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選曲は、私が提案したソーシャルゲームのBGMに決まった。有名なスマホゲームだが、穂條さんはソーシャルゲームをほとんどやったことがないらしい。知らない曲と言う穂條さんに本当にこれで良いのか訊くと、「広告とかテレビのCMでゲームの存在は知ってるし、有名な曲なんでしょ? ゲームのBGMなら元の振り付けだってたぶんないだろうし、完全オリジナルの振り付けなら、本番でミスっても誰も判んないでしょ」との意見により、このBGMに決まった。
エレクトロ系のサウンドが、熱の籠った体育館に爽やかな風を運んでくる。ゲームでは戦闘時のBGMとして使われているが、頭の中で振り付けを考えながら聴いていると初めからダンス用に作られた曲なのではないかと錯覚しそうになる。リズムゲームだと間違いなくレベル30は超えそうなテンポと子気味好いリズムが鼓膜を叩き、聴いているだけで思わず身体が揺れそうになった。
「うーん……。ねぇ、全然浮かばないんだけど」
浮かばない、というのは振り付けのことだろう。黙って曲を聴いていた穂條さんが、気難しい顔で唸る。イメージトレーニングが苦手なのかもしれない。
「全身を想像するよりステップだけとか、まずは足の動きだけ考えてみたらどう?」
と提案してみたのだが、それでも穂條さんの顔色は晴れない。さっきから2分10秒の短いBGMを何回か繰り返し聴いているのだが、穂條さんはじっと座っていることに耐えられなかったのか、徐に立ち上がった。
「よし、まずは踊ってみよう」
「え、即興ってこと?」
そんなことできるの? と問いたかったが、「うん」と迷いなく頷く穂條さんに何も言えなくなる。できる、と言うのなら、見せてもらうしかない。
でもその前に、どうしても訊きたいことがあった。
「その……踊れるの?」
穂條さんはまた、迷いなく頷いた。
「勿論。養成所時代は、プロから教わってたんだから。アイドル志望、舐めないでよね」
強気な笑みに、違和感を覚える。穂條さんは今、アイドルを目指していないはずだ。高校生でもアイドルになることを夢見ている人は沢山いるのに、穂條さんは諦めている。その理由はてっきり、歌もダンスも、アイドルも、嫌になったからだと思っていた。
ダンッ、と床を踏む音が、強く響いた。
「まずは、足からでしょ?」
そう言って、穂條さんは曲に合わせて足を動かす。四角形を描く簡単なボックスステップ、素早く足を交互に入れ替えるランニングマン。片足を後ろに曲げて前に出しながら、もう片方を後ろに曲げて前に出すを繰り返すポップコーンに、片足を外側にキックするパーティーマシーンを加える。腕も足の動きに合わせてワイパーのように滑らかに動き、全身を使って大きなダンスを披露する。
「あ、なるほどね!」
何がなるほどなのか、穂條さんは得心したように笑うと手の振り付けも作り上げていく。盛り上がる場面では髪を振り乱しながら激しく、静かなメロディーで落ち着く場面ではステップを控え、アイソレーションで緩急をつける。短く息を吸う音が聞こえると、再び訪れたサビで爆発したように汗を散らす。
「……ねぇ、あれ」
「うん、凄いよね」
周りが皆、穂條さんに注目している。勿論、良い意味で。穂條さんは私たち観客を視界に納めてはいるだろうに、一切気にせず踊り続ける。何も気にすることなく自分の色をぶちまける様は、踊りたい衝動と欲求だけをもった透明感溢れるストリートダンサーのようだった。
穂條さんは1曲丸々踊り切ったのだが、曲がループして再生されるよう設定してあるため終わったことに気づいていないのか、弾ける笑顔でダンスを続ける。
ふと、手が伸ばされた。
「ほら、一条さんも!」
私、ダンス好きじゃないって言ったよね? そんな前の発言なんて頭に残っていないのか、それともどうせ皆の前で発表しなきゃいけない日がくるんだから諦めろと言いたいのか、純粋無垢な笑顔で、穂條さんは「早く!」と急かす。
私はすぐに立つことが、できない。
正直、アイドルのダンスを舐めていた。BlooMeのダンスを見て凄いとは思ったけど、ヒップホップのようなダンスまでできるなんて、しかも夢を諦めた穂條さんがここまで踊れるなんて、想像していなかった。プロの講師に教わった経験があるとは言え、高い技術が身に着くかは本人の努力次第だ。きっと穂條さんは血のにじむような努力をして、ここまで踊れるようになったのだろう。
それなのに、穂條さんは夢を諦めた。まだ高校生なのに、諦めざるを得なかった。
私にはそれが、どれほど重い決断だったのかは解らない。でも、きっと悔しくて、辛くて、苦しくて、何にも代えがたい痛みを伴ったはずだ。
なのに。それなのにどうして。
「一緒に踊ろうよ、一条さん」
どうしてそんなに、楽しそうなの。
どうして笑っていられるの。どうしてまだ、ダンスを続けられるの。穂條さんの経験を、感じた想いを私は知らない。私は、穂條さんがアイドルに向いてないとか、アイドルになれるような顔じゃないって笑う、そんな人達の言葉しか、そんな言葉を聞いて傷ついた顔をする穂條さんしか、私は知らない。
穂條さんを陰で笑っている人はこの学校に何人もいて、穂條さん自身も自分がどんな目で見られているか理解しているはずなのに。
……私は立ちあがることができなかったのに、どうして穂條さんは。
どうして、私にできないことができるの?
もう、手は伸ばされていない。穂條さんは自分のダンスに熱中している。そりゃそうだ。好きに熱中している間、ついてこない奴のことを気にしていたってしょうがない。不貞腐れて座り込んでいる奴は、放っておけば良い。私だってそうする。そうしてきた。そうしたせいで、あんなことが起こった。
もし、あんなことが起こらなければ。好きに熱中し続けることができたままだったなら。
私も穂條さんのように、笑っていられたのだろうか。
もう一度、笑うことはできるのだろうか。
「……」
足が縺れそうになりながら、のろのろと立ち上がる。どんなステップで、どんな振り付けで踊ろうか。さっきまで頭で考えていたイメージが全部吹き飛び、ただリズムに流されるまま身体を揺らす。
ただ流れてくる曲を聴き、手足を動かす。そうすると、頭が空っぽになっていく。何も考えず、何かを考えるより先に、本能に任せて踊る。勝手に動く身体だけど、この身体を支配しているのは私で、私を自由にコントロールしている感覚が、忘れていた感情が、呼び起こされる。
温かな欠片が見えた。懐かしくて、だけどもずっと傍にあったような、私の一部だった欠片。
欠片を掴む。アイデンティティが、足の爪先から頭のてっぺんまで、熱をもって全身を駆け巡る。
あぁ、そうだ。何も考えなくて良い。私はただ、踊りたいから踊れば良い。
「っ……⁉」
隣で、息を呑む音がした。一瞥すれば、穂條さんが目を見開いて私を凝視していた。穂條さんは更に激しく、大きく、身体を動かす。私も負けじと、穂條さんについていく。否、追い越す。
負けたくない。私がどれだけの時間を、ダンスに注いできたと思ってるの? 足を強く踏み込み、高くジャンプ。どう? 私のダンスは? 穂條さんは元アイドル志望で、もしかしたら本格的なレッスンを受けてきたのかもしれない。けど、私だって、穂條さんの隣で踊っても見劣りしないレベルのはずだ。現に今、穂條さんは私を意識している。最初はあんなに楽しそうに踊っていたのが、今は私を窺いながら真剣な面持ちをしている。が、不意に穂條さんの口元が緩んだ。前を向いた穂條さんが、更に高度なステップを踏む。まるで、これはどう? とでも言うみたいに。私も口元を緩め、同じステップを踏んだ後、更に高度なステップへ移行する。ほら、もっと見せてよ。もっと、一緒に踊ろうよ。
こんなに楽しい気持ちは久しぶり……否、初めてなんだから。
「一条さんってさ……」
声が、聞こえた。瞬間、私の視界がぐらりと歪む。視線が突き刺さり、突然、身体の動かし方が解らなくなる。
「ねぇ、もしかして部活って……」
「私ずっと一条さんって……だと思ってた」
私のダンスを、見ている。見られている。同じクラスの人だけじゃなく、隣のクラスの人も。皆が、私を見ている。そう改めて認識した瞬間、私の視界に亀裂が入った。
「一条さんと穂條さんってさ」
「解る。一条さんって体育の時さ」
「スタイルとか、あと顔も……」
何を言っているのか、何色の温度で喋っているのか、解らない。解りたくないと脳が拒否している。目線が下がり、皆の顔が黒く塗りつぶされていく。
足が竦む。あれ、ステップこれで合ってるんだっけ? リズム、間違ってないかな。穂條さんはどんな顔をしてる? さっきまでちゃんと踊れてたのに、変な奴って思われてないかな?
解らない。自分が今何を考えているのかすら、全く解らなくなっていく。頭が、真っ白になっていく。
「一条さんっ⁉」
突然名前を呼ばれたかと思えば、遅れて痛みがやってきた。
何があったのか状況を理解しようと、ゆっくり思考を回転させる。
「一条さん大丈夫?」
穂條さんの顔が近くにあって、私を見下ろしている。
私は、尻もちをついていた。
「一条さん? 立てる……?」
穂條さんの言葉をゆっくり口に含んで飲み込み、意味を理解する。立とう、立たなければ。ただ転んだだけで、少し恥ずかしい思いをしたくらいで、座り込んでいる方がよっぽど恥ずかしい。そう思うのに、身体が、全く動かない。
だけど、瞳だけは何かに縋るように動いた。皆、私を見ている。私を見て、ひそひそ何か言っている。
呼吸が、浅くなる。
「ちょっと、どうしたの⁉」
脳、心臓、全身が酸素を求めて呼吸を繰り返す。視界いっぱいに穂條さんの顔が映っているのに、私の瞳は、その先にいる誰かを見つめている。
『私たち、一条さんと一緒に踊りたくありませーん』
いつか聞いた声が、フラッシュバックした。
*
教室に戻るか早退するか。後者を選びたかったけど、荷物は自分で教室まで取りに行かないといけないとのことだったので、どのみち教室へ行く必要があるのならと前者を選んだ。
3時間目は物理基礎で移動教室だ。教室に戻ると大半の生徒は既に移動済みで、私は穂條さんの姿を探して、見つからないので授業の準備物を持って教室を出た。
私が保健室に行った後、穂條さんはどうしたのだろう。1人でダンス練習をしていたのかもしれないし、サボっていたのかもしれない。私が意味不明な理由でいなくなったことに腹を立てていたのかもしれない。だからまずはごめんなさいを言って、保健室に連れて行ってくれたことにありがとうを言いたかったのだけど。
「あっ、一条さん」
廊下を歩いていると、声を掛けられた。高橋さんと風浦さん、間宮さん。私はこの3人と話したことはないし正直苦手な人達なのだが、話しかけられたら無視をするわけにもいかない。
「あ、えと……」
とは言え何を喋れば良いのか解らず、口をもごもごさせてしまう。
何も言えずにいると、高橋さんは無邪気な笑みを浮かべた。
「さっきの授業は大丈夫だった? 急に過呼吸になったからマジでビビったんだけど」
「もしかして、朝から体調悪かったの?」
「貧血、とか?」
間宮さんと風浦さんも笑みを浮かべながら、それでいて若干の心配を滲ませながら言葉を挟む。あ、心配してくれてたんだと私の心も少しだけ緩む。
「うん、ちょっとね……。今はもう、大丈夫なんだけど」
「そっかぁ、でもやばそうなら無理せず帰りなよ? 星愛も生理の日は体調悪くなくても休んでるから」
「ちょっと、ズル休みみたいに言わないでよ! 朝は絶対お腹痛くなって、お昼くらいには治るんだけど、お昼過ぎたらもう学校いいやってなるでしょ? ねぇ一条さん?」
「え、ええと」
「こらこら、一条さんが困ってるよ」
風浦さんが間宮さんを引き剥がし、私は「あはは」と相槌をうつ。あれ、この3人、あんまり良い噂聞かなかったんだけど普通に良い人達じゃない?
やっぱり喋ってみないと解らないことってあるよね。友達になるのはまだ無理かもしれないけど、解らないことがあったら気軽に訊けるような関係くらいにはなれそう……、
「あ、それより一条さん、ちょっと訊きたいことがあるんだけど」
「何、かな?」
高橋さんの笑みが、濃くなったような気がした。私の信頼度メーターが、みるみるうちに下がっていく。考えてみれば、何も用がないのに話しかけてくるわけがなかったのだ。
唾を飲む私に、高橋さんは蛇のような瞳を向けて言った。
「ねぇ一条さん、BlooMeのあれってさ、マジなの?」
「へ?」
BlooMeって、あのBlooMe? 私がダンス候補に挙げた曲の?
「……あっ、もしかして、高橋さん達BlooMeで踊るの? だったら心配しないで。私と穂條さんは別の曲で踊ることになったから」
「あ、そうじゃなくて。私達は普通にHip-Hopなんだけど」
だったらじゃあ、BlooMeの何を訊きたいというのだろう。
「一条さん、さっき体育の授業でBlooMeの曲流してたでしょ? 踊る曲について話してたのか知らないけど」
「う、うん。そうだけど」
誰も知らない真実に気づいているかのように、私がしでかした罪を暴こうとするかのように、高橋さんが1歩、私と距離を詰める。
「あれって、わざとなの?」
「わ、わざとって?」
「え、もしかして本当に知らないの?」
だから何が? 何のこと? 目を瞬かせていると、風浦さんが嘘でしょとでも言いたげに目を見開く。間宮さんは私の発言に、「え、マジ?」とドン引きしていた。
いやそんな顔されても、解らないって。ちゃんと言ってよ。
私の思考を読んだように、高橋さんが口を開いた。
「BlooMeって、カラスタで結成されたグループなんだよ」
カラスタ……私でも知っている。この学校、は言い過ぎでも、私達1年生なら誰もが知っている、誰もが穂條さん関係で耳にしたことのあるオーデション、Colorful*Starsオーデションの略だ。アイドル候補生の少女たちが、新人アイドルとしてデビューする座を賭けて戦う合宿型オーデション。穂條さんも参加していて、確か、最終選考で落ちたと聞いた。
「……え?」
頭の中が真っ白になる。待って、だって、BlooMeがカラスタで結成されたアイドルってことは。あのMVに映っていた可愛い少女達は、あの歌は、あのダンスは、全部。
穂條さんが歌うことを、踊ることを許されなかった、仲間に加わることができなかったグループって、こと?
私はそれを、穂條さんの前で、穂條さんにMVまで見せつけてしまった。穂條さんはどんな気持ちで聴いていたのだろう。穂條さんは「気を遣わないで」と笑った。けど、他のアイドルグループならともかくBlooMeなんて、穂條さんが夢を諦めるきっかけになったかもしれないグループの曲なんて、考えるまでもなく気を遣うべき事項だった。
私はカラスタの配信を見たことはないけど、オーデションの存在は知っていた。そう、調べるべきだったのだ。BlooMeのMVを見た時点で、BlooMeの歴史についてほんの少しでも調べておけば……。
どうして調べなかったの? 穂條さんがアイドルについて良い思い出がないことは解っていたはずでしょ? 普通調べるでしょ。どうして、私は。
「ま、マジで知らなかったの? 嘘……。私達てっきり、一条さんが穂條さんに喧嘩売ったのかと思って──」
「違うよっ」
頭で考えるより先に、思いのほか大きな声で否定していた。
「ほんとに、違くて……。私、知らなかったの、だから……」
穂條さんの悲痛な面持ちが脳裏を過る。遠慮とか気まずさとかそういうのじゃない、そういうのだけでは言い表せない、あれは間違いなく、痛みに耐える顔だった。
「……行こっか」
風浦さんが、可哀想なものを見たような声を落とす。
「だね。授業始まるし」
高橋さんが返事をし、間宮さんも2人に続いて歩き出す。残された私は1人、廊下の真ん中で立ち尽くす。物理室に行こうにも、足が重くて持ち上がらない。
貝のように、蹲って縮こまる。窓の隙間から吹き込む冷たい風が、私の身体を固くする。
せっかくダンスの授業に頑張って取り組もうと思ったのに、これだ。選択を間違えて、視野が狭いことに気づかず楽観的に過ごして、トラウマを掘り起こして体調を悪くして、保健室に運ばれて……おまけに、授業開始のチャイムが鳴った。キーンコーンカーンコ―ンと、大嫌いな音が私の耳を、心臓を震わせる。授業が始まってしまった。今から行っても、先生はきっと許してくれる。私は保健室に行っていたから、という免罪符もある。
でも、そうじゃない、そういうことじゃない。保健室から教室に戻るのだって勇気がいるのに、授業に遅刻するなんて、他人にとっては些細なことかもしれないけど、私にとっては酷く重い罪なのだ。高橋さん達ならきっと、すみません遅れましたーと軽い調子で言えるのだろう。私は、言えない。私はそんなふうに、できない。
嫌、の文字が頭の中を埋め尽くしていく。嫌だ、もう嫌だ、もう面倒くさい。嫌だ嫌だ、逃げてしまいたい。
逃げて、しまおう。
煩い心臓を抑えながら立ち上がった。体調が悪いから、嘘じゃないから、気持ち悪いから。そんな言い訳を自分に言い聞かせて、来た道を引き返す。
春の風が、窓を強く叩いていた。




