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私の高校生活は基本、誰とも話さず、関わらず終わっていく。休み時間はスマホを弄り、授業のグループワークは相槌マシーンと化し、昼食はさっさと食べ、掃除は隅っこで黙々と床を掃く。だがそんな私でも唯一、誰かと話す機会が存在する。
「ほ、じょ、う、さ、ん」
今日は軽音部だった。ベリーショートがよく似合うイケメン風の女性は、園崎と名乗った3年生らしく、部長を務めているらしい。
軽音部なんて目立つ部活なら勝手に新入部員がじゃんじゃん増えそうなものだが、どうしてわざわざ正門で待ち伏せまでして私を勧誘してくるのだろう。私は楽器経験がリコーダーくらいしかないので、軽音部の素質だってない。大方、私の経歴を当てにしてきたのだろうけど。
「カラスタ見たよー。穂條さん歌上手いよね? 今ちょうどボーカルが空いててさー。あとギターも足りなくて、もし良かったらどうかなーって」
ほうらやっぱり、この学校でちょっと有名だからって気軽に声かけてくれちゃって。今まで勧誘を受けて来た部活だってそうだった。合唱部は歌が上手いから入部してくれ。演劇部は元アイドル志望の容姿をお借りしたい。放送部は良い声をしているから。吹奏楽部は音楽好きなんでしょ? 挙句の果てには先日、野球部に可愛いからマネージャーになってよと言われた。
勿論どれもお断りしたが、断るのだって一苦労。向こうは善意100パーセントみたいな顔をしているものだから、断りづらいのだ。
「すみません、誘っていただいたのは嬉しいんですけど、ギターも歌も私より適任がいると思う……」
「いやいやそんなことないって。10分、いや、5分だけ!」
ということは、10分以上は確実に長くなる。さて、どうしたものか。入りもしない部活に時間を割きたくないのだが、園崎先輩のキラキラした瞳を真正面から受けると、お断りの言葉が喉の奥に詰まってしまう。……まぁ、家に帰っても用事はないし、見るくらいなら良いだろう。
「ちょっとだけ、なら──」
「よしっ!」
園崎先輩が私の手首を掴む。私は連行される形で、今しがた別れたばかりの校舎に戻る羽目になったのだった。
軽音部の部室は1号棟の3階、2年生の教室が並ぶ空き教室にあった。てっきり音楽室でやるものだと思っていたが、吹奏楽部が使っているからと先輩は苦笑した。
机は全て後ろに追いやられ、教卓も端にずらされている。広いとも狭いとも言い難いスペースに園崎先輩と、ここで新入部員を待っていたらしい他の先輩が3人並ぶ。楽器はギター、ベース、ドラム、キーボード。私の他にも観客はいて、勧誘されたのか自ら足を運んだのかは知らないが、先輩方に熱っぽい視線を送る女子生徒2人と男子生徒が4人、私を含めて合計7人が体験入部に訪れていた。ギター担当の園崎先輩がマイクスタンドの前に立つと、女子生徒2人が「きゃあ」と黄色い声を上げた。この先輩、学校では有名なのかもしれない。まぁ、軽音楽部のボーカルっぽいから、当然かもしれないが。
「今日は来てくれてありがとうございます」
勧誘時の高い声ではなく、ハスキーボイスを意識した低い声。イケボのハッシュタグをつけて配信でもすれば、騙される女の子が沢山いそうだ。
「私たちのライブを通して、軽音楽部に入りたいと思ってもらえれば幸いです。それでは……聴いてください。Waundyより、『怪獣の砂唄』」
どうやらオリジナルではなく、普通にコピーバンドだったらしい。『怪獣の砂唄』はリリース開始から数年経っているが、未だ人気の衰えない曲だ。カラオケに行けば隣の部屋から聴こえてくるし、音楽番組でもよく芸能人がカバーしている。なるほど、J-Popだから歌いやすいし、若い人なら誰でも知っている、ライブで披露するにはうってつけの曲選択というわけなの、だが……。
機材が揃っていないせいもあるのかもしれない。だってここは空き教室で、体育館や放送室のように良い音を出す環境に特化していない。私はバンド経験がないのでその手の機材の知識はとんとないのだが、各楽器から何やら線が出ており、先輩方の背後にあるスピーカーみたいな箱と繋がっていることから音は大きい。だが、大きすぎる。ベースの主張ってこんなに激しいものだったっけ。キーボードとドラムが微妙に嚙み合っていないような気がするし。ギターは1人で突っ走りすぎだし。ごちゃごちゃした音に混ざった歌声がか細くてあまり聞き取れない。と思えば、サビでいきなり叫びのような大声になって、これはこれでうるさい。
ジャーン、とよく解らないギターが締めて演奏は終了した。儚く美しい『怪獣の砂唄』ではない、ただの雑音という印象だった。街の喧噪をBGMとして聴いていた方がまだマシだ。
バンドに関して素人の私がこの感想なのだ、後の6人だって似たようなことを感じているに違いない。ちらりと周囲を見てみると……女子生徒2人はやりたいことを見つけたアニメの主人公のようにキラキラした瞳で拍手をし、男子生徒6人は「すっげー」とか「かっけー」とかコピー用紙より薄いぺらっぺらな語彙で拍手を送っていた。私も、一応拍手は送っておく。
「ありがとー! 皆、どうだった? 軽音部、興味もってくれたかな?」
園崎先輩が息を切らしながら訊くと、男子生徒の1人が挙手をした。
「はいっ! 俺、ギター弾いてみたいです!」
続けて女子生徒2人も、
「私、昔ピアノ習ってたのでキーボードやってみたいです!」
「私も。合唱部と迷ってたんですけど、こっちで歌ってみようかな」
他の人も、「軽音部、良いな」、「文化祭ライブとかやってみたいし」、「イベントとかにも出るんだろ?」と好感触であることが窺える。やはり自ら進んで体験入部に行く人は、既に入部が決まっていることがほとんどだ。
「穂條さんは? どうだった?」
この中で唯一の推薦枠として、私にバトンが回ってくる。
「え、えーと……良い演奏、だったと思います」
あまりの凄さに圧倒されたか、それとも単なる人見知りなのか、先輩方から見た私がどちらの姿に映っているのかは判別しかねるが、園崎先輩は「皆、カラスタ経験者が褒めてくれたよ!」と意味不明な喜び方をしていた。
「じゃあ穂條さん、軽音部、入ってくれる?」
「え?」
園崎先輩が、爽やかな笑みを浮かべて手を差し伸べる。さながら部活系漫画のワンシーンのようだが、私の返事は最初から変わらなかった。
「すみません。良い演奏だなとは思ったんですけど、私はここまでできる自信がないっていうか、私が入っても役に立てそうにないっていうか」
「大丈夫! 週に1回、全員でセッションできればそれで充分で、後は自主練習みたいなものだから! 今は体験入部期間だからここの空き教室を借りてるんだけど、普段はライブハウスに集合して練習したりしてて、けっこう本格的に活動してるの! 穂條さん、歌うの好きでしょ? 私より絶対歌上手いだろうし、ボーカル頼めない?」
「でも園崎先輩も歌、上手かったですし、そこに合唱部と迷ってたらしい子がボーカルやりたいって言ってますし、ギターもやりたいって言ってた人いたから、人数も楽器も、全然足りてますよね? 私、いります?」
「いるいる全然いる! ボーカルは2人いても良いし、私は今年受験だから、ギターもいればいるだけ後々困らないし。それに1人でも多い方が、イベントとかで誰かが休んだとき代わりが利くでしょ?」
「でも──」
「穂條さんってカラスタ経験者でしょ? アイドルからバンドに転身って、絶対すごく話題になるよ!」
園崎先輩が1歩、距離を詰めてくる。私は後退ることもできず、口から乾いた息を漏らした。
「さっきライブハウスで練習してるって言ったでしょ? 本当はステージに立ってライブもしたいんだけど、やっぱある程度の人気がないと無理みたいで。穂條さんが入ってくれたら絶対お客さんの入りも良いし、チケットのノルマもすぐ達成してお店にも貢献できる! 穂條さんも歌、好きなんでしょ? アイドルソングも勿論、皆で練習して披露しようよ!」
頭から指、足の爪先まで、全身が急速に冷えていく。かと思いきや、今度は急速に熱が迸り、血管がぐつぐつとマグマのように唸りを上げ始める。感情を分散させようと、親指で人差し指を曲げて関節を鳴らす。SOSにもならない、小さな音だった。
「それって──」
人気がないからじゃなくて、技術がないからライブさせてもらえないんじゃないですか? と、咄嗟に言いそうになって慌てて飲み込む。「なに?」と呑気に続きを促してくる園崎先輩。どうやら、本当に悪気はないらしい。それもまた、癇に障る。
「……すみません。その、私のネームバリューを期待しているのなら、あまり貢献はできないと思います。私は確かにカラスタ経験者ですが、あくまで経験者ってだけで……本当に有名で人気者なら、今、こんなところで油売ってないと思いますし──あっ」
園崎先輩の瞳孔が微かに開いた。換気のために開かれた窓から、運動部の掛け声が聞こえてくる。詰めた分の距離を戻す園崎先輩に、今度は私が半歩ほど距離を詰める番だった。しかし、喉を開くも声が出ない。違うんです、と言ったところでその先の言葉が思いつかない。
「ちょっと、先輩に対して失礼でしょ」
キーボードをやりたいと言っていた女子生徒が、私を睨みつけてそう言った。他の入部希望者も、私に非難の目を向けている。
「……ごめんね、穂條さん」
布を裂くように、園崎先輩が言う。
「軽音部、入らなくて良いから。だから、ごめんね」
枯れた花に向けるような瞳だった。私と軽音部の間に、柔らかく硬質な壁が隔たる。
すみませんでした。軽く一礼して、私は壁に背を向けた。




