72話
控えめなノックをして少しすると、応答があった。
「なんだ? 用事か?」
「いや。クローディア様がお茶をって」
「あ~~~。断っといてくれ」
やっぱり、と半ば予想していたからさしたる驚きはない。もう慣れてしまったからしょうがないなぁ、という気持ちと一抹の寂しさがあるだけだ。
「来ればいいのに」
「忙しいんだ」
「夜にでもすればいいだろ?」
「そうはいかねぇよ。魔術の研究よかよっぽど厄介なんだからよ」
椅子に腰かけ、窓のほうを見ている横顔は、
「なんだ?」
「いや・・・・・・・・・・その、えっと・・・・・・・・・」
まずい。緊張してなにも離せなくなる。
「な、なにか手伝うことはないか!?」
「今んとこはねぇよ」
「そ、そうか・・・・・・・・・」
「「・・・・・・・・・・・・」」
意を決しておもいついた会話が終了した。
「クローディア様が君は最近優しすぎるから、なんだか不安だって」
「………」
問題が解決した。呪いを解いたというだけでなく、エリクの過去からのわだかまりについても前進したからだろう。魔術師という一線を越え、クローディアと向き合い、人を信じることをまたはじめたのだ。
「正直に言えばどうだい?」
「言えるか。恥ずかしいこと」
「愛しているんだろう? あの人のこと」
「………」
そうだと答えてくれ。そうすれば僕は。
いや、聞きたくない。だって僕は。
相反する希望が、直後直後に入れ替わりながら飛び出してしまいそうで口の中がまごつく。
「見ていれば、わかる。君は本当に優しくなったよ」
「どうだろうな。俺は今まで惚れた腫れたなんてことは一度もなかった。避けてきた。愛してるなんて真正面からぶつけられたこともねぇ………」
一線を引いていた。だが、いつの間にかかけがえのない存在になっていたんだろう。
「全部終わっちまってよ。そういうことを考えなくちゃあいけねぇなっておもってよ。そうすると、なんだ。あいつと一緒にいる時間も悪くねぇなって思ったりもすんだわ」
優しげな表情は、クローディアを思い浮かべているのか。胸が引き裂かれるようだ。
「だが、愛しているとかはっきり気持ちが定まってねぇ」
「なのに、クローディア様と体を重ねていたのか?」
「………お前からすれば許せねぇだろうけどよ」
以前までのシリウスだったら、許せないだろう。クローディアを体よく利用したと。だが、今は別の腹立たしさが芽生えている。
「まぁ、それは置いておくとして。いや、そのことも含めてだ。これからゆっくり考えていけばいい。時間はたくさんあるんだし」
「ああ。そうかもな………」
「だから――――」
「だからここから出ていかないでくれ」
え、と目を丸くしたエリクがシリウスに視線を定める。
「忙しいっていうのは、出ていく準備が忙しいということだろう?」
「お前………気づいていたのか?」
やっぱり。想像通りで呆れる気持ちと寂しさが。
「君には、今後も側にいてほしい。クローディア様は、これから大変になる。そんなとき、心から信頼できる人が必要だ。どんな形であれ、関係性であれ。心強いだろう。好きな人が側にいてくれるっていうのは」
すらすらと語っていることは、本心だ。だが、喋っているうちに嘘をついてしまっているみたいに、もやもやとする。
本心だが、全部ではない。
「………俺の役目は終わった。あいつはもう大丈夫だ。それに、皇子と同じ魔術師なんて得体のしれない存在がいたら、宮廷の奴らだって困っちまうだろ」
「それは………でも君はあの人とは違うって皆――」
「第一、身分が違いすぎらぁ」
ああ、そうか。
愛しているんだ。
気づいていないのかもしれないが、この男はクローディア様を愛している。だから自分のためではなく、相手をおもっていなくなろうとしている。
けど、だからこそ。
シリウスは苦しい。
「なにより、お前がいる」
「な、僕?」
「クローディアの呪いを解けたのは、お前がいたからだとおもってる。俺一人じゃできなかった。とっくに皆死んでただろうぜ」
「そ、そんなこと………」
「そうだ。お前は凄ぇよ。本当に。お前のおかげで俺は変われた」
「そ、そんなこと………」
「そんなお前があいつの側にいれば、大丈夫だろう。俺はそうおもってるぜ」
「!」
(う、わ………)
信じてくれている。
大切な人を託された。最大限の信頼の証に、胸が、心が震える。
(けど。けど。けど)
どうしてこんなに悲しいんだ。
どうしてこんなに切ないんだ。
どうして。どうしてどうして苦しくて――――。
「なんだ、そんな泣きそうなツラしやがって。お前は俺のことが嫌いだったんじゃねぇのか?」
「!」
「喜べよ。大切な主に付きまとってた悪い虫が消えるんだぜ? これで―――」
「あ、あ、あ………」
最初はそうだった。
だけど。いつしかエリクの過去を知って。本気でクローディア様を助けようとしていることを側で見て。助けてくれて。守ってくれて。
嫌悪感なんてもうどこにもなくて。
「あ」
ああ、そうか。
愛しているんだ。
僕はこの男を。
敬愛する主の恋人、もとい想い人に心を寄せている。男として生きなければいきるためにはあってはならない事実。だから否定した。気付かないままでいようとした。
だが、素直に認めてしまえば気持ちが楽になった。
「ぼ、僕………は………嫌いじゃない………」
今のシリウスにはそれが精いっぱいだった。
「光栄だな。それは」
「だ、だから、いてくれ。頼む………」
クローディアのためだけではない。
「僕も、君にいてほしい………」
「………」
いてほしい。僕の側に。
御願い。一緒にいて。
懇願を越えて祈りにすらなっている。
沈黙が、不安を掻きたてる。
「………まぁ、ここにいれば金には困らねぇしな」
心臓が跳ねた。
聞き間違いではないとたしかめたくて、また祈る。
「お前にも借りがあるし。他に行く宛もねぇし」
「うん、うん………」
「だけど、なぁ・・・・・・・・・」
「な、なんだ?」
「お前にも理由あるしなぁ・・・・・・・・・」
「え!?」
涙腺がジワ、と熱くなる。
「そ、それって僕が嫌いだからか!?」
呆れているように、愛でるように、まるで子供にするような優しいかんじで、頭に手を置かれると心臓が跳ねた。とくん、とくん、と幸せなリズムと心地よい熱っぽさ。触れられている手が、手つきが、心と頭を蕩けさせる。
そして、シリウスにまた実感させるのだ。
好きだ。愛してる、と。
全細胞の一切が雄叫びをあげ、気持ちを吐き出す衝動が芽生える。
「お前が女だからだよ!」
「うん………うん?」
ちょっと待てと。自分で涙と心にブレーキをかけた。
今なんて言った?
聞き逃してはいけないことを言わなかったか?
「おいエリク。今なんて?」
だめ、どうか違っていてくれ。嘘。嘘嘘嘘。どうか嘘であってくれ。
さっきとは違う形で祈りをはじめる。
「だから、お前女だろ?」
「は、」
なんで。どうして。いつ。え、やだ。
グルグルと頭がめまぐるしく回転し、
「はああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?!?!?」
※ここでクローディアの呪いがどのようなものだったか、何故解けたかの説明をエリクから。




