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さっさと帰って寝てしまおう。そうすれば、大抵のことは忘れている。だいたい私、悪くないし。あれは園崎先輩が悪いでしょ。私はカラスタ経験者で、アイドルが好きで、歌うのが好き。カラスタの配信とネットを調べれば誰でも解るような事実と情報の上澄みだけを受け取って、私の背景事情には気を配ろうとしない。馬鹿みたい。何が「歌うの好きでしょ?」だ、何が「アイドルソング、披露しようよ」だ、何が「アイドルからバンドに転身すれば絶対話題になる」だ。ライブハウスで練習することが本格的なバンド活動? 週に一回のセッションで充分? 演奏技術も歌の技術も高い本物のバンドは、空き教室だろうが家のクソ狭い自室だろうが環境関係なくプロ並みの努力をしてる。週に1回程度のセッションで満足せず、メンバーと時間が合えば10分だろうが5分だろうが集合して音を合わせる。対面が叶わないならZoomでやる。ギターも他の楽器も、2年か3年真面目に取り組んできたとは思えない出来だった。あんなの、音楽が好きじゃない。バンドが好きなんじゃなくて、バンドをしている自分が好きで、ステージに立って観客からわーきゃー言われている自分に酔っている勘違い集団だ。「軽音部、入らなくて良いから」って、入らなくて良いって何? そもそも私、初めから乗り気じゃありませんでしたよね? 無理に連れて来たのそっちですよね? 先輩のバンドに憧れて私も青春の第1歩を的な学園ドラマに惹かれたのかもしれませんけど、自分たちの演奏が必ずしも世界中の人達に受け入れてもらえるとは限らないってことを自覚した方が良いんじゃありません?
あぁ、馬鹿みたい馬鹿みたい馬鹿みたい馬鹿みたい。
「あら穂條さん、ちょうど良かった。今から合唱部のところへ行くんだけど、穂條さんも良かったら体験入部に──」
「すみません、今から早く帰らなければいけないので」
2階と1階を繋ぐ階段の踊り場で、合唱部の顧問らしい先生に仏頂面で会釈をする。先生は「あら残念。また今度、良かったら」と名残惜しそうにしていたが、振り返らずに昇降口を目指した。入る気のない部活の体験入部なんて時間の無駄だ。嫌な思いをするだけなんだから。
無駄な時間を過ごしたせいで空はすっかりオレンジ色に染まり、自転車が何台か視界の端を通っていく。サッカー部の集団が試合を行っている校庭では小柄な男子生徒がゴールを決め、チームメイトから笑顔で肩や背中を叩かれている。視線を逸らす。生ぬるい春の風が、私の肌を掠めていく。
正門に向いていた足が、またどこかの部活から勧誘されるかもしれないと危険を感じ、止まる。少し迷って、今日は裏門から帰ろうと踵を返した。
体育館の横を通り、来客用玄関の前を歩く。駐車場を通ろうとした時、駐車場の端っこに、女子が3人たむろっているのを見つけた。笑い声が聞こえてくるあたり、帰るのを忘れて談笑に興じているのだろう。気にせず裏門へ向かおうとしたのだが、
「これ? 清瀬さんのチャンネル」
聞き覚えのある声に、足が止まった。来客が使う正面玄関の柱に身を潜めて確認すると、今朝少しだけ会話をした高橋さんと風浦さんと間宮さんだった。距離はやや遠いが、声が大きいため内容がするりと耳に届く。
「登録者少なっ。マジで人気ないじゃん。コメントもいいねも全然ないし」
「どうする? チャンネル登録する?」
「でも登録したら、YouTuber側には誰が登録したか通知いくらしいよ」
MK726について話していることはすぐに解った。嫌そうな顔で首を振る風浦さんに、間宮さんは「でもチャンネル名本名じゃないし、バレなくない?」と軽い調子で言う。私はスマホを出して、YouTubeアプリからマイアカウントを選ぶ。私も一応、推しの動画にコメントをするためにチャンネルは作ってあるのだが、チャンネル登録はしてないから問題はない。
「でも、チャンネル登録してなくても動画を見たら、視聴したアカウント名はYouTuberに通知いくらしいね」
どこでそんなことを覚えてきたのか、間宮さんがのほほんと言う。嘘つけ、どうせ虚偽情報だろう。GoogleでYouTube 視聴チャンネル バレると検索してみる。知恵袋や個人のサイトなど色々と調べてみたが、バレますよバレませんよ、チャンネル登録しないとバレませんよなど、結論は曖昧だった。だが、曖昧で当たり前なのだ。青い鳥がどこかへ消えてしまったように、SNSの環境はよく変化する。いつの間にか低評価の閲覧が不可になり、いつの間にかショート動画が誕生し、動画は倍速で見る時代になった。チャンネル名がYouTuberにバレるかバレないかなんて日によって変わったっておかしくない。
私は次に視聴履歴を見る。清瀬さんのチャンネル──MK726の動画が1本、1番前に並んでいる。『マジックアワー』というタイトルのMV。今日の昼休み、MK726のチャンネルから適当に、青と白とオレンジのグラデーションが綺麗な、1番目を惹くサムネイルの動画を選んだ。今、この動画を履歴から削除しても清瀬さんには私が視聴したという情報は残ってしまうのだろうか。残ってしまうに違いない。LINEだって、送信取消とは別に削除機能が備わっている。履歴の削除もこの類だろう。なんなんだよあの機能、誰得なんだよマジで。
「チャンネル登録はしないけど、コメント送ってみない?」
続いて聞こえてきた高橋さんの言葉に、私の意識が引き寄せられる。どんなコメントを送るのか想像し、ネガティブな内容であろうことだけは確信した。
「どうしよっかなー……。歌詞、中二病みたいで素敵ですね。いつまで続けるつもりですか? うーん、絵文字ってやっぱ、おじさんっぽいかな」
嘲笑混じりの文章には、既視感があった。食べたことのある味に、妙な気持ち悪さが胸の辺りから喉までせり上がってくる。
『カラスタの生き残り枠、まだ穂條李珠がいるのなんで? あいつより実力ある子が落ちていったの納得できないんだけど』
『歌もダンスも響かないんだよな。アイドルとして1番大事な魅力が欠けてる感じがする』
『普通にブス。いつまで続けるんだろ』
名前が入っていない文章は、ご丁寧に#穂條李珠と付けて投稿されていた。あ、そんなに人を傷つけたいんだ、と気持ち悪さに嘔吐してしまった在りし日の夜を思い出す。
全身に刺さった棘を抜いて、まとめて高橋さんへぶん投げてやりたい。でも、喉元にナイフが突きつけられたように、身体が動かない。
「でーきた! 歌詞、ご自分で痛いと思いませんか? いつまで続けるつもりなんでしょう? そろそろ現実を見た方が良いですよ? どう?」
高橋さんが嬉々として言うと、風浦さんの表情が曇る。
「それ、ほんとにバレないかな? 清瀬さん怖そうだし、先生にバレたりしない?」
「大丈夫大丈夫! チャンネル名、あだし」
「ちょ、あって面白すぎ、もうちょっと捻りなよー」
ケタケタ笑う間宮さんに、高橋さんも笑う。風浦さんは、「もー、知らないからね?」と眉を下げつつも、唇は笑っている。
足が凍り付いて地面と引っ付いてしまったように、動けない。どうしよう、と自問して、何が? と頭のどこかが返事をする。だって私、関係ないじゃん。これは清瀬さんと高橋さん達の間で起こったことで、私は見ていただけ、聞いてしまっただけなんだから。
それに、コメント欄の荒らしや誹謗中傷なんて、ネット活動者ならされて当然みたいなところあるし。それくらいスルーできないとアイドルなんてなれないって、養成所の先生はよく言ってたし。それに、清瀬さんってあんまり周りに興味なさそうだし。気にしないでしょ、うん。
大丈夫、だよね。
「はい、そうしーん! うわー、ワクワクするんだけど」
「あっはは、葵やばすぎー。ワクワクするとかサイコじゃん」
「まったく……。後で清瀬さんに詰められても、私は知らないからね」
大丈夫、の熱で氷を溶かし、ひっそりと歩き出す。甲高い笑い声から逃げるように正門へ向けて、来た道を戻った。帰路に就くまでの間、私の頭にはずっと気味の悪い笑い声が響いていた。




