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小さい頃から、ダンスが好きだった。好きな音楽に合わせて踊っていれば、嫌なことは全部忘れて、ひたすら自分の好きと向き合えるから。何度も踊る自分を撮影して、何かが違うと反省、修正を繰り返して、もう一度撮影した動画を見返して……そうやって、色の薄い未熟な自分に少しずつ色がついていくことが、私の生きるエネルギーになっていた。ダンスも、ダンスをしている自分のことも、大好きだった。
最初は幼稚園のお遊戯会で、次は家のリビングで、次は小学校の休み時間に校庭の隅っこで、次は家の自分の部屋で、次はダンススクールで、私は私を磨いた。そして次は、中学校のダンス部。ダンスの大会で何度か賞状やトロフィーを貰った経験のある私を、顧問も先輩も歓迎してくれた。ダンスが上手い私に、同級生は憧れの眼差しを向けた。
私も、自分の実力がどの程度のものかは客観視できていた。勿論プロには劣るけど、ダンス部の中だと私が1番上手い。これは自慢とかじゃなくて、事実だった。だって中学のダンス部は、私と違って、ほとんどの人がダンスに対する意欲なんかなかったから。練習はほとんど自主練で、終わり際に2、3回合わせるだけ。土日の活動はあるっちゃあるけどほとんどの人が姿を見せない。夏祭りの日は夏祭りが優先され、クリスマスの日はクリスマスが優先されて、イベントの日は部活なんかないに等しい。けど、夏休みに行われる合宿は任意でありながら全員が参加しており、花火大会や肝試しなんかで盛り上がる。
ダンス部は、ドラマや映画で見るような青春を、それっぽく、薄っぺらく体験するための部活だった。中学生になると高校受験も待ち受けているため、放課後の自由時間が制限される。そのため長く続けていたダンススクールを辞めてダンス部に入った。なのに、入部して3ヶ月で後悔した。
……だから、私は諦めた。先輩も同級生も、不真面目にしたいならそうすれば良い。周りに期待するだけ無駄だ。ダンススクールに通っていた頃だって、全体より個人で踊ることの方が多かった。ダンス大会の戦績だって、個人大会がほとんどだ。ダンスは、1人でだってできる。
表向きは先輩とも同級生とも仲良くしていた。遊びに誘われれば必ず行っていた。でも、部活中は談笑している部員は放って、1人で黙々とダンスをした。
それが、良くなかったのかもしれない。
「先生、一条さんはまだ1年生なんですよ? 普通センターは上級生がするべきで、今までだってそうしてきたじゃないですか」
こんな部活でも、毎年大会には出場している。全国の中学校が集まるダンス大会、1月に開催される冬の部に向けて、ステージに立つことができるメンバーが発表されていた。私は中学1年生で、9月初旬のことだった。「決まったことだから」と譲らない顧問に、2年生が非難を飛ばした。
「センターは部長が務めるべきです。一条さんは、さっきも言いましたけどまだ1年生じゃないですか。大会の会場のこととか、まだ解らないことが多いでしょうし……」
「そうかしら? 一条さんは夏の部にも出場していたでしょう? 会場は同じだから、もうある程度のことは解っているはずよ。そうよね? 一条さん」
細身、だけど筋肉質な顧問に強い口調で問われ、私は迷いなく頷く。夏の部のダンス大会は記憶に新しい。会場の広さや空気、他校の雰囲気、審査の基準、諸々のことは理解している。何なら、小学生の頃からダンス大会に何度も出場していたのだから、大会に関することは先輩たちよりも理解しているつもりだ。
だが、2年生は退かなかった。3年生が部を引退して自分たちが最上級生になったという威厳もあるのか、普段ダンスに対して関心なんかないくせに、大会のセンターポジションというドラマ的な役への執着は凄まじかった。
「先生、センターは3年生が、3年生がいなくなった今なら私達2年生が務めるべきです。何故なら……公平じゃないからです。1年生も2年生も3年生も、夏の部と冬の部で2回ずつ、センターを務めるチャンスが……いえ、事実が、あったはずでしょう? なのに何故私達の代だけ、一度しかセンターが巡ってこないのですか」
おかしいじゃないですか、と言う先輩に、そっちの方がおかしいだろうと内心突っ込む。大会は、実力で優勝が決まるのだ。3年生もしくは2年生がセンターを務めることが、最優秀賞に輝く道標になるわけではない。部内で1番実力のある人間がセンターを務め、実力のある人間で構成されたグループが、学校を最優秀賞へ導くのだ。ダンススクールに通っていた時だって、私より年下なのに私よりダンスが上手い子なんてゴロゴロいた。年下に負ける悔しさは理解できるが、だからって年齢を理由に自分の方が格上の存在だと宣う神経には共感できない。たった1つか2つしか違わないガキが、何を言っているのだろう。
正直、ダンス部なんてどうでも良い。誰が不真面目にやろうが、私は私の実力が上がればそれで良い。だけど、大会なら話は別だ。私はダンス大会に対して常に真剣に、誠実に、全力で、挑まなければいけない。これが私のプライドだ。
だから顧問が私をセンターに選んでくれたのなら、この部活で今、私がセンターを務めるに相応しいと私自身も考えているのなら、私がセンターとして踊るべきだ。
「一条、調子に乗るのもいい加減にしな! センターは辞退しますって、顧問に言いなよ!」
「1年なんだからちょっとは遠慮しなさいよ! 敬意ってものがないの⁉」
「あんたさぁ、本当に実力で選ばれたと思ってるの? 先生に気に入られてたからに決まってるじゃん。媚び売って勝ち取った偽物のセンターがそんなに嬉しい?」
顧問が職員室へ行ったのを見計らって、先輩が数人、私を体育館裏に呼び出してそう言った。どうやら先輩はずっと、私のことが嫌いだったらしい。真面目に練習をしている私を、遊びに行ってもダンスの話ばかりする私を、ダンスが大好きな私を、ずっと否定したかったらしい。
「あんたのせいで部の空気が最悪なの。あんたが原因って解ってんの?」
何度、先輩からそう言われても、私の意見は変わらなかった。
「沙希、もうちょっと先輩の言うこと聞いた方が良いんじゃない? このままだと、沙希の居場所なくなっちゃうよ?」
同級生にまで、そんなことを言われるようになった。先輩の洗礼を受けた同級生の性根は腐り、私にダンスが上達する方法を訊いてきた入部当初の面影はすっかり消え失せていた。私を心配しているようでいて小馬鹿にしたような笑みを浮かべる同級生に、つい苛立ってしまった。
「先輩先輩って、先輩だから何? 先輩ってそんなに偉いの? 先輩の言うことが絶対なの? 経験も実力も私の方が上だし、体育館の掃除方法以外、先輩から教わったことなんて何もないんだけど。先輩とか部の立場とか関係なく、何が正しくて何が間違ってて何をするべきなのか、自分で考えて見極める力をつけたら?」
ガラガラガラ、と、シャトルドアの開く音がした。
私以外の1年生全員の顔から色が消え失せ、話を聞いていたらしい先輩数人の瞳からすうっと光が消えていく。
ため息をひとつ。かなり大きなため息だった。先輩から返されたのはそれだけで、背を向けられた。もう知らないから。そう言われているような気がして、それは当たっていた。
部活が終わった後、ほとんど毎日体育館の片付けを任されるようになった。最初の方は友達が付き合ってくれていたけど、先輩が遠くから睨んでいることに気づくと1人、また1人と私の傍から姿を消した。
顧問がいない練習日、先輩は私にだけやたら厳しく注意するようになった。完璧に踊っているはずなのに、「違う」と皆の前で指摘された。
私にだけ部のスケジュール表が配布されないことがあった。土日の練習は間違った時間を伝えられて、わざと遅刻させられることもあった。
ダンス部のグループLINEから、勝手に退会させられていた。
陰口は当たり前で、わざと私に聞こえる声量で嫌味を言われることもあった。
更衣室のロッカーに鞄を入れておくと、当たり前のように財布を抜かれるようになった。
通学用の靴を3回ゴミ箱に捨てられて、制服は5回トイレの手洗い場に落ちていた。
練習中は足を踏まれ、体当たりをされ、転ばされるようになった。
死ね、とよく言われた。
学園祭で、私は独りでステージに立った。
ダンス部の部員全員、23人で立つ予定だったステージ。ちゃんと皆、裏で出番を待っていたのに。曲のイントロと同時にトップバッターの私が出て、後から続くはずだった皆が、いつまで待っても来なかった。
クスクスケラケラ、そんな雑音が児玉する。粒子に棘が生えて、私の全身に突き刺さる。
心配と不快と興味が混ざった観客の視線。事情を把握している生徒達の、可哀想なものを見るようでいて好奇を秘めた視線。視線。視線。視線が、私を刺す。
視界に砂嵐のようなものが掛かって、足が重くなる。身体の動かし方が解らない。
私は、踊れなくなってしまった。
「ねぇ、どういうつもり?」
底冷えするような声で、先輩は唸る。11月下旬。体育館裏。先輩が、私を壁際に追い詰めて、獰猛な瞳を細める。
「この時期に部活辞めるってどういうつもりかって訊いてんの。今からセンター消えるのがどれだけ迷惑になるか、解らないの? 部活も文化祭から全然顔出さないし、辞めるつもりだったらもっと早く言えって。ねぇ?」
「……もっと早く言うべきだったのは、私も、その通りだと思います。迷惑をかけてしまうのは、すみません。申し訳ないと、思っています」
先輩の口の端が上がる。歪んだ喜びの色は、私の色を支配しようと目論んでいた。
「そうなの、迷惑なの。だったら、解るよね?」
「でもっ、私と踊りたくないんですよね?」
先輩の瞳が影を帯びる。「は?」と否定とも肯定とも取れない、ただ自分の思う返答ではなかったことに対する我儘な苛立ちが発せられる。私は、声が震えながらも、最後まで言った。
「先輩も、私と同じ1年も、皆、私が嫌いなんですよね? 私が部からいなくなって、清々してるんじゃないですか? ずっと、こうなることを望んでたんですよね? センターも、先輩が譲れって言ったから、譲るんです。なのになんですか、その言い方は。まるで……まるであなた達は、何も悪くないみたいに──」
殴られた。右頬を、グーで。陰口も、私物の投棄も、陳腐な嫌がらせも、今まで当たり前のようにあった。でも、暴力は初めてだった。私の視界が揺らぎ、膜を張り、冷たくて熱い雫が1滴、2滴、3滴と、落ちる。
私は、私の好きなものを守りたかった。私は私の色を守りたかった。それだけで良かった。それだけで、良かったのに。
ダンスを奪われてしまった私は、部活を辞めた。
『このままだと、沙希の居場所なくなっちゃうよ?』
そう忠告してくれた彼女と、2年生で同じクラスになった。彼女はダンス部の信者だったから、私に関する噂をあることないこと吹聴して回っているようだった。パパ活してるとか、先輩を殴ったとか、中途半端に部活を辞めて皆に迷惑をかけたとか、嘘9割真実1割、みたいな感じで。皆は、本当にそれらの噂を信じていたのかは解らない。でも、信じたがってはいるようだった。面白いから、一条さんが嫌いだから、そんな理由で、私は部活だけでなく、学校での居場所を失くした。私がどれだけ虚偽の情報に違うと訴えても、私の正しいは、大勢が間違いだと言えば間違いになってしまった。
陰口は当たり前。制服、体操服、上履き、靴、鞄、筆記用具、教科書、挙げればキリがないほど、私物はゴミ箱に入っているか最上階の窓から校庭に向かって投げ捨てられた。水が降ってくるせいで、トイレには行けなくなった。登校すれば机には、花瓶がのっているか落書きがされているか。
まるで、洗脳のようだった。
ブスとか嫌いとか死ねとか、私は私をブスとは思っていなくて、私は私が嫌いじゃなくて、私は生きたいって思うのに、何十人から一斉に言われると、私はブスで嫌われるべき存在で、死んでしまえば良いのではないか、そう考えるようになった。
死ぬ勇気はなくとも、消えてしまいたいと願うようになった。
9月1日。2学期が始まるその日。私は、学校に行くことができなかった。
途中までは行った。家を出て、近所を歩いて、信号を渡って、踏切で、止まって。
電車が過ぎ去って、踏切が上がる。私の横を同じ服を着た女子が数人、楽しそうに話をしながら通り過ぎていく。聞こえてくる内容は昨夜のドラマの話。かっこいい俳優の話。耳では理解しているのに、頭は理解できない。私を笑っているんじゃないか、一度でもそんな想像をした瞬間、無理になった。
嫌だ、で頭が埋め尽くされた。
そして私は、学校を休んだ。次の日も、その次の日も。年が明けて3年生になっても。
卒業式を迎えても尚、私は中学校に行かなかった。




