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ビジネスホテル『HYPER HOTEL』は、温泉付きにも関わらずリーズナブルなホテルだ。そのせいか、仕事の都合で利用している社会人だけでなく、観光に訪れているらしき人まで様々な風貌を見かける。私は、清掃担当の社員さんである尾形さんの後ろをついていきながら、すれ違う人や壁に掛けられた絵なんかを観察していた。
四階の一番奥の部屋まで来ると、尾形さんはドアの鍵を開けて中へ。私も中へ入ると、まずぐちゃぐちゃになった布団が目に入った。二十平米の広さにベッドが二つ、その他の家具が無理矢理収められているからかもしれないが、礼儀の欠片もない布団の有様とローテーブルに転がった空のペットボトルだけで酷く散らかっているように見えてしまう。
「まずは、ベッドメーキングから教えるね。ちょっと見てて」
三十代くらいの尾形さんは大きいとも小さいとも言えない、けれども控えめな声でそう言うと、ベッドに手をかける。布団のカバーを外し、中身のふわふわした布団の元(他にどう言えば良いのか解らない)を取り出す。枕のカバーも取ると、布団のカバー、シーツを合わせて床へ放るようにして置く。床に置いて良いのか、まぁどうせ洗うんだしな。
尾形さんは次に、私が持ってきた洗濯籠と同等のサイズの籠から新しい枕カバー、シーツ、布団のカバーを出すと、枕からカバーを付けていく。枕をテーブルに置き、次はシーツ。頭側からシーツの角が綺麗に入るよう、丁寧に折って入れる。反対側も同じように入れ、足側の余っている部分も折り込んで綺麗に入れる。なるほど、ピシッとして見栄えが良い。
最後は布団のカバーに布団の元を入れる。もう少しちゃんと観察したいのだが、尾形さんの動きが速すぎてあまり良く解らない。あっという間に布団が完成し、シーツの上に広げ、枕も置く。で、ブラウンのペラペラなタオルを布団の下の方に広げて乗せて、ベッドメーキングは終了した。
次はバスルームの清掃、とのことだったが、尾形先輩は私に一回ベッドメーキングをしてみるよう言った。もう一つのベッド前に立って……えぇっと、どうするんだっけ。
まずはカバーとかシーツを一旦全部外して……結構大きいし重いな。やっぱ家のとは全然違う。枕のカバーから付けて、次にシーツを入れる。あれ、シーツが上手く折れない。尾形さん、尾形さんちょっと、もう一回見せてくれませんか? ちらと尾形さんを見ると、尾形さんは無言でじっと私を見つめていた。怖い顔をしているわけではないが、何を考えているのかよく解らない顔だ。
「あの、シーツの折り方もう一回、見せてほしいんですけど」
「……あっ、そっかそっか、そうだよね。ごめんね」
何を謝る必要があったのか、まぁいいや。尾形さんは「これ、三角折りって言うの」と小さな声で業界用語を教えてくれる。見様見真似でやってみるが、やはり尾形さんのようにピシッとはしない。綺麗っちゃ綺麗だが、八十点くらいだ。それでも尾形さんは「上手いね」とまたもや小さな声で呟き、そう言われるとやり直すわけにもいかず、「ありがとうございます」と私も何故か小さな声で呟くようにして言った。
その後、バスルーム、トイレ、備品の補充、忘れ物の確認などを教わる。今日は私に教えるためできるだけゆっくりやったと尾形さんは言うが、一部屋に掛ける時間は一人部屋だとだいたい三十分とのこと。因みに現在時刻、夕方六時。勤務開始から一時間が経過している。この部屋は二人部屋だからこんなものかもしれないが、私の動きは明らかに尾形さんより遅かった。新人だから仕方がないと言えばないのだが、尾形さんの速くて綺麗な清掃スピードや、ベッドとベッドの隙間に落ちたキーホルダーを見つける観察眼など、控えめな性格とは対照的なプロの所業に段々と不安になってきた。
「あの、私、ちゃんとできてました? ちゃんと働けますかね?」
廊下を歩きながら尾形さんに問うと、尾形さんは背を向けたまま呟いた。
「大丈夫、できてるよ、ちゃんと。ベッドメーキングも清掃も、私が新人だった頃より全然できてる。だから……」
尾形さんが足を止める。つられて私も足を止めると、尾形さんは私に顔を向けて、初めて感情がはっきりと判る表情をして、言った。
「だから、辞めないでね?」
怖い。睨まれているわけではなく、脅されているわけでもない。けれどその表情を見てしまうと、もう辞めることはできないかもしれないと強く感じた。悲壮感たっぷりの瞳を受けて、私は「は、はい」と引き気味に頷いた。
今日は初日ということなのでバイトは一時間で終了し、尾形さんと店長に「お疲れ様です」と言ってからホテルを出る。朱と藍が混合した空の下、私は家に向かいかけた足を駅の方へ向けて、もしかしたらと淡い希望を抱きながら周囲の迷惑にならない程度の速度で駆けた。
もうダンス練習は終わっているかもしれないけど、駅に集まって遊んでいたりするかもしれない。駅に着くと、スマホを出してSky′sのグループにメッセージを送る。
『バイト終わった。皆はもう帰った?』
が、暫し待っても既読はつかない。遊んでいて気が付かないのか。だとしたら電話の方が早いか。あー、誰にかけよう。まぁ誰でも良いか、取り敢えず沙希に──。
「あれ、穂條李珠じゃね?」
バッ、と反射的に声のした方に顔を向ける。向けてしまった。いつもなら無視をするのに、久しぶりのことだったから油断していた。男性二人は私と目が合うと、「うわ、やっぱそうじゃん!」とはしゃいだ声を上げて、こちらに近づいてくる。男性二人の声に反応した周囲の人達も、私に顔を向けてちらちら視線を送ってくる。大した数ではない。片手で数えられる程度、数人だ。
なのに、やけに嫌悪してしまう。鼓動が速くなって、凍るほど冷たい汗が額に滲む。
どうすれば良いのか解らなくて、走った。男性二人から、周囲から目を逸らし、背を向けて、人の迷惑など考えずに、家路へ向かう人の隙間を縫うようにして、時折誰かとぶつかったりもしながら全力疾走する。泣きそうな顔をして走る女子高生に対して、今度は多くの人が視線を向ける。
ピコンっと握ったスマホが鳴る。明るい画面に視線を落とすと、
『今ステバのカフェに皆いるよー。李珠も来る?』
と沙希から返信がきていた。クソ野郎、と思いながら、私は駅からできるだけ遠ざかるまで、走り続けた。
帰宅し、シャワーを浴び、濡れた髪をいつもより雑に乾かし、肌のケアは徹底的に行い、パジャマに着替え、ソファーにダイブ。心の奥にモヤモヤとした気持ちの悪さがこびりついているようで、体調が悪くなってきた。冷房の効きすぎか、寒い。
暗くなってきたリビングで、うつ伏せになってもぞもぞと身じろぎをする。妙な吐き気を覚えながら、手がローテーブルのスマホに伸びる。
Twitterを開き、穂條李珠と検索する。カラスタ関係の愚痴がつらつらと並んでいるが、私が気にしているのは話題のツイートではない。最新ツイートの方だ。あの男性二人が、駅にいた人達が、もし私の正体に気づいていたら……。今更の話、だとも思う。カラスタ終了後はそこらを歩いているだけで通行人から写真を撮られていたし、それを無断でSNSに上げられるなんて日常茶飯事だった。高校生になった穂條李珠が駅前を歩いている姿なんて……あぁ、いや、不味いな。制服姿だったから、高校を特定されるかもしれない。次からバイトの日は、私服を持って行くべきか。
「……バッカみたい」
この世界には私を嫌っている人がいて、私にお前は悪者だと指をさす人がいる。私は確かに、悪いことをしてしまったのかもしれない。新たなアイドルグループ誕生の瞬間に、水を差すような真似をしてしまった。申し訳ないとは思っているが、SNSの住民は何故か私を犯罪者のような存在として扱うのだ。私は、死ねも殺すも言っていない。馬鹿も阿保もクソも、言ってない。
自分に対する、自分が抱いた感情を吐露しただけなのに。
嫌うなら放っておけよ。私なんかに構うなよ。嫌いな奴の写真を撮って、SNSに上げて、嫌いな奴にずっと執着して、構って。嫌いなくせに、行動が矛盾している。過激な誹謗中傷、盗撮、晒し行為、お前らの方がよっぽど悪者で、犯罪者じゃねーか。
どうして私が犯罪者のために、配慮しないといけないんだよ。
「きもちわる……」
見つけたツイートに、乾いた笑みが落ちた。そのツイートは写真付きで、てっきりあの男性二人が撮影したと思っていたが、違う。
だってその写真は、カジュアルな制服を着てシーツの入った籠を運ぶ、『HYPER HOTEL』で従業員として働く私を撮影したものだったから。
『この子ってカラスタ最終選考で落ちた穂條李珠じゃね?』
頭の悪そうな文面にイラっとしながら、晒した奴のアイコンと名前をツイートと共にスクショする。名前はライト。ブスな顔は自撮りだろう。プロフィールに飛ぶと、YouTubeの登録者数、二万人と書いてある。ライトとTwitterで検索すると、どうやら彼は迷惑系YouTuberという阿保みたいなジャンルで活動している、阿保な配信者であるらしかった。




