がっていく。が、せっかく来たのだから楽しまないと損だ。MVの件は一旦置いて、私達はしらあけ公園を散策していく。
果樹園や古墳、庭園に植物園。途中売店で休憩を挟み、再び歩き出す。四時を過ぎても夏の空は青く、草木も溌剌と青い。春は桜、梅雨の時期は紫陽花が見頃のようだが、八月のただただ緑に染まった景色に身を投じるのも悪くない。スマホとパソコンばかり見ている視力が回復していくような気がする。
「閉園って何時だっけ?」
「あと五十分くらい。急がないと、全部見切れないよ」
李珠と沙希が急ごうと歩くスピードを速め、瑠琉と美波もついていく。お茶を飲んでいた私も急ごうとして、慌てて鞄にペットボトルを突っ込んだ、ときだった。
「……あれ?」
トートバッグに付けていたはずの鯛のストラップが、失くなっていた。結び方が甘かったのか、落としてしまったのだろう。でも、どこで? バスに乗っていたときはあった。売店でアイスを買ったときは? 財布を出したときはどうだったか。覚えていない。あったような気もするし、なかったような気もする。少なくとも、園内のどこかで落としていることに違いはない。
所詮、三百円の、おみくじについてきたオマケのようなものだ。今日買ったばかりで、思い入れだってそんなにない。失くなったって、なんら支障はない。なのに何故か、ものすごく大切なものであったような気がして落ち着かない。
「玲奈―、何してんのー?」
少し離れたところから、李珠の声が聞こえる。私は「今行くー」と上擦った声で返事をし、地面を見つめながら走り出した。
ない。ない。どこにもない。滝のエリアを抜け、階段を上り、本館前に移動する最中、私はしきりに地面を見つめていた。けれど、どこにもない。考えてみれば当たり前だ。ここはまだ来ていないエリアなのだから。そんなことも解らなくなっていたくらい、私は焦っているらしい。
「玲奈?」
花壇を見つめていた沙希が、ふと振り返って私に視線を寄越した。私は顔を上げ、平静を繕う。
「玲奈、大丈夫? 何かあったの?」
「え、あー……」
沙希の言葉に反応して、瑠琉が私の顔を見る。そして、眉を顰めた。
「顔色が悪いような気がします。夕方と言えど充分暑いですから」
「えっ、熱中症?」
「李珠の言う通りなら無理しない方が良いわ。今日はもう帰るか、本館で少し休ませてもらう?」
帰るのも休ませてもらうのも、時間が惜しい私にとってあまりよろしくない選択だ。それに、私の我儘で皆を振り回したくない。せっかく遊びに来たというのに、ストラップ一つで空気を壊すなんてことはしたくなかった。
「だ、大丈夫大丈夫。ちょっとトイレが近くてさ。行って来て良いかな? 皆は先に進んでて良いから」
「え、でも、はぐれたら大変だよ。せっかく皆で来てるなら、最後まで一緒に回りたいし」
李珠の言うことは尤もだ。私もそう思う。だけど、一瞬で良いから一人になる時間が欲しい。
「じゃあ、私ついていくよ」
私の願いも虚しく、手を挙げた沙希が穏やかな笑みを浮かべて言った。「一人じゃ心配だし。後で追いかけるから、三人はゆっくり行ってて」と言う沙希に、私は首を横に振ろうとして、できなかった。この優しさを拒否したくないし、ここで断れば怪しまれるかもしれないから。
沙希と一緒に本館へ戻る。その間、何故か会話はなかった。私の頭の中はどうしようと申し訳なさで詰まり、会話のきっかけを提供する余裕がなかった。けれど、沙希は別に気まずさを感じているわけではなさそうだった。木々の影と陽の光で交互に点滅する横顔は、どこか真剣な面持ちをしていた。
一応トイレには行っておく。個室に入り、用を足してから数分程度で戻る。手を洗っていると、変な汗が洗面台に落ちた。やっぱり暑すぎたのかもしれない。
「どうする? 少し休んでいく?」
沙希は私が熱中症だと思っているのか、優しい声でそう言ってくれる。だが、私は「大丈夫」と壊れかけの笑みで返す。個室で少し考えた結果、ストラップは諦めることにしたのだ。たかだか三百円のストラップより、今は皆といる時間を優先すべきだと結論が出た。
「あ、玲奈。ハンカチ」
「良いよ、持ってるから」
沙希のハンカチを断って、自分のハンカチを鞄から出す。手を拭いていると、沙希がハンカチ……ではなく、私の鞄──トートバッグを見て、言った。
「ねぇ玲奈、鯛のストラップ、どうしたの?」
鞄に付けてたよね、と沙希は丸い瞳で問いかける。私の脳が急速に冷え、思考の歯車が目まぐるしく回り始める。
持ってるよ。鞄にしまったの。そう言おうと、思った。そう言うのが正解だった。
「……あー」
けれど、すぐに言えなかった時点で私の敗北は決まった。何かがおかしいと感じ取ったのだろう沙希が、すぐに正解を口にする。
「もしかして、失くしちゃった?」
無意識に唾を飲みこんだ。乾いた喉から声を絞りだし、私はやむなく「うん」と微かに首肯する。瞬間、沙希の顔色が変わった。
「様子がおかしかったのって、それ?」
責めているわけではない。ただ悲しそうな声に、私はもう一度首肯を返す。
「探しに行きたかったから、トイレって言ったの?」
「……ごめん」
「どうして? 言ってよ、それくらい……」
「沙希なら、言った?」
「え?」
「沙希が私の立場なら、皆に探してって、言った?」
ずるい、何の意味もない質問だ。どうして自分でもそんなことを言ったのか解らなかった。沙希は暫く黙っていたが、逃げずに口を開く。
「解んない。でも、玲奈には言ってほしい。玲奈、だけじゃなくて。李珠も瑠琉も美波も、皆が玲奈の立場なら、探してって正直に、言ってほしい」
暗に、玲奈もそうなんじゃないの、と言われているみたいだった。それに反論できないことが、ほんの少しだけ悔しかった。
「……探しても、良いかな?」
そう言って沙希はまた、私に手を差し伸べてくれる。何度もその手をとる自分に、嫌気が差す。だからストラップは諦めようと、黙っていようと決めたのに。
「ごめん。……探してほしい」
もう一度「ごめん」と俯いて言えば、沙希は「謝らないで」とふわり笑った。




