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シャープペンシルが次の設問で止まる。解らなかったからではない。集中力が途切れたからだ。小さな、本当に小さな息を吐くと、すかさず李珠さんが反応した。
「どうする? そろそろ休憩する?」
皆さんに向けて言ったようでいて、言葉の矢印はきっと私に向いている。何故ならさっきからずっと、李珠さんがちらちらと私を見てくるから。
「そうね。そろそろ良い時間だし」
「じゃあ私、これ持って行くよ」
玲奈さんが西瓜の皮だけ残った小皿を集め、盆に載せる。ついでに空になったピッチャーも一緒に載せて、有無を言わさず立ち上がる。
「すみません。お願いします」
「良いってこのくらい。お邪魔してるんだし」
玲奈さんは綺麗なウインクを決めると、部屋を去っていく。
「玲奈、今日なんか機嫌良いね」
沙希さんが「あ、いつも不機嫌ってわけじゃなくて。今日は特にっていうか」と慌てて付け加えて言う。李珠さんも、「そうだね」と頷いた。
「玲奈ってさ、なんか人と仲良くなるのに結構時間かかりそうな性格してるじゃん? 話してる時に笑ってても、あ、今空気読んで笑ってるなーって思った時あったし」
「あらそうなの? まぁ、あまり感情を表に出す方ではないけれど」
私も美波さん同様、李珠さんに言われるまで気づかなかった。玲奈さんは図書委員で一緒にカウンターに座っている時も、Sky′sの活動をしている時も、ただの世間話をしている時だって、自然体の表情を見せてくれると思っていたけれど……あぁ、でも確かに、爆笑しているところや怒ったりしているところは、あまり見たことがない。
「でも今日の玲奈はさ、さっきみたいにウインクしたり、あさ美波と一緒にサボろうとしてたり。一日中一緒にいたからってのもあると思うけど、大分、私達に慣れてくれたなーって、そんな感じしない?」
「そうね。素直な想い、というには大袈裟かもしれないけれど、壁が徐々に崩壊、というよりかは薄くなってきているのなら、私も話しやすいわ。気を遣われるのは好きじゃないから」
「あはは、美波は気なんか遣わないもんね」
李珠さんが笑うと、美波さんが「気を遣わないのはSky′sに対してだけよ。特に気を遣う必要がないんだもの」と言葉を返す。それに李珠さんが噛みつき、いつもの軽口合戦が始まる。
微笑ましく眺めていると、一人だけ声が聞こえてこないことに気づく。
沙希さんが、真っ白なノートに視線を落とし、口を噤んでいた。
「沙希さん?」
声をかけると、沙希さんはハッとしたように目を小さく見開いた後、「それよりさ」と口を開く。
「瑠琉って、ほんとにフランス行かないんだよね?」
話題の矛先が私に変わったことで、李珠さんと美波さんも言い合いをやめて、私に目を向ける。私は突然の問いかけに咄嗟に反応することはできなかったが、迷いなく頷きを返した。
「い、行きませんよ。皆さんとSky′sの活動を頑張っていくと決めたばかりなのに」
「だよね? 良かったぁ。瑠琉のお母さんも、優しい人で安心したよ。てっきりSky′sなんて今すぐやめてフランスへ来なさい、みたいなアニメの展開になるかと思ってたから」
「沙希はアニメの見すぎよ。私は瑠琉を信じていたから、心配なんかしていなかったけれど」
「そんなこと言ってー? 美波、けっこう深刻そうな顔してたよねー?」
「土下座してた人に言われたくないわ」
「土下座はしてないよっ⁉ 頭は下げたけど!」
「母は、許してくれたのでしょうか……」
沙希さんは、私の母を優しいと言った。でも、私にはどうしても、「応援してる」と言った母が純粋な優しさを持っていたと思えなかった。
「どういうこと? えっと、応援するって言ってたじゃん。それって瑠琉のこと、認めたってことなんじゃ──」
「応援と認めるは、別です。お母さんはきっと、私を許してはくれても、認めてはくれていないと思います」
李珠さんの言葉を遮って、そう言った時。急いで階段を上がる足音が聞こえたかと思えば、半ば息を切らした玲奈さんが部屋のドアを勢いよく開けた。
「玲奈さん……?」
「ねぇ、さっきそこで、瑠琉のお母さんとお婆ちゃんが話してたんだけど……」
玲奈さんは額に汗を浮かべ、切羽詰まった顔をしている。あぁ、今日の玲奈さんは本当に色んな表情を見せてくれるなと、そんな状況じゃないことを頭の片隅で理解しながら、速くなる鼓動を静かに抑えた。
親として、瑠琉のやりたいことを尊重してあげたい。例え本気じゃなくても、ただの遊びだったとしても、高校生活の思い出にはなるだろうしね。
そう、台所で母と祖母が話しているのを偶然聞いてしまったらしい玲奈さんは「めっちゃ気まずかった……」と言い添えた。どうやって食器を持って行ったのかと美波さんが問えば、母がいなくなったタイミングで台所へ入ったらしい。母と祖母の会話で余計な気を遣わせてしまって内心申し訳ない気持ちと、母が言ったらしい言葉の意味を考えて複雑な気持ちが相半ば、私の胸を渦巻く。
「なーんか……、ね」
李珠さんが渋い顔をするも曖昧な言い方をしたのは、私の母が言ったという点を思い出したからなのだろう。Sky′sの活動のことを言われているのに皆さんの発言を抑止してしまうのは違う気がして、私が口火を切ることにする。
「母はきっと私達がYouTuberになることを、小馬鹿にしているんだと思います」
「いや小馬鹿って、そこまでは──」
「いえ。そうじゃないと、そんな言い方しませんよ」
沙希さんの言葉に首を振ると、四人は揃って黙り込んでしまう。しまった、流石に言葉が強すぎたか。母は私に対して言ったのだろうが、Sky′s全体を小馬鹿にしたようなニュアンスで伝わってしまっていないかと、慌てて付け足して言う。
「私、昔から飽き性と言いますか、あまり何かに熱中したことがなくて……。服作りも、今は私のデザインした服を着てくれる皆さんがいるから頑張れますけど、コンテストも出ないしそこまでの実力もなかった当時の私は、母の目から見たら真剣に服飾に取り組んでいるようには見えなかったんだろうなぁって考えたら、まぁ、今回のアイドルになりたい宣言も、あまり本気と受け取ってはもらえなかったのかなぁ、と」
「あぁ、この前言っていた、サボり癖の話ね」
美波さんが思い出して言い、私は深く頷く。
「そうです。だから、母がフランスへ行こうと誘ったのはもしかしたら、私が服飾の仕事に就くかどうかは本当はどっちでも良くて、ただ、私に外の世界を見てほしかっただけなのかもしれません。冒険が大切と母が言っていたように、私に何か、何でも良いから興味を持ってほしかったのかも」
「え、だったらアイドルで良いじゃん。アイドルだけじゃなくて、瑠琉は今真剣に衣装作ってくれてるんだし、興味のあること見つかったんなら詩音さんも嬉しいんじゃないの?」
李珠さんの言う通り、私も母にYouTubeで活動を始めたことを報告する日を楽しみにしていた。母は祖母よりインターネットに理解があるし、母自身Instagramで自分の顔や作った服の写真を上げているから、祖父母の説得に協力してくれるのではないか、なんて期待してもいた。
母は私の夢を全力で応援してくれるだろう。大丈夫、瑠琉ならできるよ。そう、背中を押してくれるだろうと、勝手に考えていた。
「嬉しい、というより……まぁ、やってみれば良いんじゃない? ってニュアンスなのかなぁ、と。別にYouTubeの活動に反対してるわけじゃなくて。きっと、私がフランスでアイドル以外の、服飾以外の興味のあることを見つけても、母は同じ反応だったと思います。興味のあること見つかったんだうんうん良かったね、じゃあ後は自分で頑張って夢を叶えようね、みたいな?」
解り難かったら申し訳ないが、そうとしか言えない。簡潔に纏めると、母は私が将来の夢に繋がるきっかけを与えてくれようとしていた、ということになるが。
「じゃあなんで詩音さんは本気じゃなくても、ただの遊びでも、なんて言い方したんだろう。何て言うか、瑠琉には申し訳ないけど……あんまり良い言い方じゃないからさ。舐められてるっていうか、実際に聞いた時も棘があるように感じたし」
玲奈さんの言葉に、李珠さんはうんうん、沙希さんは控えめにうん、と頷く。美波さんは平坦な顔で、黙って話を聞いている。
私は少し考えた後、もしかしたらの可能性を口にした。
「……拗ねてるの、かも」
「は? 拗ねてる?」
何を言われたのか瞬時に理解できなかったらしい李珠さんに、私はもう一度「たぶん、拗ねてるのかも」と言う。
「母は、本当に私を大切に思ってくれてて。一週間に三回は必ず電話が掛かってくるし、手紙も一ヶ月に一回のペースで届くんです」
「へぇー、愛されてるのね」
「まぁ、あはは……。でも、私はそんな母の想いを、フランスに行かず日本に残るという形で、裏切ってしまったんです」
「あー、そこまで子供大好きなお母さんじゃあ、子供と一緒に暮らせなくなったら絶対寂しくなっちゃうよね」
「まさに、李珠さんの言う通りで。向こうには父もいますし、特に日本でやりたいことのない私もフランスへ引っ越して家族三人で暮らす選択は、正しいと思います。でも……」
でも、私は日本でやりたいことを見つけてしまった。母の想いをまたも、裏切ってしまったのだ。だから母は“親として”私がやりたいことを尊重すると言ったのだ。子の進む道を妨げてはいけないと、本当は家族三人で暮らしたい自身の、個の望みを捨てた。
言い換えれば、母は私を私として見てくれている。母は私に「流石私の子」と言ったけれど、それは所詮母と子が同じことをしているという繋がりに感動しただけにすぎない。母は、私が特別な子だなんて思っていない。私が母のように何かしらの才能を持っているなんて期待しておらず、私は私に相応しい環境で生きるべきだと考えている。だから、母は私を無理にフランスへ連れて行こうとせず、日本に残りたいなら残れば良いと優しいようでいて突き放す言い方をしたのだ。
家族三人で暮らせないなら、私の望みを捨てて遊びを優先するのなら、それはそれで良い。もう知らないと母は言った。なんて、今までのは全て、ただの妄想に過ぎないのだけれど。
「なーんかうだうだと言っているけれど」
ローテーブルに片腕を載せ胡坐をかく美波さんは、心底どうでも良いと言うように息を吐いた。
「どうでも良いわね。心底どうでも良い話だわ」
あ、本当にどうでも良かったんだ。美波さんならてっきり、小馬鹿にされたことを怒るかと……あぁいや、美波さんなら二択だろう。小馬鹿にされたことを怒るか、誰にどう言われようと活動に影響しないと切り捨てるか。今回は、後者だった。
「つまらない。聞いていて何も面白くない、何も生み出さない、無価値な話よ」
「うぐっ、すみません」
「だって話の目的が見えないんだもの。で? 瑠琉は結局どうしたいわけ?」
「え?」
「詩音さんにSky′sを応援してもらいたいのか、本気じゃないと言ったことを撤回してほしいのか。そもそもあなた、何に悩んでいるの?」
何に悩んでいるか。そんなの、母がSky′sで活動する私を本気じゃないと、ただの遊びと言ったことだ。だけど、そのはずなのに、何故だろう。私の心は特に荒ぶるでもなければ、傷がついたわけでもない。ただ、小さく揺れている。それと、靄が掛かっている。何か、大事なことに気が付いていないような、そんな気がする。
「……あ」
呟き、悩みが明瞭になる。そうだ、私は。
「私……私は、本気なのでしょうか」
母は本気じゃない、ただの遊びと言った。それに私は、否定したい気持ちより先に、どうして母がそう言ったのかをずっと考えていた。何故ならきっと、〝本気じゃない〟という言葉が図星であるかもしれない可能性に、無意識に蓋をしてしまっていたからで。
「本気って、何なんでしょう」
Sky′sの活動を、頑張りたいと思っているし頑張る所存だ。衣装製作も、歌もダンスも、皆さんのレベルについていけるように取り組んでいる。まだまだ、実力は足りていないけれど。
でも、どのくらい頑張れば本気になるのだろう。それが、私には解らない。
「そんなの人によると思うよ」
玲奈さんが特に迷うこともなく言った。
「例えば、YouTubeのチャンネル登録者一千万人を目指すことだけが、本気ってわけじゃなくて。数に拘りがなくても視聴者に楽しい動画を提供するために、撮影だったり編集だったりに妥協しない姿勢で取り組んでれば、それは充分本気だって言えると思う。目標が高いか低いかなんて関係なく、自分が目指すところに進んでれば、それで良いんじゃないかな」
「そうね。それも一理あるけれど、私は結局のところ熱量が一番大切だと思うわ。三十分で作った曲と一ヶ月かけて作った曲……どちらもバズる可能性はあるけれど、私の統計では最近は数十分で作った曲の方が人気になりやすい。時間を掛ければ良いってものじゃないの。大切なのは質よ」
美波さんの言葉に思うところがあったのか、李珠さんが「そうだね」と同意を示した。
「オーデションとかコンクールとか、数打ちゃ当たるってもんじゃないし。一個一個の課題に真剣に向き合ってれば、それは充分本気って言えるよね」
「それで言うと、瑠琉はもう本気なんじゃないの? 毎朝ちゃんと走ってるし、練習も一回も休まないし。衣装だって、ギリギリまで粘ってデザイン考えてくれてたでしょ?」
沙希さんの言うように、夏祭りのイベントに向けた新作の衣装について考えていたことは記憶に新しい。皆さんに意見も聞いてそれなりのデザインにはなったが、もっと工夫を凝らすことができたのではないかと少し悔やむ部分もある。だが、そうだ。悔しいということは、本気ということなのかもしれない。
「……私、明日からの練習も頑張ります。撮影も、編集も、夏休みなんですから、できることは全部しないと」
力を込めて言うと、李珠さんが「でも」と心配そうに口を開く。
「せっかくお母さん帰って来てるのに、ほんとにそれで良いの? お母さん、瑠琉と会えるのすっごく楽しみにしてたんでしょ?」
「勿論夕飯や、お母さんと一緒にいられる時間は大切にします。でも、皆さんと過ごす時間も私にとっては同じくらい大切にしたい時間なんです」
「それは、詩音さんに本気であることを証明するため?」
髪をくるくる巻きながら美波さんが言うも、私は静かに首を横に振る。
「いえ。証明なんてものじゃなくて。ただ、頑張りたいから頑張るんです」
私の想いが本気かどうか、それはSky′sの結果──直近で言うと夏祭りのイベントがどうなるかで判ること。今は、我武者羅にでも頑張るしかない。
先の未来を明るくするべく、まずは目の前のことに真剣に取り組むのみ。シャーペンを持ち直して白紙のノートに英文字を書きこめば、続いてシャーペンが走る音やページを捲る音が室内に落ちた。




