五十六 学生、下の兄に相談する
その日の夜、俺はアポなしでレンの部屋に行った。
俺の頭の中では、追い返される確率が八割という明らかに分が悪い賭けではあったのだが、今日ナオミとの間にあったことを大まかにでも報告しなければストレスのあまり胃のSAN値チェックで発狂してしまうだろうという確信に近いものがあったので、俺は一縷の望みに掛けて、俺は兄の部屋を訪れた。
扉の向こうから怪訝そうな顔をしたレンが出てきたと思ったら、俺の顔を見た瞬間、ひどく困惑したような表情を浮かべた。
「どうしたんだ一体。レモンをそのまま食べた時の様な顔をしているぞ」
違うんだよレン。俺の口は今、レモンでも梅干しでもなく、胃酸で酸っぱくなっているんだよ。
「は、入ってもよろしいでございましょうですか?」
「変な言葉遣いをするな。・・・・・・まあいい。とりあえず入れ」
案内されるまま、俺は椅子に腰を掛けた。
「今茶を用意する。待っていろ」
「・・・・・・はい」
レンは一度部屋を出て行った。学生寮の隣の使用人専用居住施設に自分の執事を呼びに行ったのだろう。
しばらくして、レンが戻って来て、俺の向かいの席に腰を下ろした。
「茶が入るまで少し時間があるが、何か話すか?」
「・・・・・・はい」
前世での上司の無茶ぶりに比べたら、兄弟間の女の取り合いなんて大したことないぜ、と自分に言い聞かせながら、俺は言葉を紡いだ。
「・・・・・・実は、ナオミは俺と同郷出身でして」
ちらりとレンの顔を覗くと、彼の表情は青くなっていた。
「知り合い、だったのか?」
「そんな感じです」
はあ、とレンは深い溜息を吐いた。
「さすがに知り合いということならば、下手に遠ざけるのも不自然だろうなあ」
レンはぽりぽりと頭を掻いた。
「既に関りがある、ということならば仕方がない。貴様はロンと直接話をして誤解を生まないようにするしかないぞ」
なんだその地獄のイベントは!
「しかし、ロムルス様は俺が養子だということも知らないのですよ」
俺はこんなどうでもいい言い訳をしてでも、地獄のイベントを回避したかった。
「そのことも含め、今度僕と一緒にあいつと会おう。拗らせる前に色々とはっきりさせておかねばならないからな」
すごく真っ当な意見だよ。前世を含めたら、俺の方が明らかに年上だって言いうのに。何だかおじさん恥ずかしくなってきちゃった。
「・・・・・・何と言うか、レン様は誤解が生じる可能性に対して敏感なのですね」
「まあな。貴族にまつわる問題の九割は人間関係を拗らせた結果生ずるものだ。例えば、過去に恋に落ちた相手が生き別れの姉であることを知り、心中をした、なんて話がある。可能な限り自分の身分を明かし、自身の立場や心の内をはっきりさせ、悲しい悲劇を生まないようにしなければならないからな」
ねえ何でその例を選んだの? 知ってるの? ねえ知ってるんでしょ。実はわかってて、俺に対してエルトリアにちょっかい出すなって言ってたんでしょ。
まあ八つ当たりは置いておこう。
しかし、この誤解に対して敏感な態度。レンがエルトリアから俺を遠ざけようとしたのは、単に妹にまとわりつく悪い虫を追い払おうとする意図だけではなく、シモン・ロマとエルトリアの間に悲しい悲劇が起こらないようにする為の行動だったのかもしれない。・・・・・・まあ俺にとっては悲劇以外の何ものでもなかったけどな。
やがて、部屋に執事がやって来た。紅茶を飲むと、少しだけ気分が落ち着いてきた。
「早速だが、ロンとは明日会おう」
おいレンてめえ。今気分が落ち着いたばっかだっていうのに、胃の傷跡をナイフで穿り返すような真似するんじゃないよ。
「明日は、少し早いんじゃ・・・・・・」
「善は急げだ。誤解は早く解いておくことに越したことはない」
まったくもって君の言う通りだよ。本当に。全く、最高の兄貴だ。
ちくしょう。やるしかねえ。そうだ。やってやるです!
翌日、レンと共にロンとの話し合いの場に着いた俺は、ロンから左手の手袋を足元に投げつけられてしまった。
「俺と決闘しろ!」
・・・・・・ちょっと、展開が早すぎてついていけない。




