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引き戸を開けると一気に体温が上昇。蒸されるような空気に全身が悲鳴を上げそうになる。
「瑠琉―、終わったら庭の打ち水もやっとくれー」
祖父の声に「はーい」と低い返事をして、引き戸を閉める。箒を持ってえっちらおっちら歩いていると、丁度郵便屋さんが配達に来たところだった。わざわざ鳥居の前にバイクを止めて、「郵便でーす」と郵便物を持って走って来る。
郵便物は、祖父母宛ての葉書と封筒が幾つか。それと、私宛に封筒が一つ。誰からだろうと確認すると、私の暑く乾ききった心にパッと新緑色の草木が芽吹いた。
フランスの国旗がデザインされた封筒を手に、私は急いで家へ戻った。
*
夏休みと言えども、学校はちゃんとある。月曜から金曜の五日間、午前の一時間目から四時間目まで、生徒は希望した授業を受けるために学校へ足を運ぶのだ。勿論どの授業も希望しないことはできるのだが、夏休みもちゃんと勉強しておかないと大学進学がーと半ば脅しのようなことを口にする先生と、大半の生徒がいずれかの授業は希望するため長いものに巻かれる人は不真面目でも希望する。そのためほとんどの生徒が希望する結果となり、私は月曜日と火曜日の一時間目と二時間目、木曜日の四時間目だけを希望する形となっていた。今日は火曜日なので、一時間目の英語と二時間目の生物基礎が私の授業スケジュールだ。
「おっ、瑠琉いるじゃん。ラッキー」
教室の戸が開いて、李珠さんがひょこっと顔を出す。何がラッキーなのかは解らないが、私は「おはようございます」と定型文を返した。李珠さんの後ろには沙希さんもいて、何故だか今日はポニーテールをしている。は、はわわ、可愛すぎる……。
「おはよう瑠琉。英語とってたんだ」
「おはようございます沙希さん。英語はやっぱり文系でも理系でも必要ですからね。美波さんと玲奈さんは……希望しなかったんでしょうか」
教室を見渡して美波さんと玲奈さんの姿を探すと、李珠が苦笑しながら曖昧に頷いた。
「希望はしてるみたいだけど。抽選に落ちて水曜になったんだって」
「水曜って、鰐淵先生でしたっけ?」
「そうそう。不人気の」
一年生の英語は私達が受ける後藤先生と、他に鰐淵先生が担当している。希望用紙の科目を選ぶ際、先生の負担を減らすため複数の先生から第一希望、第二希望、第三希望までの先生を選択することになっているのだが、美波さんと玲奈さんは抽選に外れてしまったらしい。
苦笑しつつ、私はちらと沙希さんの髪型に目を滑らせる。高めの位置で括られたポニーテール。いつもしているリボンの髪飾りはなしだが、可愛すぎない仕様が逆に可愛い。
「沙希さん、ポニテ、可愛いです!」
「そ、そうかな……? へへ、暑かったからしただけなんだけど……」
沙希さんは触覚を弄りながら照れ笑い。気のせいか、教室のあちこちから視線を感じる気がする。主に、男性から。
「李珠さん……」
「うん。瑠琉も気づいたみたいだね……」
「ふ、二人とも? 何かあった?」
何かあった、ではない。私は李珠さんと目配せを続けながら、周囲の視線に気を配る。
「李珠さん、Sky′sはアイドルグループですが、恋愛は……」
「別に禁止してない。最近はそういう事務所も多いし。ただ報告はしてほしい。スケジュールに支障をきたす場合があるから。そう、あくまでスケジュール管理のため。私欲じゃない」
「ですね。というわけで沙希さん、今ご恋愛の方はどういった進捗なのでしょうか?」
「ごれんあい……? れんあ……うえぇっ⁉ ないないない、恋とかしたことないし!」
私と李珠さんの視線の先が、沙希さんのみに固定される。たぶん、周囲もさっきとは別の意味で沙希さんを見ていると思う。顔を赤くする沙希さんとは対照的に、真顔の私と李珠さん。
沈黙の後、
「えぇっ⁉ マジで⁉」と李珠さんが叫び、
「えっ、てことは、初恋もまだ……⁉」と私が叫ぶ。
沙希さんは下着でも見られたような勢いで、「そ、そうだけど⁉」と珍しく少しだけ怒ったような口調で言う。自分で自分を抱きしめる沙希さんは、完全に清廉潔白の美少女だ。
「そ、そういう李珠と瑠琉は⁉ 恋愛、したことないの⁉」
「私はないよ。小学生の頃から女性アイドル一直線で、去年までは養成所とかで忙しかったもん」
「えっ、ないんですか⁉」
李珠さんはもう一度、「ないよ」と首を横に振る。え、ええ? あれだけ沙希さんの初心な姿勢に驚きを示しておいて? 李珠さんは「え?」と数回瞬きを繰り返した後、
「瑠琉はしたことあるの?」
と完全に沙希さんの陣地に回ってしまった。どういう風の吹き回しだろう。完全に二対一の構図になってしまった。
や、恋愛はしたこと、ある、けど。けども、私が首肯したところで二人から恋愛エピソードを聞きだせるわけではない。私だけが語って終わりになってしまうのはなんか、損をしたみたいで嫌だ。
「こ、この話はまた、今度にしましょう……」
「あっ、隠した! 絶対ある人の反応だ!」
「え、瑠琉ちゃん? 瑠琉……えぇっ、あんの⁉」
沙希さんと李珠さんがきゃあきゃあ黄色い声を上げるが、こういうトークはもっと修学旅行とかの夜に話すべきことであって……。それに、Sky′sの五人が揃っている場なら私以外にも恋愛経験の一つや二つ持っている人はいるだろうし……あぁでも美波さんはなさそう。期待できるのは玲奈さんしかいないけど、玲奈さんも玲奈さんでそういう話全く聞かないし……。
「あ、それよか瑠琉、合宿の話ってどうなった?」
恋愛トークは置いといて、と李珠さんが言う。こういう時の女性は大体、私が口を割るまで彼氏やらフラれた経験やらを根掘り葉掘り訊きだすものだと思っていたけど、李珠さんは本当に話したくない時はさっと引いてくれる。空気が読めるなぁ、と感心しながら、私は思考を恋愛から合宿に切り替える。
Sky′sで合宿をしようという話が出たのは夏休みが始まる前のこと。せっかくなら青春っぽい思い出が欲しいよねという不純……否、一蹴回って純粋な動機を李珠さんが口にしたことがきっかけだった。これが部活であれば学校側がバスの手配やらホテルの予約やらをしてくれるのだが、私達には予約できる行動力はあっても資金がない。李珠さんはバイトを始めたばかりで貯金は皆無、私も家に手伝いはしているが貯金はほとんどない、他三人はバイトをしていないということで、遠出は断念。じゃあ誰かの家に泊まりこみでダンスの練習や作業を進めようということになったのだが。
「すみません、合宿の日程っていつでしたっけ?」
「来週。七月二十九日から三十一日まで。勿論、三泊が無理なら一拍だけでも良いよ。何なら期間を五日に伸ばして、全員の家に一泊ずつするのはどうかって案が美波から出てるんだけど」
「え、待って。私の家大丈夫かな……」
心配する沙希さんに、李珠さんが「あ、無理しなくて全然。まだ決まったわけじゃないし」と手をひらひら横に振る。無理しなくて良い、という言葉は信じられる。私も逆の立場で李珠さんの家を使うのが難しかったら、人様のお家だから仕方がないと諦められるし。
でも、私の場合は少しだけ心苦しいものがあった。というのも、合宿地の候補にまず挙げられたのが私の家だったからだ。広い家に広い庭。勿論、無料で貸し出すわけではない。神北家の手伝いをすれば祖父母も助かるし、良い運動にもなるのではないかという条件付きだ。お盆は来客が大勢押し寄せるが、七月末なら予定もないということで私が祖父母に相談をした結果、祖父母は条件を飲んでくれるならということで快く承諾してくれた、のだが。
「すみません。七月末は……母が、帰って来ることになってしまったんです」
「瑠琉のお母さんって確か、フランスにいるんだよね?」
沙希さんに言われ、私は小さな頷きを返す。
「はい。三十日から一週間、こっちに帰って来るみたいで」
「そっか。せっかく帰って来るんなら、邪魔しちゃ悪いね」
李珠さんの気遣いはありがたいが、残念ながらそれだけではない。
「母が帰って来ると、母関係の来客が大勢いらっしゃるんです。小学生時代の友達から、日本で仕事していた頃の同期の方、先輩、後輩……更には昔の恋人まで。なので、二十九日から準備のために結構バタバタするみたいで……。合宿が先約だったのに、すみません」
「ううん。それは全然良いんだけど……。瑠琉は、合宿参加できそう? もしあれだったら、日程ずらそうか?」
「え、どうしてですか?」
「だって」と李珠さんは続けた。
「せっかくお母さんと過ごせる時間、削っちゃうのは勿体ないよ。合宿なんていつでもできるんだからさ」
李珠さんは合宿のためにバイトの連休をとったと言っていた。玲奈さんは合宿のスケジュールを念入りに作ってくれていたし、何より、八月末に開催される夏祭りのイベントにSky′sが参加するため、新曲の歌とダンスの練習で今は結構忙しい。一分一秒でも長く、五人全員で練習する時間が必要なはずだ。
「衣装、もう作り始めてるんでしょ? こっちでもやっとくから、仮縫いの段階で私達に投げて。自分の分は自分で作るよう、二人には言っとくから」
「美波は……一人で大丈夫かな?」
「そーれは沙希ちゃんが見ててくれないと」
「えぇー……」
私は作詞も作曲も、ダンスの振り付けも、機械音痴だから動画の編集だってできない。李珠さんと美波さんのように歌が得意なわけでもなければ、沙希さんみたいにダンスができるわけでもないし、玲奈さんみたいに動画の段取りや面白い企画を考えることもできない。
私は何一つ手伝えないのに、衣装製作を手伝ってもらって良いのだろうか。
……あれ? もしかして私、皆さんの足を引っ張るだけの存在なんじゃ……。
「……練習には、参加します」
「え。いやでも──」
「動画の撮影も、ちゃんと出ます! 母との時間は大切ですが、Sky′sの活動だって、私は頑張りたいです! 頑張らせてください!」
李珠さんは目を梟のように真ん丸にする。沙希さんも同様に、新種の雑草でも見つけたような顔で「そ、そう?」と首をやや傾げて呟く。私が「はいっ」と意気込んで言うと、教室の前戸が開いて英語の先生が入って来た。そろそろ授業の時間だ。
「まぁ、あんまり無理しないでね?」
優しく沙希さんが言うと、李珠さんも「そうだよー」と乗っかって言う。
「瑠琉って目を離すとすぐ無理しそうだし。あんまり一人で抱え込んじゃ駄目だよ?」
気遣ってくれているのは解っている。けれど、どの口がそれを言うのだろうと、少し尖った感情が出てきてしまう。李珠さんだって先日、SNSでライトさんという迷惑系YouTuberの方から絡まれた時、一人で抱え込んで悩んでいたくせに。私は……私は寧ろ、あんまり皆さんに迷惑をかけられない。かけてはいけない。歌もダンスも今よりもっともっと技術を磨かないと、夏祭りのイベントはMV撮影と違ってその場で、お客さんの前でパフォーマンスをしなきゃいけない。失敗してもやり直すことができない、一発勝負の舞台なんだから。
歌もダンスも、私が頑張らないと上達しないのだ。だから、私はもっと頑張らないと。
授業開始のチャイムが鳴る。外で暮らす蝉の声がやけに大きく聞こえ、冷房が効いているとはいえほんのり暑いせいか、首筋を一粒の汗が伝った。




