2
碧天高校は木曜日と金曜日だけ、1コマ多い7時間授業で構成されている。金曜日の今日、7時間目は道徳という名の総合だった。何とかセンターから来た何とかさんが、Zoomで全学年全クラスに人権の授業をしてくださるらしい。
生徒の半数は机に突っ伏すか身体をゆらゆら揺らしている。つまるところ、意識の半分は確実に寝ている。一見真面目に受けていそうな生徒も、離れた席の人と目を合わせて何がおかしいのやらクスクス笑い合ったり、机に落書きをしていたりで集中していない。
かく言う私も、頬杖をついて欠伸をかみ殺していた。
「それでは、本日の授業はこれで終わりです。皆さん最後まで聴いてくださりありがとうございました」
30代くらいの美人なお姉さんが画面越しに礼をし、同時に授業終了のチャイムが鳴った。掃除は6時間目終了後に済ませてあるので、後はHRをして帰るだけ。大半の生徒も私と同じことを考えているのか、晴れやかな顔で伸びをしていた。体育館じゃなく教室でZoomにした理由は、こうした生徒を外部講師の前で出せないという判断もあったのだろう。懸命だ。
「ですが最後に」
Zoomから聞こえた高い声に、帰る準備を始めていた生徒の動きが止まる。どういうことだ、さっき最後まで聴いてくださりと言っていたではないか。最後とは1回しかないものであり、この授業の続編なんて期待していない。
そんな私達生徒の苦々しい表情なんて当然知らないお姉さんは、嬉々として言った。
「皆さんにはこの人権川柳を書いて提出してもらいたいです。提出してもらった川柳は交流センターの講師全員で見させてもらい、優勝した方には後日プレゼントを贈らせていただきます」
プレゼント⁉ と喜ぶ者は皆無だった。当然だ。私達は高校生なのである。読書感想文や自由研究、その他諸々の行事・イベントで高い成績を収めた際に頂いてきたプレゼントの中身は、たかが知れている。今回もどうせ鉛筆とか消しゴムとかクリアファイルとかだ。貰えるならまぁありがたいが、じゃあ優勝するために川柳を頑張ろうとはならない。
「本当はこの時間に書いてほしかったが、授業は終わったので来週までの宿題にする。必ず書いてくるように」
小口先生が川柳の紙を配り始め、生徒はため息を吐きながらそれをクリアファイルに回収していく。その後すぐHRが始まり、すぐに終わる。部活に行く生徒や教室で談笑を始めるグループをなんとなく眺めながら、鞄を持つ。
「あ、雨」
と、誰かが言った。私は窓の方へ目を向ける。どんよりとした雲が一面に広がった空から、さぁさぁと糸のような雨が降っている。最近、こんな雨ばかりだ。
幸い今日は折り畳み傘を持っている。これ以上酷くなる前に、さっさと帰ろう。
「えー、今日も雨⁉」
不満たっぷりにそう言ったのは李珠だった。勿論私に言ったわけではない。李珠の周りには今日も、いつもの面々が揃っている。
「梅雨の時期ですから、しょうがないですよ。暫くはカラオケで歌の練習にしましょう?」
「でも毎日毎日カラオケに行ってたら、学割で安くなるとは言ってもお金掛かるじゃない」
瑠琉と清瀬さんが言うと、李珠はうーんと顎に手を当てて考え込む。
「衣装代でお金もないんだし、ここはディスコードで会議にするべきよ。チャンネルのアイコンもこれからのスケジュールもまだ決まってないんだし」
「それって、美波が早く帰りたいからだよね?」
「良いわよね、あなたと瑠琉は徒歩なんだから。私はバスなのよ? それに、沙希なんて陽繋から電車で来てるんだから。私達のことも考えて、今日は家に帰るべきだわ。ねぇ沙希」
「そ、そうだね。私も今日は早く帰りたい、かも。雨強くなったら、電車止まっちゃうかもしれないし」
一条さんの声を最後に、私は教室を出た。
折り畳み傘を開き、雨音をBGMに駅までの道を辿る。ここ最近雨ばかりだったからか、行き交う人のほとんどが何処か苛立ちを覚えているように見えた。その証拠に、横断歩道を渡る際、向こうからやって来たジジィの傘と私の傘がぶつかり、舌打ちをされた。クソジジィが、小娘相手だからって日々のストレスを発散してんじゃねぇよカスが。なんてことは言えないので、スルーして通り過ぎる。
やっとの思いで駅に到着し、びちゃびちゃの傘は折り畳んでビニールの袋に入れる。なんとなく鞄に入れたくなかったので、手に持ったまま駅の改札を抜けようとした時。
見知った人と、数メートル先の距離で目が合った。
「あれ、玲奈じゃーん」
「……宇美花」
中学のとき同級生だった宇美花と舞奈、幸喜くんともう1人、知らない男の子。4人は同じ制服を着て、メイクもして、キラキラ高校生活をエンジョイ中の風格を醸していた。宇美花を筆頭に私の方まで駆け寄ってくると、宇美花と舞奈が「久しぶりー」とプラスチックの宝石みたいな笑顔を浮かべる。私も同じような笑みを浮かべながら、「久しぶり」と返す。
「え、玲奈が碧天行ったってほんとだったんだー。よくそんな遠いとこ通ってるよね」
「遠いって言っても電車で30分くらいだし。ま、片道440円だからそこは痛いけど」
「でもでも、碧天って別に進学校とかじゃないじゃん。なんで行ったの? 友達だって誰も碧天行ってないでしょ?」
「あー、行ってないけど──」
「まぁまぁ、お話ならステバでしない?」
宇美花と舞奈の質問攻めに助け船を出してくれた幸喜くんは、にかっと人好きのする笑みで言った。ステーバックスに向かい、注文し、商品を受け取って席に着く。早く家に帰りたかったのだが、まぁ用事があるわけでもないので別に構わない。
ただ、憂鬱だった。
「それでそれで? 碧天って楽しいの?」
宇美花がストロベリーフラペチーノにスマホのカメラを向けながら問うてくる。舞奈も自分のピーチフラペチーノを撮り始めた。舞奈の指の爪はオレンジ色で、宇美花の指を見ると紫色だった。私は自分の代わり映えしない爪を見て自嘲のような笑みを浮かべ、口を開く。
「まぁ楽しいよ。進学校じゃないから勉強しろとも口うるさくは言われないし、特に変な人もいないし、普通に楽しい」
「そうなんだ、部活は? なんか入ってるの?」
「いや、部活は別に入らなくて良いかなって。宇美花たちは? 部活入ってるの?」
宇美花は頷くと、スマホに入ってる写真を見せてくれた。
「舞奈と一緒にダンス部入ってるの。これ、こないだ歓迎会の時に撮った写真」
「へぇー、楽しそう」
「ちょ、玲奈っ」
「え、なに?」
普通に楽しそうと言っただけなのだが、何がおかしいのか宇美花と舞奈、幸喜くんが吹き出して笑い始める。私ともう1人、まだ名前も知らない男の子だけがぽかんと口を開けていた。
「なに? 私なんか変なこと言った?」
苛立ちを隠して問うと、宇美花が爆笑しながら答える。
「い、いや、言ってないけどトーン……声のトーンよ! あっははは! いやまぁ解るけどね。え、お前よくダンス部入ったなって、言いたいのは解るんだけど!」
どうやら私の声のトーンが低すぎたと言いたいらしいが、宇美花達が気にしすぎているだけだろう。だって私は不満や驚きを出さないよう、細心の注意を払って言ったのだから。いや、それかへぇーと淡白な相槌を選んでしまった時点で間違っていたのかもしれない。
どちらにしろ、勝手に深読みして勝手にそうだと決めつけて、勝手に爆笑されるのは面白くない。不機嫌を隠すように「別に、そんなつもりなかったんだけど」と平静のトーンで返せば、「いやごめんごめん」と宇美花から意味不明な謝罪が返ってきた。
「や、でもね? ダンス部って楽しいの! マジで中学の、陽繋中のダンス部が頭おかしかっただけだから!」
「ねー、中学のときバスケで良かったよね。トラウマ植えつけられるところだったもん」
「や、見てる分にも充分あれはトラウマだったけどな」
舞奈の言葉に幸喜くんがそう返し、3人そろって「それはそう!」と再び爆笑する。なんとなく居心地の悪さを感じ、アイスティーに口をつける。
「ねぇ、それってもしかして、3人の中学の話?」
名前も知らない彼の質問に、宇美花が「あっ」と何かに気づく。
「そういや、玲奈に紹介してなかったよね。この人は同じ高校の司! 司、こっちは同じ中学だった玲奈!」
変なタイミングで自己紹介タイムが始まった。
「来栖玲奈です。よろしくね、司くん」
「尾崎司です。よろしく、玲奈ちゃん」
「えっ、2人ともいきなり名前呼び?」
幸喜くんが面白いものを発見したような瞳で問う。
「いやだって、玲奈ちゃんが名前呼びだったから。僕も名前呼びの方が良いかなと思って」
司くんは私のせいだと言いたいらしい。内心ため息を吐きながら、私は笑顔で告げる。
「だって、宇美花と舞奈、幸喜くんは名前呼びなのに、1人だけ尾崎くんは距離感じるでしょ?」
私の意見に幸喜くんは「それもそうか」と納得し、ひとまずは胸を撫でおろす。良かった、私が司くんに気があるなんて思われちゃ堪らないもんね。司くんはイケメンな好青年って感じだけど、そういう噂話はあんまり好きじゃないし。
「それでさ、中学の話に戻すんだけど。私達の中学マジで荒れてたよね」
宇美花の言葉に、舞奈と幸喜くんが「ねー」、「なー」と返す。猫かよ。いや、猫に失礼か。
「特にダンス部がやばくて、1年の時に同じクラスでダンス部に入ってた子が、滅茶苦茶苛められるようになったの!」
「え、それってダンス部から?」
「途中まではダンス部の先輩からだけだったらしいんだけど、同じクラスの……あー、なんて言えば良いんだろ。一軍系の女子? グループの人達からも凄い苛められるようになったんだよね。いやマジ、凄かったの。机に落書きされてたり花瓶置かれてたり」
「昼休み終わって帰ってきたら、ずぶ濡れで授業受けてたこともあったよね」
「そうそう。雨降ってなかったのにな」
怪談話でもするテンションで、口元に笑みを浮かべながら3人は幸喜くんに説明する。幸喜くんも幸喜くんだ。こういう話やめない? って一言いってくれれば良いのに。
いや、私も私か。
「それでその子、いつだっけ? 2年生のどっかから不登校になったんだけど」
「確か、夏休み明けじゃなかった? 2学期ほとんど来てないイメージあるんだけど」
「俺も。あれかな? 夏休みも苛められてたとか?」
「かなー? にしても、えぐかったよね。SNSでもめっちゃ言われてたし。あの子、学校行ってんのかなー」
私はアイスティーを啜る。「酷いね。その子、トラウマになってないと良いけど」と言う司くんに仄かに苛立ちながら、私は口を開く。
「それよりさ、そっちの高校はどうなの? その制服、巡逢でしょ? みんな頭良かったし、進学校ってやっぱ今からビシバシ勉強してる感じ?」
話題の主役を3人+司くんに与えると、4人とも曖昧に頷いた。
「せっかく入学できたは良いけどさぁ、私達全員、普通のクラスなんだよね。巡逢って理数クラスっていう頭良い人が集まるクラスと普通クラスに分けられてるんだけど、私達は理数クラスに入れなかった落ちこぼれってわけ」
「落ちこぼれは言い過ぎだと思うけど、理数クラスとの差はやっぱり感じちゃうよね」
「でも理数の奴ら、なかなか性格悪いんだぜ? いっつも普通クラスのこと馬鹿にしてよぉ」
「理数の人達は、理数クラスに残るために必死らしいよ。課題もテストも僕らより全然多いみたいだし。僕らは僕らで、気楽にやれば良いんじゃないかな」
「さっすが司! ほんとその通り! ずっと勉強じゃ息詰まるし!」
宇美花はそう言って、「そういや皆で写真撮ろうよ! 玲奈もいるんだし!」と突然の写真タイムに入る。さっきの自己紹介の時もそうだけど……宇美花ってこういう子だったっけ? 中学の時からSNSとか恋バナとかが好きな明るい子ではあったけど、公共の場で爆笑したり、校則違反だろうメイクをしたり。やっぱり高校生になると物語のヒロインのような青春を過ごしたくなって、見た目や性格を変えたくなるのかもしれない。
写真を撮り、暫く雑談に興じる。宇美花の恋バナを聞きながらふと壁掛け時計に目をやると、17時半になろうとしていた。学校を出てから、既に1時間と少し滞在している。
「ごめん、もうそろそろ帰るよ」
会話が途切れたタイミングで席を立つと、時計を確認した4人も「もうこんな時間か」と席を立つ。あれ、もしかして一緒に帰るコースか? と危惧するも、そんなことはなかった。司くんは塾があるからと私の行先とは別の電車を目指し、残りの3人はまだ帰らないと言った。
「今日は部活ないから遊びに来ててさ。これから舞奈と幸喜とご飯行くんだけど、玲奈も行かない? 中学の時の話とかもっとしたいし」
中学を卒業してまだ半年も経っていないのに、何を話すことがあるというのだろう。
「ごめん、私もこの後用事あってさ、もう帰らないと」
手を合わせて言うと、宇美花たちは特に気を悪くした様子もなく、
「あ、じゃあまたLINEで連絡して良い?」
と言ってきた。これは、今日みたいにまた今度遊ぼうと言っているのだ。あまり気は進まないが断る理由も思いつかないので、「いいよ」と返し、その場を後にする。改札を抜け、タイミングよくやってきた電車に乗り込む。
座る席を確保し、安堵の息を吐く。車内はすぐ満員になり、ドアが閉まる。
電車が動き出し、私は身を固くする。今日は座ることができたのに、不安と緊張からか鞄を持つ手に汗が滲む。頭がくらくらし、目を固く閉じる。これは悪い夢なんじゃないか、そう期待するも、薄く目を開けて映る景色に変わりはなく、軽い絶望を覚えた。
目の前に、一条さんが立っている。
スマホを見ているようだが、私が見上げれば目が合ってしまうような気がして、私は寝たフリを続ける。
沈黙電車は、雨空の下を駆けていく。




