54.その、零れるもの
「な、何言ってんだい!?いや、何を言ってるのか分かっているのかい…?」
アーテナイは驚きに目を見開いている。
俺はというと、妙に落ち着いていた。伊達に長年、幼なじみの思いつきに付き合っていない。
「うん、分かってる。こっちから帰っても、また昨日みたいに連れてこられるかも知れない」
「ああ、確かにな。だったらいっそ…」
「私達が行き来する方法を見つける。誰かさんが出来たんだから、私達に出来ない理由ないでしょ?」
「ふざけた自然現象だとしても、同じ条件を満たせばいいしな」
「私、大学でやりたいことなかったし、ちょうどいい研究課題ね」
「高校ではどうするんだ?」
「遊ぶに決まってるじゃない。異世界に来るのなんて一度体験してるんだし、大学の課題くらいでちょうどいいわ」
「忙しくなりそうだな。……民俗学から当たってみるか」
「今から具体的に考えてたら疲れるわよ。それに、大学でも遊ぶから」
「いっそ、サークルでも作るか」
「それいいわね。クラファンって出来るのかしら」
「異世界研究の?やめとけやめとけ、どっからどう聞いても詐欺グループだろ。それに…」
「それに?」
「いきなり発表して、世間をあっと言わせた方が面白い」
「…魔法は無いなんて言ってる現実主義者達に『ざまあ』するってわけ?」
「いまさらファンタジーを認めてももう遅い、ってな」
「ベストセラー間違いなしね。その頃には多分流行変わってると思うけど」
「わざわざ流行に乗ってどうすんだ?」
「それもそうね。流行くらい、私達が作ってやるわ!」
「……さっきから、本当に何を言ってるんだい?」
驚き戸惑っていたアーテナイは、もはや呆れている。
無理も無い。異世界トーク全開だったしな。
「アーテナイ、勝負よ!」
ナデシコは、立ち上がりアーテナイに指を差して宣言する。一つの勝負を。
「私達がまた来たときに、まだその弱音を抱えてたらアンタの負け。解決してたらアンタの勝ち。もし負けた時には、私達が解決しちゃうから、覚悟してなさい!」
アーテナイはまたも驚いた。だが、その顔は徐々に笑みに変わる。
「ハン!まだ帰れもしないのに、何を言ってんだい!……アタシが勝ったら?」
「その時は、異世界のお酒をたっぷり奢ってあげる。私達もお酒を飲める年齢だと思うから、一緒に飲みましょ?」
「…だったら俺はつまみでも用意するかな。今回の事で料理にも興味出た」
やはり、異世界に料理は必修科目なのかも知れない。先人は偉大だ。
「…いいねぇ、負けられない勝負だ。……楽しいだろうなぁ、アンタらと飲む酒は……」
アーテナイは背を縁に預け、大きなその手で顔を覆ってしまった。その下の表情は見えない。
その手の隙間から、一滴の水が零れた。
「ナデシコさんや、アイツもう勝った気でいますよ?」
「気に入りませんね、ヤマトさん。こっちの一勝一分け、ってのを忘れてしまってのではありませんこと?」
「無理も無い、お年を召し過ぎていらっしゃったのですから」
「召すドワーフ」
「ちょ、ナデシコ、言い過ぎ…」
それは大草原が避けられないような一言だった。笑みが零れるとも言う。
「アンタら……調子に、乗るな!」
「「!!」」
その大きな腕は振り回される。その横薙ぎは、温泉のお湯を散弾に変えた。
目に入らなかったことは奇跡と言っていいだろう。
「痛いわね!何すんの!」
「上等だ!この野郎!」
俺達は立ち上がり、すぐに反撃は開始した。アーテナイも俺達に対抗して立ち上がった。
そこから始まる、お湯の応酬、2対1なのに巻き上がる水の量は互角だ。身体の大きさが違う。
笑いながらそのやりとりが続くものだから、口にも目にもお湯が入っていった。
これでは、目が赤くなってしまう。誰が涙を流したか、そんなことは分からないくらい。
え?マナー?知るか!よい子は真似しないでネ!
決着の時は、唐突だった。
「あ………」
「え?」
「ん?」
アーテナイの手が唐突に止まった。視線の先には、ナデシコ。
つい、手を止めて、ナデシコを見る。
零れていた。片方。
いや、先端は見えない、神に誓って。湯気で隠れてるのだ。
その原因は、アーテナイのお湯掛けか?
それとも、大人げ無い運動の結果か?
去年より成長したナデシコに水着がついて行けなかったのか?
ナデシコは着痩せするタイプ。
走馬灯に似た感覚でいくつもの思考が浮かんで消える。
ナデシコの視線が、自分自身の胸元に落ちるのが、スローモーションのように見えた。
次の瞬間、俺は反転し、お湯に潜った。
「キャーーーーーーーーー!!!」
その悲鳴は、浴室に反響し、その後に浴室を駆けるナデシコの足音が聞こえた。
危ないぞ、とは思ったが言えるはずも無い。
ナデシコが暴力系ヒロインだったら、今頃、命が無かったかも知れない。
「………アーテナイ、俺が見てないって言って、信じてくれると思うか?」
お湯から顔を出した俺は、アーテナイに尋ねる。
「いや、アタシも湯気でよく見えなかったからね。信じるよ」
アーテナイの優しさが身に染みた。
「…………それに、こんなのが、初めてなんて、ナデシコが可哀想だからね……」
その呟きは浴室に静かに響いた。
その後、アーテナイが先に脱衣所に行き、ナデシコを宥めた。
約30分後、あがるように言われて、脱衣所で着替えて、アーテナイに案内されて、アーテナイの寝室に入った。
シーツで見事なミノムシと化したナデシコが居た。
アーテナイによって髪は乾かされたのだろう。髪は乾いている。
しかし、お湯から出たばかりのように顔は真っ赤だ。その目も。
その前で、正座する俺。
「…………見た?」
「…見てません」
「………本当に?」
「………本当です」
「……………………………信じます」
「………有難き幸せに存じます」
アーテナイ曰く、それは見事な土下座だったそうだ。
こうして、二日目の夜は更けていった。
その後、ナデシコはそのままアーテナイのベッドで寝る事になり、俺はアーテナイの勧めで客室を借りる事にした。
アーテナイは、この旨をシャーロットさんに報告してから宴会場に戻るそうだ。
湯冷めが心配だが、酒を飲めば身体が温まるから大丈夫とのことだ。
ドワーフの王族を使い走りに使ったことに気付いたのは、ベッドの中だった。
様々な疲れから、そのままぐっすりと眠ってしまったのだった。
お湯の掛け合い、水入りにより決着付かず。
異世界二日目は、二度の引き分けで区切りとなった。
夢を見た。
ナデシコからアッパーカットを食らう夢。
明晰夢、夢を夢と認識出来ていたが、避けずに飛ばされたのだった。
その日、夢の中で星となった。




