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Sky’s  作者: 白咲実空
#1.マジックアワー
6/24

 赤く染まる校内は、時折先生や生徒とすれ違うも、昼間のような人気はなく閑散としている。吹奏楽部が空き教室で練習しているようで、低音楽器の音が微かに鼓膜を揺らした。

 施錠されているかもしれないと懸念していたが、教室にはまだ人が残っていた。

 後ろ戸の窓から、前の席に座るピンと伸びた背筋、癖っ毛らしいゆるふわヴェーブの髪、皺ひとつない制服、綺麗に組まれた足……清瀬(きよせ)さんの姿を確認する。

 一瞬躊躇したが、遠慮する必要もないので戸を開ける。すると、清瀬さんが振り向いた。

 清瀬さんの耳にはワイヤレスイヤホンが入っていた。音楽でも聴いていたのかもしれない。見つめ合うこと数秒。なに聴いてるの、帰らないの、とクラスメイトならこんな会話をするのかもしれないが、相手は清瀬さん。孤高を愛する一匹狼だ。話しかけたところで会話が盛り上がるとは思えなかった。

 清瀬さんが私から目を逸らしたので、私も教室に入る。机から現代社会の教科書と、あまり書き込んでいないノートも一応、出して鞄に入れる。

「明日のテスト?」

 あまりにも、唐突だった。

 振り返ると幽霊がいた。そんな衝撃で跳ねる心臓を他所に、清瀬さんは言葉を続ける。

加苗(かなえ)先生も突然よね。今日の授業で言ってくれたら良かったのに」

「あ、あー……忘れてたん、だろうね、たぶん、知らないけど」

「だったら明日じゃなくて、次の次の授業で小テストをしてほしいものね」

 笑うでも怒るでもなく、清瀬さんは淡々とした調子で言う。見るとイヤホンは外され、ケースに仕舞われていた。人と会話をするときは会話に集中するタイプのようだ。

「ねぇ、そう思うでしょ?」

 それと、人の目を見て話すタイプらしい。私は、清瀬さんの目ではなく鼻の位置を見た。

「そ、そうだね。急に言われてもって感じ、だよね。じゃあ、私はこれで……」

 教科書もノートも回収したので帰ろうとする、私の足を清瀬さんは引き留める。

「歌詞、ご自分で痛いと思いませんか? いつまで続けるつもりなんでしょう? そろそろ現実を見た方が良いですよ?」

 ハキハキと、アナウンサーのように読み上げられる凛とした涼やかな声に、私の身体と脳の機能が完全に停止した。半開きの口すら閉じることを許されず、視線は自分の鞄に注がれたまま清瀬さんを見ることができない。

「この文章に、聞き覚えはないかしら?」

 冷たい汗が額に滲む。真っ白になった思考が段々と明瞭になってくると、質問内容を理解した機能が、正しい回答を探すためどうしようどうしようと暴れまわる。でも、黙っているのは良くない。確信犯になってしまう。

「し、知らないけど」

 しまった、ちょっと怪しい言い方になってしまった。清瀬さんの顔を見ると、清瀬さんは平坦な顔のまま「ふーん」と色のない声で相槌を打つ。

「あなたが送ったんじゃないの?」

「はぁっ⁉ 違うし! それだけは絶対違うから!」

「それだけは、ってなに?」

「あっ……いや、深い意味はなくて」

 罠? 今の罠だったの? 怖すぎるんだけど。でも、本当に私が送ったコメントではない。清瀬さんもそこは確信を持てたのか、「そう」と幾分か柔らかいトーンで言う。

「……ごめんなさい。証拠もないのに、疑うものじゃなかったわ」

「ほ、ほんとだよ、もー。びっくりした」

 あはは、と乾いた声で笑う。

 それにしても清瀬さん、スマホ見ずにコメントの文章、たぶん一語一句違わず読んでたよな。普段は人に興味ありません悪口とかどうでも良いですみたいな澄ました顔してるのに、やっぱりいざアンチコメントを貰うと動揺するんだ。てか、イヤホンで音楽聴いてるみたいだったけど、自分の曲だったりして。もしかして自己愛強いタイプ? あんまり注目されたくないんですって表面上では言いながら、承認欲求めちゃくちゃ強そう。ま、クリエイターってそういう人がなるみたいなところあるし──

「いっ……⁉」

 性格の悪いことを考えていたからか、歩こうと足を踏み出したとき、机に思い切り脛をぶつけた。

「ちょっと、大丈夫?」

「う、うん。平気平気……」

 強気な返事とは裏腹に、蹲って脛を抑えたまま立ち上がれなくなってしまう。よく身近な怪我の代表として足の小指を箪笥の角にぶつけるなんて例があるけど、脛の方が断然急所だ。あーあ、仲の良い友達の前なら全然良いのに、清瀬さんの前でこれとか恥ずかしすぎる……いや、私に友達はいなかったな。誰の前でも恥ずかしいわ。

「あら、何か落としたわよ?」

「え? ああ……」

 清瀬さんはわざわざ席を立つと、スカートから落ちた飴を拾ってくれた。「サイダー? 飴かしら?」と呟く清瀬さんから、飴を受け取りながら頷きを返す。

「さっきダンス部の体験入部に行っててさ。あ、入部はしなかったんだけど、体験してくれた人に配ってるからって、部長がくれたの」

「へぇ、粋なことをするのね」

「うん。でも、あんまり気の合う人ではなかったかな」

 清瀬さんの目が、見開かれて、細められる。「そう」と呟く清瀬さんに、私は頷く。

「そう。けっこう大会で成績は残してるけど、優勝はしたことないみたいでさ。でも、それも説明聞いてたら納得っていうか。夏に金沢で合宿してるらしいんだけど、海で遊んだり花火したりっていうのを強調して言ってて、どう考えても本気ではなさそうじゃん?」

 ただの世間話、程度のつもりだった。

 帰るタイミングを失ったからか、気まずい沈黙を恐れたからか、鬱憤が溜まっていたからか、訊かれてもいないことをべらべらと喋り始めてしまう。

「昨日も軽音部の体験入部に無理矢理つれて行かれてさ。で、先輩たちがめちゃくちゃ自信ありげにライブをしてくれたんだけど、コピーバンドだったんだよ? しかも凄く下手なの。楽器の音が全然噛み合ってなくて、でも先輩たち凄く笑顔で、下手なのに気づかないんだって笑いそうになっちゃって。歌も上手いのか下手なのか判らないカラオケレベルだし、しかもライブハウスで練習してるって誇らしげに言ってプロ感出してくるし、ほんと寒かった。2年くらい? 活動してきてそのレベルなんだぁって、共感性羞恥って言うの? 聞いてるだけで恥ずかしくなって。でも、私が興味ないって断ったらなんか、凄い嫌悪感で睨んできてさ。自分の思い通りにならないと不機嫌になるとか、子供か──」

「そう。それで、どうして穂條(ほじょう)さんは軽音部とダンス部に体験入部したの?」

 暫く黙って話を聞いていた清瀬さんが、そう訊ねた。私は手を振って、「違う違う」と返す。

「私が自主的に行ったんじゃなくて、ほとんど無理やりだったんだよ。私には無理ですって断ってるのに、全然伝わらなくてさ。穂條さんしかいないみたいこと言われてさ。自慢みたいに聞こえるかもだけど、ほんとに困ってるの。軽音部とダンス部だけじゃなくて、運動部とかも毎日正門の前で私のこと待ってて──」

「でも、それっておかしくないかしら?」

 清瀬さんの声には、蛇口をキュッと閉めたような響きがあった。言われたことの意味が本気で解らず、「え?」と間の抜けた声が出る。

「おかしいって、私、何も変なこと──」

「言ってるわよ。だって、その口ぶりだと穂條さんは、体験入部に行きたくて行ってるみたいじゃない」

「……は? いや、違う違う。違うってば。だから、私は先輩に無理矢理──」

「本気で嫌なら行かなければ良かったじゃない」

 真っ直ぐな軌道で飛んできた矢が、私の身体を掠めた。傷口から一滴、また一滴と黒い雫が落ちていく。私は見られまいと、傷口を隠す。

「行かなければって……相手は先輩だよ? 嫌だって正直に断るのは失礼でしょ」

「先輩って、たかだか1つ2つしか違わない子供でしょう? 何を気遣う必要があるの?」

「……っ、人付き合いが好きじゃない清瀬さんには解らないかもしれないけど、こういうのは人間関係の基本なの。誘ってくれたら乗っておくもので、それが、コミュニケーションってものなの。いきなり入部を断るより、体験入部を踏んでから断った方が円滑だし」

「あなた、随分と面倒な世界で生きているのね」

 大事に育ててきた花の茎が、目の前でへし折られたようだった。清瀬さんは、私の心情など気にせず淡々と言う。

「私がどこかの部活の部長だったなら、入らないと決めている人に体験入部なんか来てほしくないわ。例えそれが友達の付き添いとかいうありがちな理由だったとしても、利益にならない人のために時間を割くなんて無駄だもの。あなたがやっていたことはそういうことよ。先輩たちに無駄な時間を使わせたの」

「いやでも、私、ちゃんと断ったし……」

「私には無理とか言って断ったと言っていたわね。でも本気で嫌だったのならなぜ、入る部活はもう決めていると言わなかったの?」

 ……そんなの、知らない。そんな発想は、思いつかなかっただけだ。

「そんなの、嘘だよ。私、どこの部活にも入るつもりないし」

「部活に入るつもりがなくても、それが嘘だなんてどうせバレないもの。それに、部活じゃなくても塾とかバイトとか、放課後はちゃんと用事があるって言えば良かったんだわ」

「そんなのっ、できるわけ、ないじゃん……。だって、部活に入るって嘘がバレたら? 後でどこの部活にも入ってないって解れば、後で面倒なことになるかもしれない。塾だって、適当な塾の名前言ってそこに通ってないことがバレたら? バイトも、バイト先を訊かれて後で来られたら? 嘘を吐き続けるなんて、そんなの無理だよっ」

「無理じゃないわ」

「無理だってば! なんでそんな、無責任なことがっ──」

「だって、誰もあなたに興味なんてないもの」

脳天を撃ち抜かれたような衝撃に呼吸が止まり、言葉をゆっくり噛んで飲みこむと全身の力が一気に抜けた。大きく広がった傷口から黒い液体が溢れて、私の足元に水溜まりを作る。

「………………ぇ」

 無意識に一歩下がった足が、後ろの椅子とぶつかる。大した衝突ではない。バランスを崩すほどのことではないのに、身体が垂直に落ちそうになる。慌てて、手を後ろに回して机の角を掴み、握る。

「きょう、みは……だって私、清瀬さんは知らないかもしれないけど、カラスタっていう……Colorful(カラフル)Stars(スターズ)オーデションっていう、アイドルのオーディション、けっこう有名なやつで、配信とかもされてて、最終選考まで、残って、だから、学校、は、皆が私を知ってて、いつも視線を浴びてるの、私を馬鹿にしたような、憐れむような目を、皆がっ──」

「そんなのただの被害妄想ね。全ての人間がアイドルに興味があると、本気で思ってるの? 体験入部にやや強引に誘われたのは、そうね、そういう理由もあったのかもしれないわね。でも、本当にそういった事情から注目を集めることに辟易していたのなら、嘘でも何でも吐いて逃げれば良かったのよ」

「だから嘘はっ──」

「あなたがどこの部活に入ろうがどこの塾に通っていようがどこでバイトしていようが、個人の嘘を見抜こうとわざわざ行動するような人間は究極の暇人以外ありえないわ。それか、よっぽどあなたを気に入って、あなたに執着しているストーカーか、どちらかよ。でもどちらでもない。だってあなた、多くの部活から入部の誘いがあったみたいだけれど、誘われたのはどこも1回きりじゃないの?」

「……なんで、そんなことが清瀬さんに解るの」

「簡単なことよ。入学式から今日までまだ2週間と少ししか経っていない。こんな短期間で多くの部活に誘われれば、全ての見学をするためには1つの部活につき体験入部は1回が限界でしょう? それに、軽音部もダンス部も、体験入部が済んでから断ったらちゃんと解放してくれたのでしょう? 本当に先輩があなたを求めていたのなら、断られても2回3回誘うのよ。冷静に考えてみなさい。今は体験入部期間なのよ? 先輩から部の勧誘を受けている生徒はあなただけじゃない。先輩方があなたに向ける興味は、部活に入ってくれる可能性を1パーセント以上秘めた新1年生という点が大きいだけ。カラなんとかオーディションは、以前生徒会長だったとか、ボランティア活動をしていたとか、内申点のようなものよ。ある部活に特化した、それこそアイドル部なんてものがない限り、大した点数にはならないわ」

 ……違う、違う違う違う違う違う。だって私は、カラスタ経験者だ。カラスタ経験者を、アイドル養成所で積んだ経験を、生徒会長やボランティア活動なんかと一緒にするな。生徒会長になることと、カラスタで最終選考まで残ることを同義にするな。

「そもそも、言っていることが矛盾してるじゃない。あなたさっき、多くの人間が自分に憐れみとかそういった目を向けていると言っていたけれど、それなら先輩方はあなたなんか部活に誘わず、そっとしておくはずよ。気分転換に、なんてお節介なことを考えて誘っていたのだとしても、一度断られた時点で身を引くはずだわ。だって、地雷を踏んでしまう可能性のある人を入部させるなんて、部内の人間関係が悪くなってしまうかもしれない。メリットもあるにはあるでしょうけど、気遣いが必要な人って接していてデメリットの方が大きいのよ? ……注目されたくない、だけども注目のきっかけとなった何とかオーディションの経験は誇らしく思っていて、周りは誇らしい自分に興味を持っていると思っていたい。なんて、矛盾よ」

「違うっ!」

 違う、違う、違う。私はそんな人間じゃない。注目なんてされたくない。嘲笑も同情も大嫌いで、私を馬鹿にする人と関わるくらいなら1人でいる方がマシだ。カラスタの経験は、私にとって、黒歴史だ。世界中の人の前で最終選考に落ちて、歌もダンスも顔も全てに魅力がないと非難されて、未だにSNSや掲示板ではアンチが泳ぎ回っている。部活に誘われるのも、迷惑だ。私はもう歌もダンスもやりたくない。アイドルを繋ぐ要素から距離を置きたいのに、私の気持ちも考えないで好き勝手なことを言いやがって。誰も、私のことを解ってない。解ろうともしていないくせに──。

「勝手なこと言わないで! 私が、どれだけ本気でアイドルと向き合ってきたと思ってるの⁉ 中学3年間養成所で……ううん、小学5年生の時から毎朝走って、歌とダンスの練習をして、必死で、少なくともこの学校にいるどいつよりも、夢に向かって真剣に取り組んできた! 軽音部もダンス部も、他の部活だって全部! 馬鹿にしてる! 私を、本気で努力してる人達を!」

 喉が張り裂けそうなほど声を荒げて、全て言い終えた頃には肩で息をしていた。親にだってここまで叫んだことはなかった。

 対する清瀬さんは、感情のないロボットのように、色のない声で音を紡ぐ。

「……呆れた。ここまで滑稽な人間に会ったのは初めてだわ」

「はぁっ⁉ 私だって、ここまで失礼な人に会ったことないから! 私とあんた、ほとんど初対面みたいなもんでしょ⁉ 普段は人に興味がありませんみたいな涼しい顔しててさぁ、私に対してだけしつこいくらい突っかかってくるじゃん! なに? 喧嘩したいの? そうやって正論ぶったこと言って、人を論破するのが好きなんだ? Twitterに引っ越したら⁉」

 何も考えず、傷つく単語を突発的に口に出す。傷つけば良い。ボロボロになって、怒って、泣いて、感情を露わにさせれば私の勝ちだ。

 だが、清瀬さんは私の挑発に乗ることなく、細められた目をますます細くして言った。

「あなた、頑張ってないじゃない」

 ひゅっ、と喉が鳴った。目の先に刃を突きつけられたような、赤黒い沼が足の先に広がっているような。やめておけ、そんな警告音が頭のどこかで鳴っている。これ以上は私が傷つくだけだ。逃げろ。逃げてしまえ。だが、私の錆びついたプライドに、そんな警告は響かない。

「ま、頑張ってはいたんでしょうね。去年までは。でも、今はどうなの?」

「いま、は……」

 カラスタで輝いていた頃の配信を見返して、ポジティブなコメントを何度も何度も目に焼き付けた。ずっと応援してます、李珠ちゃんのステージをまた見たいです、なんてコメントを貰えば、生命線が太く、濃くなって、生きている実感を持てた。私は特別であると、心の隙間を仮初の輝きで埋めた。抜け殻に縋り付く日々は、ぬるま湯に浸っているようで、

「コピーバンドも、楽しいを優先したダンス部も、あなたより動いているわよ。それがどんなに下手で、努力不足なように見えても、今なにもしていないあなたよりは確実に、着実に、有意義な時間を過ごしているでしょうね」

 とても、楽で、

「それをあなたは何? 過去の経験を武器に色んな部活に顔を出して、馬鹿にして去っていくなんて、悪趣味がすぎる。自分は頑張ったと自身を納得させるために今頑張っている人を見下すなんて、随分と下劣だわ。別にコピーでも良いじゃない。夢なんて、誰かの真似事から始まるものよ。それにもしプロを目指していなくとも、彼女たちが好きでコピーをしているのなら、それは自分の好きと向き合っているということであって、そこには必ず価値があるわ。好きを諦めて自暴自棄になっているあなたより、よっぽど眩しい存在よ」

 とても、苦しくて、

「誰かを馬鹿にする時間があるなら、自分を磨いたらどうかしら? 頑張ったか頑張ってないかなんて判らなくなるくらい、周りなんて気にならないくらい、何かに没頭したらどう?」

 自分の居場所がなくなってしまったような喪失感から目を逸らし、現実に背を向け、自分にとって都合の良い妄想に浸る日々は、楽しくもなければ安心もできない。本当はどこかで焦っていて、辛くて、どうにかしなきゃって藻掻きたくて、自分を変えたいって思いながら、行動なんてできなくて。

 だって現実は寒いから。どんなに努力を積んでも、誰かが認めてくれないと、頑張ったとは言えないから。

「夢を諦めたのも、部活に顔を出したのも、全部あなたが決めたことよ。あなたの人生は、全てあなたの選択で作られていくの。誰かが強引にあなたの選択を奪ったようにみえても、それに従わざるを得なかったとしても、従うと選択したのならあなたが決めたことになる。だって、自分の人生に責任を負うのはあなたしかいないもの。誰かのせいにしていたって、何も始まらないし何も変わらないわ」

 清瀬さんは、机に広げていたスマホやイヤホン、筆記用具などを片付けると、席を立つ。

「人の好きに実力でしか価値を見出せないなんて、そんな侘しい価値観、早く捨てられると良いわね」

 最後にそれだけ言って、清瀬さんは私の横を通り過ぎて行った。

 教室に、私1人だけが取り残される。明日の時間割が書かれた黒板。教科書やノートが出しっぱなしになった机。遠くから聞こえる吹奏楽部の音色。サッカー部の歓声。野球部の怒声。これから塾、と駐輪場の方から張り上げる声。最終下校時刻のチャイム。時計の針。また明日がやってきて、明後日もきて、明々後日もきて、1年を終え、2年になって、気づけば卒業しているのだろう。3年間なんてあっという間。中学3年間より早く過ぎると先生は言う。

 私はこの3年間、何をするのだろう。どう生きた証を残せば良いのだろう。軽音部もダンス部も、私より数歩先に進んでいて、何かをしている。皆、動いている。

 今、何もしていない私は。

 ──頑張ってないじゃない。

 清瀬さんの言葉が、深く、私の心臓に突き刺さっている。何も言い返せなくなってしまった自分が悔しくて、でもそれ以上に、無理矢理ぬるま湯から追い出されたような絶望が、本当はもっと早く知っておくべきだった感情が、心に埋めた欠片から輝きを吸い取り、私から抜け殻を奪っていく。

 私の身体が、空洞になる。

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