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Sky’s  作者: 白咲実空
#5.カリギュラレイン
37/39

5

 彩ヶ谷(さいがや)駅は、地下2階から上は8階まで、交通機関だけでなくショッピングや飲食の利便性も兼ね備えた大型施設の一部にある。碧天へきてん高校を通うまでは遊ぶ目的で利用することがほとんどで行く度に迷っていたのだが、高校入学から3ヶ月も経った今ではあまり迷うことはない。

 それにしても広い駅だなぁ。駅という役割のみを充分果たしてくれている陽繋駅とは違って、どうして都会の駅はこうも商業施設を一か所に集めたがるのだろう。一応階ごとに婦人服エリアや飲食エリアと区切られてはいるものの、いちいちエスカレーターで上り下りするのは便利さと同時に不便さも感じる。大型施設で遊び尽くすより、商店街に行って良い歳をした男性が営む古びた外観のゲームショップや、昭和レトロ風の小さいカフェに入ってメロンクリームソーダでも飲む方が、浪漫があって楽しいと思うのだが。

「あっ、これ可愛いー」

 中高生が遊ぶ場所と言えばここ。ビレッジバンガードにて。

 宇美花うみかが、宇宙人のような虹色の生物のぬいぐるみを手に取って、私の方に見せてくる。あ、確かTwitterで話題になってた漫画に出てくるキャラクターだ。毛虫だったかゲジゲジだったかをモチーフにした……えーと、何だったっけ。

「ねぇ玲奈れいな、これおそろで買おうよ。舞奈まいなはケッピン持ってるから、私はこのモッピン、玲奈はゲッジンね」

 あぁ、思い出した。ケッピンは毛虫でモッピンは芋虫、ゲッジンがゲジゲジだ。ケッピンとモッピンは姉妹という設定で、ケッピンが暖色系の虹色、モッピンが寒色系の虹色、ゲッジンはベージュとなっている。

 私は棚に並んだ手のひらサイズのゲッジンを掴む。縦に長い平らな身体から無数に生えた細い手足は、ゲジゲジというよりフナムシを想像させた。因みにお値段は2000円。たっか。

 ぬいぐるみなど皆無な私の部屋にこいつを置くことになるのは躊躇われ、値段的にも断ろうと宇美花に顔を向けたのだが、宇美花は既にぬいぐるみコーナーからは少し距離がある書籍コーナーに移動していた。1冊の漫画を手に取り、舞奈とはしゃいでいる。幸喜こうきくんはズラリと並んだスマホカバーを見つめており、つかさくんはその隣、ヘッドフォンのコーナーにいた。

 取り敢えずゲッジンを棚に戻し、そこら辺をさ迷う。有名イラストレーターさんの画集やガチャガチャのラインナップを眺めていると、どこかで聴いたことのある歌声が耳に触れた。

 出所を探すと、入口付近の壁掛けに設置された小さなテレビ画面に、有名歌い手が最近流行った曲をカバーしている視聴動画が映っていた。私はこの人を名前くらいしか知らないが、じゃあどうして聴いた覚えがあるのか。記憶を遡り、気づく。

 4月頃、河川敷で歌っていた李珠の声に、似ている。真っ直ぐに伸びた透明な声、淡く溶けてしまいそうな抑揚、心の琴線に触れるビブラート。

 ……違うな。この人は、李珠と全然違う。この人の声は自由だけど、李珠の声はもっと──初めて大空を羽ばたく鳥のような、初めて海に飛び込んだペンギンのような、雨が上がり青空が広がるような、繋がれた鎖から解放されたような、慣れない自由に戸惑いながらも自分の足で立ち上がり、不安を抱えながらも希望と勇気を瞳に携えて、自分の色を掴みに行くような、そんな、長い長い旅路から帰宅して、これからまた新たな1歩を踏み出すような、自由に立ち向かっていくような、歌声だった。

 私は、あの歌声に惹かれた。どうしようもなく眩しくて、どうしようもなく羨ましくて。

「……良いな」

「玲奈―!」

 レジ袋を持った宇美花が、棚と棚の隙間からこちらへ向かってくる。他3人も一緒で、私が見ていた動画に皆も目を向ける。

「お、何だっけこういうの、歌い手っていうんだろ?」

「幸喜は興味なさそうだよね」

「んだよ、司は興味あんのかよ」

「妹が好きでね。僕は詳しくないけど、幸喜よりかは知ってるつもりだよ。玲奈ちゃん、こういうの好きなの?」

 こういうの、という言い方にどこか引っ掛かりを覚えたが、気にしすぎだと頭を振る。

「まぁ、よく聴くかな。この人はあんまり知らないけど、最近はボカロから有名になったアーティストもけっこう見かけるから」

「解るー。私も好き。舞奈はカラオケ行ったら絶対ボカロ歌うよね?」

「歌うけど、宇美花と行く時だけだよ? クラス会とかでは流石に……」

「あー、中学の時とか、ボカロ歌って陰でめちゃくちゃ言われてた子とかいたしね」

「そうそう。可哀想だったよね」

 そういえばいたな。体育祭とか文化祭の打ち上げでカラオケ行った時、ボカロとかマイナーなアニソン歌って、一軍陽キャ連中から陰でボロクソに言われてた子。クラス会は会社の飲み会みたいなもので、今後の人間関係を円滑にするための催しだ。周りのことを考えた曲選にしておかないと、空気が読めない奴って思われるのは当然。私は気遣いができない人間ですと自己紹介してるようなもの。

 ……ま、だからって私は笑ったりしないけど。おかしい奴、やばい奴に会った時は、悪口を言うのではなく無言を貫くべし。自分勝手な曲選をする奴も、それを笑いものにする奴も、両方馬鹿だ。

「そういえば玲奈って、途中からクラス会ぜんぜん来なくなったよね」

 あくまで会話の一端だと、そう主張するように、これまで私にあまり話しかけてこなかった舞奈が言った。

「あれって、なんで?」

「あぁ、そういや3年のクラス会、俺と玲奈同じクラスだったけど1回も来なかったよな」

 幸喜くんまでそう言うと、宇美花からも「確かに」と頷きが返ってくる。よくもまぁクラス会に参加した名簿を今まで覚えてるよなぁと無駄に関心しつつ、思考を巡らせる。

「……そうだったっけ? 1回くらいは行かなかった?」

「え、来た? 卒業式の後の打ち上げも来なかったよね?」

「あー……、用事あったんだよ。丁度卒業式の日が法事でさ」

「法事? 卒業式当日に?」

「あぁいや当日っていうか、次の日だったんだけど。私の婆ちゃん北海道に住んでるから、式終わってすぐ飛行機乗ったんだ」

「ふーん」

 因みに嘘である。法事なんてなかったし、法事に向かうような親戚は北海道にいない。

「でもさ──」

 舞奈がまだ何か言おうと口を開いた時、

「あ、ゲッジンだぁ!」

 月下美人が開く瞬間のような、存在感のある華やかな声が、私達の横を通り過ぎていった。

「……え?」

 宇美花と舞奈、幸喜くんの目が見開き、さっきまで私達がいたゲッジンが並ぶ棚がある区画に、私を含めた4人が顔を向けた状態で全く動かなくなる。司くんだけが「どうしたの?」と不思議そうな面持ちでいるが、答える余裕はなかった。

「か、カフェ行こうよ! ステバの新作、今日かららしいし!」

 わざと、大きな声を出して提案する。宇美花たちの目線がゲッジンを抱く李珠たちから逸らされ、私に向けられる。不信と疑念が入り混じった瞳に、私は気づかないふりをしてさっさと歩き始める。

「ちょ、ちょっと玲奈! 待ってってば!」

 追いかけてくる宇美花たちに安堵して、私は速足でエスカレーターに乗り、1階まで一気に降りる。

 だけど呼吸は荒いままで、ステバに着いた頃には貧血のような気持ち悪さが胸を渦巻いていた。吐き気を感じながらも注文したアイスティーを受け取り、席に着く。

 宇美花は渋い顔で、舞奈と幸喜くんは困惑の色を浮かべている。司くんは、ここに来るまでの間に事情を聞いたのか、感情の読み取れない顔で珈琲を啜った。

「ねぇ玲奈、どういうこと?」

 宇美花に怖いトーンで訊かれ、震えそうになる肩を何とか堪える。

「え、何が? どういうこと? それにしても今日は暑いねー、もうすぐ7月だし」

「話逸らさないで。どうしてあそこに一条いちじょうさんがいるの」

 それは、私にだって解らない。でも李珠りず美波みなみ瑠琉るるも一緒だったから、きっとYouTuberグループで遊びにでも来ていたのだろう。

「一緒にいた人達、すごいキラキラしてたよね。一条さんも、雰囲気ちょっと変わってたし」

 舞奈が宇美花を落ち着けるように言うと、幸喜くんも「だな」と頷く。

「あいつ、高校はちゃんと行ってるんだな。なんか、安心した」

「そうだね。話聞いてた感じだとけっこうトラウマとか抱えてそうだったけど、楽しそうに笑ってて良かったじゃん」

 司くんも表情を緩ませるが、宇美花の渋面は崩れない。私には、宇美花が何をそんなに怒っているのか解らなかった。

「玲奈、私さ、この前玲奈と話した時に一条さんの話したよね?」

「したね。中学の時の苛めの話」

「そうだよね? あの時の玲奈は一条さんのことなんてまるで知らないみたいな顔してたのにさ、どういうこと?」

「何が?」

「惚けないで。なんで一条さんが玲奈と同じ学校ってこと、教えてくれなかったの?」

 本当に偏差値65前後の高校に進学できたとは思えない、文脈の読めない話し方に首を傾げる。なぜ宇美花に一条さんの現在について知らないふりをした先日の私を咎められなければならないのだろう。だって宇美花は中学の時、一条さんとは別に仲良くもなければ積極的に苛めていたわけでもなかった。一条さんのことなんて、宇美花にとっては他人も同然の存在だったはずだ。

「……宇美花、もしかして怒ってる?」

 であれば、何に対してどうして怒っているのか、ちゃんと説明してほしい。

 宇美花は気まずそうに目線を下げると、急に小さな声になった。

「別に、怒ってるわけじゃなくて……ただ、戸惑ってるの。一条さんが元気に学校行ってるなら、同じ中学だった私と舞奈、幸喜に教えるべきじゃないのって、そう思って」

「どうして? ごめん、私には……言う必要性を感じなかった。だから、言わなかった」

「言う必要あるよ! だって私達、一条さんと同じ学校で、同じクラスだったんだよ⁉ 私たちは一条さんと直接関りはなかったけど、心配はしてたじゃん! 私達、普通に高校に進学したけどさ、私達以外にも一条さんの今を知りたがってる人は沢山いるの! だって、私達は見てただけで、何もできなかったから……」

「……宇美花」

 宇美花の隣に座る舞奈が、解るよとでも言うように呟く。幸喜くんも、黙って俯いてしまった。まるで宇美花の言いたいことに、賛同を示すように。

 でも、私にはまだ、宇美花が何を言いたいのか全く解らなかった。否、宇美花がさっきから何を言っているのか、頭で処理することができない。

「……えっと、一条さんに謝りたいって話?」

 宇美花は、見てるだけで何もできなかったと嘆いた。ということは、そこから導き出せる宇美花の真意を口にしてみたのだが、宇美花は怖がるように唇を震わせた。

「謝りたい……っていうのは、違くない?」

「……は? 違うってどういうこと」

「だって、一条さんの立場で考えてみなよ。中学時代がトラウマになってるなら、苛めてた人達は勿論、同じクラスだった私達とだって今更会いたくないでしょ? 顔も合わせたくないはずなのに、ごめんなんておこがましすぎるよ……」

 じゃあ、それなら、一条さんと同じクラスの私はどうなるの。宇美花が言ってることは、解る。解るけど、何かが違うような気がする。

「怒ってるように見えたなら、ごめん。ただ、今でも一条さんのことで罪悪感持ってる子が、私達以外にもいるんだよ? 一条さんが元気に高校行ってるって知ってたなら、教えてほしかったの。それだけ」

 あぁ、ようやく解った。宇美花たちの言いたいことが。

「それってつまり、一条さんが高校に行けてるって事実を知ることで、自分たちの罪悪感を軽減したかったってこと?」

 慎重に言葉を選ぼうとしたのだが、思ったことがするりと口から飛び出てしまった。宇美花の目がこれでもかと見開き、瞬きをした次の瞬間には睨みに変わる。

「違うっ、そんなんじゃなくて」

「やめろよ玲奈、そんな言い方。宇美花も俺も、一条さんをずっと心配してたんだ。その心配をする必要がなくなった事実があるなら、誰だって知りたいって思うだろ」

「心配? この前みんな笑いながら、中学時代やばかったよねって話してたのに?」

 私の脳内に怒りの感情はない。私に、一条さんの件で怒りを抱く資格はない。ただ、疑問なのだ。解らない、だけ。

 口ごもる幸喜くんに、俯く舞奈に、言葉を探す宇美花に、私は純粋な疑問をぶつけた。

「ずっと心配してたって言うけど、ずっとってどのくらい? 寝る前にふと思い出してそういえばどうしてるかなぁって、1ヶ月に1回あるかないかくらいのペースだったんじゃないの? それに宇美花も幸喜くんも、一条さんが元気に高校行ってるって言ったけど、元気かどうかなんて解らないよね?」

「や、それは、笑ってたから──」

「笑ってる人みんなが心の底から元気なわけないじゃん。幸喜くんは顔色が悪い人を見つけて、大丈夫ですかって訊いて大丈夫って返ってきたら、あぁ大丈夫なんだなって真正面から馬鹿正直に信じるの? 信じないでしょ?」

「……なに、ムカつくんだけど」

 宇美花は今度こそ、怒っているようだった。泣きそうなほど鋭く尖った瞳が、じっと私を見つめている。

「……玲奈も、私達と同類のくせに」

 張り詰めていた筋肉が、溶けるように弛緩していく。急速に冷えていく頭で幸喜くんと舞奈を見ると、2人ともが私に敵意に似た何かをぶつけていた。

「そうだよ、私と宇美花たちは同類だよ」

 敵じゃない、同じなんだ。だから、私を傷つけて良い権利も、お前たちにはないはずで。

「だからこの話はもうやめようよ。一条さんに謝らない、もう一条さんには関わらないって、みんな決めてる。だったらするべきじゃない。一条さんについて、話すべきじゃない」

 私が宇美花たちを傷つけて良い権利だって、ないはずなんだ。

 犯してしまった過ちについて、間違いも正しいも決めて良いのは被害者なのに、中心人物がいないこの場で加害者同士が語り合って、喧嘩して、私達で勝手に決めつけて、解決しようとしている。こんなに滑稽な裁判ごっこがあるだろうか。

「うん、そうだね。そうだよ。玲奈も同類。解ってるなら、私はそれで良いの。ただ……玲奈は、玲奈だけは違うみたいな空気があったから。ごめん、ちょっとイラっとしちゃった」

 宇美花がまだ半分も飲んでいないフラペチーノを持って、席を立つ。舞奈と幸喜も席を立ち、私を見下ろして、宇美花が言う。

「忘れないで。高校が同じだろうと、それと……ノートの件だって、関係ない。玲奈だって悪いんだから」

 それだけ言って、宇美花たちは去って行った。司くんは後を追うような真似はせず、私の隣で静かに息を吐く。

「……はぁ、進学校だから大丈夫って思ってたけど。付き合う人を間違えたかな」

 司くんは、死人のような表情でそう言うと、私には何も言わず席を立った。

 店内に残された私に、周囲の客や店員さんが気づかわしげな視線を送る。司くんが見えなくなったタイミングで、私もアイスティーを持って席を立った。

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