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愛してるとかマジで言ってんの、と誰かが笑った。3時間目の体育に向けて、更衣室で着替えている時のことだった。
「愛、だって。今どき恋愛ドラマでも言わなくない?」
「読み上げられるとは思ってなかったんでしょ。可哀想だよね」
可哀想、便利な言葉だ。良い意味にも悪い意味にも、受け取り方次第で変わるのだから。
更衣室のドアが開く。穂條さんと、暗い顔をした一条さんが入って来る。嘲笑していた彼女達は口を閉じ、そそくさと更衣室を後にする。
私はズボンを履いてスカートを脱ぎ、制服をロッカーに入れた。
「い、良い詩だったよね」
静寂を拒むように、仄かな明るみを帯びた一条さんの声が硬質な室内に落ちた。
「李珠の詩、私は好きだよ? なんかこう……元気が出るんだよね、うん」
「でも、私より清瀬さんの詩の方が素敵だったんじゃない?」
私に問いかけるように、穂條さんが言った。私はゆっくりと穂條さんに顔を向ける。穂條さんは一見無表情で、だが漫画だと冷や汗でも浮かべていそうな、何とも言い難い複雑な、発言の割には怒りや挑発などの好戦的な姿勢は見受けられない、私を試しでもするかのような、そんな表情をしていた。
「……喧嘩を売っているのかしら?」
一応訊ねてみると、「いや……」と否定の返事がきた。バツの悪そうな顔に、私までどんな顔をすれば良いのか解らなくなってくる。
「そういうわけではないのなら、そういう投げやりな言い方はしないことね。勘違いしてしまうから」
取り敢えず思ったことを言うと、穂條さんは「ごめん……」と素直に謝った。なんなんだ、今朝から。穂條さんはこんなにも、しおらしい人だっただろうか?
「ねぇ、何か言いたいことがあったら言ってもらえる? 様子がおかしいわよ、あなた」
自分で言いながら、魚の小骨でも喉に引っかかったような気持ち悪さを覚えた。言いたいことがあるなら言えと穂條さんに言いながら、私の方が何か穂條さんに言葉をかけるべきではないのか。用件などは特にないはずだけれど、そんな気がする。
見つめ合うこと数秒。
「あ、あのぉ……2人、何かあったの?」
空気を和らげようとしているのか、一条さんが拙い笑みを浮かべて言った。
するとようやく、私は一条さんのおかげで喉に引っかかった小骨を取り出すことができた。
そう。私と穂條さんの間には何かがあったのだ。ただのクラスメイトとは言い難い、何かが。
そしてその何かは、私にだって原因があったはずで。
「この間はごめんなさい」
きっちり、頭を下げて謝った。私の謝罪に、穂條さんは面食らう。
「は? いやいやいや、なんで清瀬さんが──」
「あの時の私、少しイライラしていたの。だから本来、あなたの問題に私が首を突っ込むべきではなかったのよ。なのに、感情的になって、私には関係ないあなたの話に偉そうに説教して、本当、恥ずかしいわ」
「……いやまぁ、イライラしてた原因はなんとなく解るし、私の言い方も余計イライラさせただろうし。だから、私も悪いよ」
「そう。じゃあまぁ、お相子ということで良いかしら?」
「うん。改めて、私もごめん。子供みたいに騒いじゃった」
穂條さんも頭を下げて、この問題は解決した。絡まっていた糸が解ける心地に安堵する。
けれど、穂條さんの顔は暗い。まだ他に言いたいことがあるのかと身構えた矢先、穂條さんが躊躇いがちに口を開いた。
「イライラしてたのってもしかして、コメントが原因?」
「コメント?」
一瞬何のことか解らなかったが、すぐに思い当たる。私が運営しているYouTubeアカウント、MK726の動画に珍しく1件のコメントが寄せられた。コメント内容は平たく言えばアンチという種類のものであり、その日の朝、私がボカロPであることが学校にバレたことから犯人は学校内にいるのではないかと推測した私は、普段なら自分から人に話しかけにいくなんてことはしないのだが、あなたが犯人ではないかと穂條さんに訊ねてみたのだ。
「……あの時は、証拠もないのに疑ってしまってごめんなさい。今更だけれど、本気で疑っていたわけではないの。あの時、私の中では既に犯人の正体に辿り着いていて、穂條さんとよく話している人達だったから、何か知っているかもしれないと思って穂條さんに訊いたの。犯人扱いするようなことを言ってしまったのは、もしかしたら穂條さんもグルなのかもしれないと、そこは少しだけ本気で疑っていたからよ」
「別に、高橋さん達とはたまに話すくらいで、そこまで仲は──」
「やっぱり高橋さん達なのね?」
穂條さんの唇が半開きのまま固まった。一条さんが、恐る恐る口を開く。
「あの、どういうことか訊いても……?」
私は頷いて説明する。
「先日、私のYouTubeチャンネルにコメントが届いたの。私はボカロPとして活動しているのだけど、簡潔に内容を述べると、歌詞が痛いから早く活動を辞めろということだったわ」
「え、酷いね。で、そのコメントを送った犯人が、高橋さん……達ってことは、間宮さんと風浦さんも一緒になってって、こと?」
「おそらく。今の穂條さんの反応を見る感じ、そうでしょうね」
「ご、ごめん……」
穂條さんが泣きそうな顔でそう呟いた。
「どうして穂條さんが謝るのかしら? あなたは高橋さん達が犯人と知っていただけで、グルではないみたいだけれど」
「知っていただけっていうのは少し違うというか……見てたんだよ、実際に。高橋さんが、コメントを打って送信したところ。私は見てるだけで、止められなかった」
「あら、止めてくれようとしていたのね。でも止めずに見ていた。賢い判断よ」
「な、なんで?」
「止めても穂條さんにメリットはない。寧ろ止めたことで、今度は穂條さんがインターネット上で高橋さん達に悪口を書き込まれるかもしれないデメリットがあるわ。私に関することで私以外の第三者に被害が及ぶのは私だって嫌だし、穂條さんに落ち度はない」
「じゃあどうして、清瀬さんは犯人の正体について訊きたがったの? 復讐とかするの?」
穂條さんの恐々とした問いかけに、私は鼻で笑った。馬鹿にしたわけじゃない、単純に面白かったからだ。
「復讐なんて、そんな時間の無駄遣いはしないわ。私は高橋さん達と違って人を笑う趣味はないから。ただ……」
いつもなら、周りからの評価なんて気にしない。言いたい奴には好きに言わせておけば良い。そのスタンスが、今回は崩れてしまった。久しぶりに、腹が立ってしまったのだ。
奏との時間を、否定されたような気がして。
「……いいえ、何でもないわ。ほんのちょっと許せなかったから、怒りに任せて犯人捜しをしたくなっていただけよ。改めて、気を遣わせてしまってごめんなさい」
誤魔化したわけではない。穂條さん達に本音を話す義理はない、そう判断した結果、当たり障りのない返しになってしまっただけだ。
「そっか。私の方こそごめんね。それとありがとう。清瀬さんのおかげで、目が覚めたよ」
穂條さんの言葉に私は「そう」と薄い返事をして、更衣室を後にしようと歩き出す。
「賢い判断、か……」
ドアを閉める間際、そう呟く一条さんの声が聞こえた。




