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Sky’s  作者: 白咲実空
#4.始まり、終わり、始まる朝
25/28

1

 黄金色の光が障子を透けて足元を明るく照らす。逃れるように座り込んだままずるずるとお尻で後ろへ移動し、仄暗い一角で本を持つ手に力を籠める。いつもなら目を悪くすると祖父に叱られるのだが、今日は真面目に利けるほどの素直さはありそうにない。

 本、ではなく、目の前のローテーブルに目をやる。縫いかけのまま放置したミシン。散らばった仮縫い後の糸。ハサミや針は危ないので端に纏めてあるが、布切れやペンなんかは面積を埋め尽くさんばかりに散らばっている。

瑠琉るる―」

 襖が開くと同時に、視線を本へ戻す。顔を隠すようにしていると、母の苦笑が聞こえた。

「瑠琉、もう諦めちゃうの?」

 口を噤む。煽るような物言いに、表情筋が強張った。そんな私の態度に、母の声音が優しいものに変わる。

「瑠琉……瑠琉は、服作りは、好きじゃなかった?」

「うるさいっ」

 叫びたくて、叫べない。色んな感情が詰まった震えを帯びた声。涙が本のページを濡らした。遂に我慢できなくなって、手の甲で目元を拭い始める。

「だって、お母さんみたいに上手くできないんだもん。私には、無理なんだもん……」

「何言ってるのよ」

 母は温もりのある声で言って、ミシンの前に座る。そして、私に満面の笑みを向けた。

「最初から上手くできるわけないでしょ? 良い? 大切なのは──」


          *


 現在時刻、午前10時32分。家を出てから帰るまで、僅か1時間しか経っていない。祖父母はまだ親戚の相手をしているだろうから、たぶん私が出かけたことにさえ気づいていないのではないだろうか。駅の改札を抜け、家路を歩く。

 数十分後、家の前に着く。鳥居を潜り、境内へ足を踏み入れる。できるだけ砂利道は避け、石畳の上を静かに、素早く移動する。庭に誰もいないことを確認すると、忍者のようにささっと走る。玄関から入るか裏口から入るか……出かけたことをバレないようにするためには裏口だろうが、裏口の扉はキッチンと繋がっている。客の相手をする時、祖母はキッチンと客間を往復してばかりなので、ここは敢えて玄関から入った方が良いだろう。

 玄関の扉に汗ばんだ手を掛けた。開く前に、唾を飲みこむ。

 慎重に、できるだけ最小限の音になるよう、私は意を決して扉を開ける。慎重に、慎重に。

 カラカラカラ、と頼りない扇風機のような音が私の聴覚と視覚を敏感にさせる。人ひとりがギリギリ出入りできる程度に扉を開け、廊下の様子を確認。良かった、誰もいないみたい。中に入り、最後まで気を抜かず慎重に扉を閉め、一息吐──

「瑠琉っ」

 ──けなかった。背後からの声に恐る恐る振り向けば、普段から厳格な顔をした祖父が今は数倍不機嫌な顔をして、私のことをじっと見つめていた。

「お、お爺ちゃん、いつからそこに……」

健太けんたくんが、誰か来たと言ったから見に来たんだ」

 しまった、親戚の中には従兄弟の健太くんもいたのか。健太くんは確か、幼稚園児と聞いている。物音に敏感な子供がいると解っていれば、玄関ではなく裏口を攻めたというのに。

「瑠琉、手伝いもせんと何処に行っとった? 9時ごろに、鳥居の前を掃除するよう頼んだはずだが?」

 忘れたのか、と勿論忘れてなどいないことを見越して祖父が問うてくる。もしここで嘘でも忘れていたと言えば、明日から庭掃除は任されなくなってしまう。それはそれで困る。お小遣いの出所が減ってしまうのは、私だって望んでいない。

「も、勿論覚えてたんだけど、今日はあんまり葉っぱが落ちてなかったから、早く終わったんだ。ほら、最近は暖かくなってきたどころか暑くなってきたくらいでしょ? 風もあんまり吹かないから、今日はもういいかなーって……」

「そうか、だったら婆さんの手伝いをしようとは思わなかったか? 林原はやしはらさんが来ることは、知っていただろう? 昼食の買い出しを頼もうと部屋に行ったらお前はいないし、家の隅々まで探したけどやっぱりいない。挙句、玄関の靴もない。瑠琉、お前は何処に行っておった」

言えない。言ったら「そんなことで」と怒られるのは目に見えている。ただ、今日は特別な用事があったのだ。言い淀む私に、祖父の目が細くなる。

「もしかして、お前が後ろ手に隠している鞄の中身と関係あるのか?」

「ギクッ」

「ギクッてお前……」

「な、何もないよ! 何もないの、本当に!」

 祖父に声を掛けられた際、咄嗟に後ろに隠してしまったトートバッグの中には、記尹匡屋書店の袋が入っている。この本の存在を知られたら、こんなもののために手伝いをほっぽりだして、と小言を貰ってしまうだろう。

「待たんか、瑠琉!」

 祖父の静止を振り切って、私は階段を駆け上がり、部屋に入った。祖父は追いかけては来ない様子で、「11時には手伝いをしに来るんだぞー」と一階から声を飛ばしてくる。安堵の息を吐き、トートバッグから袋を出した。

 本を手に取り、鼓動が跳ねる。表紙に映った少女を見て、思わず「うへへ」と我ながら気持ちの悪い声を出した。

「遂に……遂に手に入れちゃったぁ! 桜乃夢さくらのゆめちゃんの1st写真集!」

 思いっきり天井に掲げ、表紙に映ったとても同い年とは思えない美少女をうっとりと眺める。

 BlooMe、それは今年の4月にデビューしたばかりの大人気アイドルグループだ。メンバーは5人で、私はセンターの桜乃夢ちゃんを推している。肩口で切りそろえられた艶やかな髪、透明感のあるぷるぷるな肌、ガラス玉のような瞳、桜色の唇、156センチと決して高身長とは言い難いにも関わらず可憐もセクシーも何でも着こなせる抜群のプロポーション。花が咲いたように笑う彼女の笑みは、まるで天使と聖母を混ぜた……否、天使や聖母なんて表現は生ぬるい。もはや、この笑みは桜乃夢ちゃんにしか作れない美貌。桜乃夢という新たな比喩表現を作るべきではないだろうか。そう、桜乃夢ちゃんの笑みは、桜乃夢ちゃんのように美しい……。

 私がこの本を3駅先の巡逢市内にある記尹匡屋書店まで買いに行ったのには、相応の訳がある。なんとこの本、巡逢市の記尹匡屋書店だと表紙の異なる限定版を買うことができるのだ。通常版は先週ネットで予約をしたからもうすぐ届くだろうが、通常版の桜乃夢ちゃんは白のノースリーブワンピースを着て笑みを浮かべており、記尹匡屋限定版の桜乃夢ちゃんはシックなドレスを着てキリっとした表情を浮かべている。本当は樂天ブックスとエイトネットバージョンの限定版も入手したかったが、お財布と相談した結果この記尹匡屋バージョンのみをゲットすることにしたのだ。

 それに限定盤は、ただ表紙が異なっているだけではない。なんと、書店別ポスターとポストカードが付いてくるのだ。草原でシャボン玉を吹く桜乃夢ちゃんのポスターに、まるで一緒の布団で眠っているのかのような距離を感じられる寝ぼけ眼の桜乃夢ちゃん……。あぁ、尊い。美少女って良いよね。見てるだけで、存在しているという事実を実感するだけで私の命の灯が保たれるんだから。

 11時までまだ時間がある。写真集の封を開け、表紙をじっくり堪能した後ページを捲る。1stライブの衣装は、流石大手事務所がデビューを後押ししたグループということもあってか、膨大な予算が費やされていそうな高クオリティを感じる。胸元のリボンと腰の括れを強調するベルトが特徴的な薄い水色のセーラー服のような衣装。とにかくふんだんにフリルをあしらった、ピンク色のワンピースの衣装。他のメンバーは肩出しが多かったり長袖ばかりだったりする反面、桜乃夢ちゃんは肌が目立つ衣装も露出を控えたかっちりとした衣装も着てくれるから見ていて楽しい。

 真っ白なワンピースを着て海辺を見つめている桜乃夢ちゃん、上品なメイド服を着て窓際から何処か遠くを見つめている桜乃夢ちゃん、思いっきりカメラに目を向けてスプーンですくったパフェの一口を私達ファンにあーんしてくれるカフェデートふうの桜乃夢ちゃん。

 可愛い可愛い可愛い可愛い。キャスケットも似合うし麦わら帽子も似合っちゃう、ただのキャップも桜乃夢ちゃんが被ると忽ちストリートガールに変身しちゃう! 同じ女子高生とは思えないくらいヒール似合うし、サンダルも桜乃夢ちゃんが履けばガラスの靴のように輝いて見える!

「瑠琉―、ちょっと来てくれー」

 11時までまだ5分あるのに、せっかちな祖父が1階から私を呼んだ。ため息を吐き、写真集を閉じる。あっ、表紙の桜乃夢ちゃんと目が合っちゃったはわわわ。

 本棚の1番上、私の推し写真集図鑑の棚に桜乃夢ちゃんの写真集を新たに追加する。えへへ、また推しが増えた。推しは増えれば増えるほど、人生を豊かにしてくれるよね。お財布は寂しくなる一方だけど。

 桜乃夢ちゃんも、他の推しも、みんな私の憧れの人だ。みんな可愛くて、メイクも上手くて、何を着ても似合う。

「……良いなぁ」

 呟き、写真集の背表紙を指でなぞる。ふと、自分の爪が視界に入った。いつかネイルをするためにある程度伸ばしてはいるが、家の手伝いや趣味の手芸をするとなると邪魔になって、それほど長くはない、健康的な爪……否、最近は水回りの掃除ばかりをしていたからか、肌が乾燥している。決して、綺麗とは言えない。

 私は、あまり外に遊びには行かないから肌は白いけど、ぱっちりした大きい瞳でもなければ輪郭がシュッとしているわけでもない。身長は155センチと桜乃夢ちゃんと1センチしか変わらないのに、服装はいつもダボっとしたズボンやロングスカートなど、スタイルを隠しがちなコーデになってしまう。メイクだって、何度か練習しているけど全然あか抜けない。童顔とよく言われるからか、周りの女子高生は私と違って皆キラキラして華やいで見える。

「瑠琉―」

 再び呼ばれ、私は「はーい」と返事をする。ネガティブな考えを振り払うように、私は手伝いへ向かった。

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