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合宿は僅か一日で終わってしまったけれど、私達は今日も変わらず走り出す。朝五時に起床後、眠い眼を擦りながら走る美波さんのペースは、以前砂浜で一緒に走った時は私とどっこいどっこいだったのに、今は美波さんの方が私より前を走っている。足を速く動かして追い抜けば、美波さんのハートにも火がついたらしく二人で追いかけっこ状態となる。
「こらー、ペースは一定って言ったでしょー! 追いかけっこ禁止―」
先頭を走る李珠さんが振り返り、私と美波さんに注意する。沙希さんと玲奈さんが吹き出して笑い、私と美波さんも笑ってしまう。
ランニング後は軽めのダンス練習をした後、五人で朝食。私は今日学校があるので、八時前に家の前で解散。だが、昼の二時に駅前のカラオケで集合することになった。
「えー、瑠琉、お手伝いしてくれないのー?」
学校が終わり、昼食の素麺を食べながら母が唇を尖らせる。今日の夜は母の友人知人が押し寄せることになっているので、いつものように料理の手伝いや掃除をすることになっていたのだが。私も母と同じような顔をしながら、カボチャの天ぷらを箸で摘まむ。
「遊びに行くくらい良いでしょう? お母さんの来客なんだから、お母さんがお手伝いすれば?」
「そうじゃ。詩音の客に瑠琉が付き合う必要はない」
祖父も同意してくれ、祖母も「そうそう」と素麺を啜る。母はちぇーとわざとらしく言いながら、素麺を口に入れようとして……「待って」と呟いた。
「瑠琉、遊びに行くの? 歌の練習じゃなくて?」
私はめんつゆが残ったお椀と空になった小皿を持って立ち上がると、皮肉っぽく笑った。
「うん、そうだね。真剣に遊ぶの」
なにそれ、と母は小さく言って、箸を手から滑り落す。そのぽかんとした余裕のない表情に、私は心の中で笑う。
カラオケで三時間歌の練習をした後、一時間ほどダンス練習をして本日二度目の解散。
「瑠琉、歌もダンスも良くなってるけどあともう少しかなー。もっと高音出る気がするし、ダンスもタイミングは合ってきたけどそっちばっかりに気を取られてるせいで動きが雑になってる。手は指先まで伸ばすことを意識して、ステップも丁寧に。もっと大きく前に出るのとそれから──」
帰り道、李珠さんと今日の反省会をしながら歩く。真っ赤な夕陽の下でまた明日と別れ、私は家に向かいながら今日はどこまで衣装を作るか考える。良い出来のものを作るために私一人で全てを作るのではなく、やっぱり五人全員で力を合わせて作ることにしたのだけど、型紙の準備や生地の裁断は私に一任されている。私と李珠さん、玲奈さんは仮縫いに入っても良い段階だけど、美波さんと沙希さんの分は今日で全て進めてしまいたい。
「ねー瑠琉―、こっちで一緒に食べようよー? 晩御飯、お寿司だよー? きいちゃんもさっくんも、みんな瑠琉に会いたがってるよー?」
自室で一人、生地を床に広げていたところ母にそう声を掛けられた。座敷では今宴が行われているはずだが、どうやら少しだけ抜けて来たらしい。母の頬は上気しており、子供っぽく伸びた語尾からもお酒を飲んでいることが判る。私は母に向けていた視線を生地に戻し、「もう少し」と返す。
「もう少ししたら。衣装、キリが良いところまでいったら行くから」
今会いに行ってしまうと、やれ高校生活はどうだとか、やれYouTuberになるんだってとか様々な質問をされ、数時間拘束されることは目に見えている。来客の方には申し訳ないが、皆さんが帰宅する三十分前くらいにちらっと顔を見せるだけで充分だ。だって今は、時間が惜しい。
「なによーぅ、そんなに頑張らなくても良いじゃーん……。なんで、そんなに……そんなに、すかい? が大切なのー? 動画見たけどー、全然人気もなかったしー、まぁお母さんは応援するけどぉー、母と子の時間を大切にするのもー、大切なんじゃなーい?」
あまりにもふらふらした喋り方に笑みを零しながら、私は適切に届くのか届かないのか曖昧な母の脳に、少しでも届けば良いなと思いながら母の目を見る。
「でもお母さんも、高校・大学生の頃は全然評価されなかったらしいね」
「……え、わたしぃ? そんな話、誰から──」
「お婆ちゃんから聞いたことあるよ。コンテストもサークルも、周りのレベルが高すぎたり、反対に周りの熱量が低すぎたりして、全然上手くいかなかったって。だから、なんだね」
「……なにがぁ?」
「最初から上手くできないって言ったこと。私が小学生の時、初めてお母さんと服を作った時にお母さんが言った言葉。お母さんは覚えてないかもしれないけど、私に言ったでしょう? 大事なのは、最後までやり遂げることだって」
「……」
「だから私、その通りにやってみようと思う。満足のいくところまでやって、そうしてから、私にとってSky′sは遊びなのか本気なのか、それ以外の何かなのか、決めたいって思うんだ」
ただ一つ言えることは、もしこれがただの遊びだったとしても、全力で遊んだのであれば悔いはない、ということだ。そういう意味で言えば、今の私は本気で遊んでいる、ということもできるのかもしれない。本気で遊んで本気で楽しんで、Sky′sが宝物の居場所になったのなら、そんなに素敵なことはない。そうでしょう? お母さ──。
「解んなーい」
「え……」
「難しい話、よく解んなーい! 解んない解んなーい!」
子供の嫌だ嫌だ、は言い過ぎか。そこまで酷くはない。頭を左右に振って、泣いているようにも怒っているようにも見える顔をして、私の背中から腕を回して抱きしめてくる母は、子供みたいではあったけれど。
「……どうして急にさぁ、大人になっちゃうのぉ」
「えぇ……? は、話変わってない? ていうか、今の私の話、もしかして何も届いてない?」
「聞こえなーい、何も聞こえないもーん」
「か、会話ができていない……」
「瑠琉―、ひよこに戻ってよぉ」
「私はもともと人間だよ。もう、なに言って──」
「瑠琉はいつまでも、私にくっついてくれば良いのぉ」
私を抱きしめる母の腕が、強さを増す。私は生地に伸ばした手を止め、母の声に聞き入った。
「私の後を追いかけてさぁ、お母さんお母さんって、言って……。フランス行こうよぉ。私の弟子になれ、とは言わないよぉ。全然違う会社でも良いからさぁ」
消え入りそうな、肌を撫でる風のような声で、母は言う。
「傍に、いてよぉ」
妄想が、妄想ではなかったと知った。けど、ここまでとは思っていなかった。母はいつも私のことを考えてくれて、私を愛してくれている。母は親が子を好きなのは当たり前だと言うけれど、世界を俯瞰して眺めた時、私はきっと恵まれた家庭の子だ。そして、母はお酒をあまり子供の前では飲まない人だったけれど、今日は帰省したばかりということもあって久しぶりに私の前で酔った姿を見せて、普段の母なら嫌悪しそうな望みを口にした。
それがどれだけ溜め込んでいた想いであるのか、想像に難くない。
「……ごめんね、お母さん」
「そうだよぉ、フランス行こうよぉ」
「それと、ありがとう、お母さん」
「んー? 何がー?」
「あの時私を、服作りに誘ってくれて」
おかげで私、大切な居場所が見つかったんだよ。家族と同じくらい大切な、大好きな人達が。
「……ふっ、ふふっ」
「お母さん?」
「あーはっはっはっはっはっは! ひゃははっ、はははははははっ!」
床に転げまわる母は、笑いすぎて涙まで出しながら声を上げる。あぁ、やっぱりお酒で酔ってしまって、話がうまく飲みこめてないんだろうなぁ。今けっこう大切なことを言ったつもりなんだけど、仕方がない。また酔いが醒めた時に、改めて話をしよう。
「ほらお母さん、掃除はしてるけど床だから。あー、せっかくのワンピースがシワに──」
「だってさぁ! こんなにさいっこうな皮肉ある⁉」
「えっ?」
母は「ひー、ひひー」と馬のような引き笑いをしつつ、幼さを消した明瞭な声で喋る。
「お母さんが、自分で、瑠琉を手放した……ん? 手放したは違うか。でも、あれでしょ? 瑠琉が大切な居場所を見つけたのは、私がきっかけで、私のきっかけのせいで瑠琉はフランスに来ないわけだ」
「ま、まぁ、そう……だね?」
「それってさぁ……それって、親にとったら大幸せだよ」
母は背を床にくっつけたまま、慈愛に満ちた双眸を天井に向ける。綺麗な肌に、雫が伝う。うれし涙か、笑いすぎた涙を引きずっているだけか。それとも別の意味の、涙か。
「大幸せって、聞いたことないよ?」
「大幸せだね。特大。特級幸せ」
「ふふっ、何それ」
「ねー、お母さんが帰るまでにさぁ、ショッピング行こうね」
「ショッピング? 別に良いけど……」
もともと、せっかく母が帰って来たのなら何処かに出かけたいとは考えていた。Sky′sの活動ばかりで予定が埋まっているわけでもないし、他の四人も夏休みは家族で出かける計画を立てていると話していたし。
「えー、良いのー?」
自分から提案しておいて、母はそんなことを言う。
「だって、今はSky′sを頑張るんでしょー? 本気で頑張るなら、お母さんと遊んでも良いのー?」
揶揄っているようでいて拗ねている発言だ。苦笑し、言い返した。
「大丈夫だよ。だって私、自分が本気かどうかなんて解らないもん」
「えっ?」
目を見開いて呟く母は、今だけ思考が正常値に回復したらしい。良かった。今なら、届くだろう。
「あのね、本気って何だろうってちょっと考えてたの。私は歌もダンスも皆さんの足を引っ張ってるから実力もないし、お母さんみたいに四六時中頭の片隅で服のことを考えているわけでもない。テレビを見ていたらテレビの内容に集中するし、目の前に推しがいたら思考回路なんて吹き飛んじゃう。だから私はお母さんから見たら、本気でアイドルをやってるっていうふうには見えないのかもしれない。私も、いつしかあの時の私は本気じゃなかったって後悔する日がくるかもしれないし」
けれど、そうなったとしても、今の私にできることはたった一つなのだ。
「だから私、頑張るよ。今は、自分が本気かなんて関係ない。どうでも良いから、やりたいことをやる。私の、Sky′sのやり方で、今を全力で駆け抜けるよ」
これは合宿を通じて、李珠さんと、沙希さんと、美波さんと、玲奈さんと話して解ったことだ。皆さんSky′sに対して真剣で、ただひたすらに好きを追いかけている人達だから。
私も皆さんについていくなら、隣に並ぶのなら、同じ想いで走れば良い。
母の掌が、私の頭を柔く撫でる。頬はまだ赤く、変わらず涙も出ているが、その瞳は幼い頃に服作りを手伝ってくれた時によく似た、温かい色を宿していた。
「解ったよ、瑠琉。お母さん、瑠琉のことがよーく解った。だからもう何も言わない」
母は起き上がると私に背を向けて歩きだす。そうしてドアノブに手を掛けると振り返って、白い歯を見せて笑った。
「お母さんも向こうで頑張るから。お互い、楽しもうね」
裏に潜む本音は解らない。けれど、解らないままで良いだろう。せっかく背中を押してもらったのだから、後ろを向いてはいけない。楽しいを始める準備は、とっくにできているのだから。
母の言葉を素直に受け取り、私も笑みを浮かべる。
「うん。お互いね」
母がドアを開けると、階下からどんちゃん騒ぎが響いてくる。パタンと閉められた途端に聞こえなくなり、心に物悲しさが浸る。
窓を開けると、無風の空気が流れ込む。星々が散らばった紺碧の空を、コオロギの優しい音色が駆け巡る。暫く頭を空っぽにして空を見上げ、窓を閉める。
冷房の効いた涼しい部屋で、私は生地に落ちないよう気を付けながら汗を垂らす。ズレてしまわないよう、左手を赤い生地にしっかり添えて、型紙に沿って裁ちばさみでカットしていく。
集中力が必要とされる、はっきり言って面倒な作業だ。私はミシンを使う時間が一番好きだから、こういった準備段階の作業はあまり積極的にやりたいとは思わない。何故なら、何度も言うけど面倒だから。面倒、なんだけど。
自然と口角が上がっていることを自覚しながら、私は手を動かした。




