92.古の恋物語⑤。夕日の瞳と海色の目。
一週間が経った。
それは、エルフにとって瞬きに等しい。だが、コルネリアにとって永遠の獄にも等しかった。
機能的に、日々をこなす。教えられる事は単純で、習得は容易、賛辞には微笑みを返す。なんの問題も起らない。
窓辺を見る。夕日だ。海岸が懐かしい。自分の瞳によく似たあの夕日は、海岸線に沈んでいくのだろう。なんて羨ましい。羨ましくて、カーテンを閉じて、背を向けた。
「コルネリア!俺だ!」
窓の外から、声が聞こえた。聞き間違える筈がない。駆ける。身体操作など、失敗する要因もない、それでも一度つまずきながら、窓辺にたどり着く。カーテンを開ける。居るはずない者がいた。
エサルカだった。一般的な市民の服を着て、耳元を隠すローブを身につけている。
無意識の内に、窓を開ける。
そして、見上げた。
屋敷の外と中、夕日が外の男の金の髪を照らし、影の中にいる少女にとって、それはとても眩しかった。
心の中で、いくつもの言葉が浮かぶ。
嬉しい、会いたかった、なんで、どうして、どうやって、誰かに見つかったらどうするの、もう会えない、もう会ってはいけない、帰って、あなたに危害がおよぶかもしれない、わたしを見て、わたしを見ないで、わたしの声を聞いて、わたしの声を聞かないで、わたしのそばにいて、わたしのそばからはなれて。
だが、瞳から零れる涙とともに、出た言葉は、
「………たす、けて…」
「分かった!」
すぐに抱きかかえられて、ローブに包まれた。靴も履かされ、小脇に抱えられる。
エサルカは駆けだした。
その時、コルネリアは確かに、見た。泊まり込みの世話人が、こちらに頭を下げるのを。
街を駆ける。時に隠れ、時に待つ。
しかし、ある時、偶然にも市民に見つかった。
だが、その視線は何もなかったように反らされ、早くいけと言わんばかりに、街の外を向いた。
そんなことが複数回あった。そして、街の門扉まで来た。
「止まれ!」
衛兵だった。エルフでも精鋭。10年前、男を笑っていた張本人でもある。
エサルカは止まらない。慌てたのは、コルネリアだ。エサルカに視線を送る。
「……大丈夫だ」
小さい声で、囁くように視線に答えた。コルネリアは、その言葉を信じる。
それでも、視線だけはその衛兵に送る。衛兵の杖には魔力が集中する。
人体に穴をあけるのに十分過ぎるほどの力は収束し、明後日の方へ飛んでいった。
その隙に、エサルカはその横を通り過ぎた。
その時、コルネリアは、衛兵の口角が上がったのを見た。
海岸の洞窟にやって来た。出会いの場所であり、二人の5年間の場所だ。
「……エサルカくんは、凄い魔法使い、だったの…?」
疑問が勝った、ここまでエサルカは一度も魔力を使っていない。なのに、何事もなく、都合が良すぎるほど、あっさりと街の外に来れた。
「……教えてくれたのは、コルネリアだ」
「え?」
「俺は、もう5日、あの歌を歌っていない」
「えぇ!?」
異常事態だった、10年間止むこと無かった歌が、止まっていたのだ。
「代わりにコルネリアを呼んでいた。歌に乗せてな。今まで、二日も間を空けたことがなかっただろ?だから、心配になってな」
「……わたしは、毎晩、あの歌を歌ってたの……」
貴方の全てを愛する。
心が張り裂けそうな思いも、愛おしく感じる。
出会う為に生まれ、別れるならば死んでもいい。
そんな歌詞を。毎晩。コルネリアは、うなされるように口から溢れて止まらなかった。
「……だからだろう、今日の朝、屋敷の使用人が俺を訪ねて来た。『お嬢様を助けてください』と」
コルネリアの目は驚愕に、見開かれた。
「そして、警備の衛兵もな。……歌詞が変わって歌が下手になった文句だったが、協力を約束してくれたんだ。歌を好きだという人から衣服をもらった」
「……じゃあ……」
「魔法なんか使ってない。でも、俺達の歌が、助けくれた。助けてもらったんだよ、コルネリア…」
「…あ、あぁ……みんな……」
二人で涙を流した。心動かされた者は、多くいたのだ。
抱きしめ合った。偶発的な接触を含めなければ、それは5年間で初めての抱擁だった。
満たされた、心の中で温かいものが。心地よかった、なにより求めたその体温が。溢れる涙がさえ、愛おしい。
「ここから、旅に出よう。コルネリア」
「……エサルカくんの、お父さんの遺灰は?」
「いいさ。元々、居場所がなかった俺が、唯一頼れるのが、親父の故郷だっただけなんだ。ここは、盗賊も魔物も出ないから、しばらく居着いてしまった。だけど今は、コルネリアの隣が俺の居場所だ」
エサルカが微笑む。その微笑みは、コルネリアの心臓を酷く高鳴らせた。
「うん!居場所になってあげるから、ずっと一緒に居てね!」
「ああ、約束する。この生涯を、コルネリアに捧げよう」
「もうエサルカくんてば、格好いいんだから!」
「お前は可愛いよ、コルネリア…」
「エサルカくん………いいよ?」
「…コルネリア」
その二人の唇が重なるのを、夕日が見ていた。
まるで、見て要らないと言わんばかりに、すぐに海岸線へ沈んでいった。
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「あ、ここからは、ダメだよ。二人とも、まだ子供なんだからね!」
「……察してしまうから止めてくれ」
台無しだった。情緒もなにもない。おかげで、零れかけの涙も引っ込んだわ。
「うぅ…グスン……よかったわね…ネリー…」
「えへへー、ナデシコちゃんの話も後で聞かせてね?」
「うん、わかった…」
ナデシコは、ネリーの隣に移って、その頭を撫でている。どうやら、ナデシコには深く刺さったらしい。
そうか、じゃあ、俺がツッコむしかないのか。冷笑系のそしりをうけるかもしれないが、仕方ない。
「いや、エルフの国が滅んだ話はどこ行った?」
「急な話だったから、次の日にまたお屋敷に侵入して色々持ち出たの。
ついでに『世界樹の苗木』とか国宝みたいなものも、もらってね。
怒ったお父様が歌とか芸術とか禁止にしたら、エルフの若者みんな大陸に逃げて、国民半減。
そのエルフまとめ上げたのは何を隠そう、わたしとエサルカくんなのです!」
なにその建国記。得意げに言ってるが、簒奪者なのでは?
「で、エルフの国が滅んだ話は?」
「しばらくしたら黒竜がエルフの王国の近くに出現して、禁足地になっちゃった」
「なっちゃったんだ」
「うん!でも、わたしが居なかったらエルフ全滅してたから結果おーらい?」
一つの恋が巡り巡って世界を救ってる、のかもしれない。
窓の外をみれば、『世界樹の若木』は随分近くまで来ていた。




