二百七十六話
勇者は今、悩んでいた。このまま魔王の待つであろう城に向かうかどうかを。
剣聖の言うには、既に勇者には神の力は充分に宿っていて、魔王を討伐するのに足りないと言う事は無いだろうとの言葉。
そんな事を何故に彼が断言するのかと勇者が問えば、そこで「只の勘」だなどと言った答えが返って来る。
ソレに勇者は呆れながらも自身で納得はしていた。
しかし同時に「まだ足りない」とも感じていた。
「恐らくはこのまま魔王へと挑んでも無駄な犠牲が出るだけでしょう。同行している者たちは大勢います。今の時点で挑むにしても数は絞って、少数精鋭で行く事になります。その場合に、万が一にでも魔王に逃げられると言った事は避けねばなりませんから、もっともっと、力を得てから挑むと言う選択肢を取りたいと思いますが、どうです?」
勇者は剣聖にそう問う。自らの使命は確実に魔王を討つ事だと自覚しているから。
だが剣聖はこの勇者の意思に対して少し悩んだ後に。
「いや、なるべく早く魔王に挑む方が良いと私は思う。これもまた勘なのだが、どうにも嫌な予感が拭え無い。何か、そう、何か大きな穴を見逃している様な、そんな不安だ。首都に魔族が攻め入っていると言う情報は知っているだろう?私は向かうべきだ、そう言ったが、勇者よ、君は行かなくても良いと決を下したな?ソレがどうにも私には引っ掛かる。何かしら大きな、そして決定的な「間違い」が、首都で起きるのではと危惧している。ソレがどの様な形かの具体的な事は言えんのだが。今からでは首都に戻るのは既に手遅れだ。しかしその代わり、ソレを確かめる為にも、ダンジョン攻略はここで切り上げて直ぐにでも魔王の城に攻め込むべきだと、そう私の勘が囁いている。」
剣聖は珍しく長く自身の意見や危惧を述べた。
コレに少しだけ驚かされた勇者はそれでも剣聖の言う「間違い」がどの様な物なのかに思いを馳せる。
「貴方の言葉にはいつも助けられてきました。なのでその予感、勘を私はぞんざいに扱う気は無いです。しかし、首都には戻りません。一度下らない事で呼び戻された事が有りますからね。ソレに、魔族ならば自力で撃退して貰わなくては。魔王が直接に攻めて来た訳ではないのですから。魔族程度で私がずっと城を防衛させられ続けるのは、ダンジョン攻略に戻れないなどとなるのだけは勘弁です。貴族たちが自身の保身の為に私を引き留め続けようとする様子が簡単に想像できます。貴族に纏わり付かれて動けなくなる事の方が深刻です。今から首都に戻ろうが手遅れなのでもうその辺の事は良いとして。私の使命は魔王を討つ事。それも確実に、です。ならば、もっと力を得て、その剣聖殿の危惧する何かすらも吹き飛ばせる様になれば良いのです。罠も策も何もかもを気にする事などしないで済む程の力を得れば良い。」
力の理論、ソレを勇者は語る。こちらには神の加護が付いていると。
こうして勇者はダンジョン攻略を続ける事に決まる。それが決定的な「ズレ」を起こす事になるとは露知らず。
時間が経てば経つ程にその「ズレ」は大きくなり、修正不可能になってしまう事にも気付け無い。
幾ら勇者が力を蓄えても、抗う事の出来ない程にそれは膨れ上がる事がここで決定した。
これは仕方が無い事である。魔王がこの世界の「秩序」「均衡」を保つ神域を壊してしまったのだから。
ここでの正解は剣聖だった。魔王が潜むであろうと思われる城が森の奥にあるとの情報を得て、直ぐに剣聖は「行くべきだ」と感じていた。
しかし勇者の言葉に納得できる部分もあったせいで剣聖はここで引いてしまう。
勇者の考え、確実に魔王を討つ為の力を得る事が一番重要だとの認識もまた間違いでは無かったから。
こうして剣聖がここでこれ以上の議論は無駄だと判断してしまったのは、コレもまた仕方が無い事であった。




