71話
一月が経った。
第二夫人が罰せられてすぐ皇子の悪事が衆目に晒され、帝国全土を騒がせた。王妃を殺め、皇女を暗殺しようとしていたことが明らかになると、例え帝族とはいて許されることではなかった。
皇位継承権は剥奪され、辛うじて命が無事だった皇子は牢獄に収監されている。
第二皇子が将来皇帝となることは決まったも同じだが、母親が宮廷からいなくなった彼に果たして味方するものはいるだろうか。
そして、シリウスも無関係ではなかった。
クローディアの呪いがとけた。
後遺症も残ることなく、奇麗さっぱりと。
修復された離宮での暮らしは、慎ましやかで穏やか。以前と同じではあるが、永遠ではないのだ。
現在宮廷では皇女であるクローディアを次期の帝位に就任させるのはどうかという声が挙っているらしい。歴史において、女性の皇帝などいなかったが、第二皇子は母親が原因で快くおもっていない者達も多い。将来的に第二皇子も母親のように、第一皇子のようになるのではないかと懸念しているのだ。
否応なく、クローディアの今後は変わってしまうだろう。政争に巻き込まれる。昔流れたという見合い、政略結婚もまたやり玉にあがるかもしれない。
「ねぇ、シリウス?」
だが、シリウスにはどうでもいい。なにがあってもクローディアを守るだけだ。
呪いがとけたのだ。
エリク曰く、クローディアの呪いは第一皇子によって強引に変えられてしまっていた。基礎となる魔法陣を書き換え、記憶を呼び覚ました。書き換えたことによって不安定になった呪いはクローディアの感情と合致し、クローディアそのものを呪いとし、瘴気を撒き散らす存在と化していた。
エリクが出した結論は難しいものだった。クローディアの感情と合致していた瘴気は、そのまま呑みこんでいたシリウスとエリクの願いを、心を、想いを伝える役割を果たした。その結果感情が収まり、消えたことで自ずと解けた。
そんな事象は今まで一度もなかった。論理的にも、魔術的にも。簡単な人間が持つ心が原因で呪いを解くなどということは。
そんなことは、どうでもいい。魔術のことはちんぷんかんぷんだ。一番重要なのはそこじゃない。
だって、クローディアは幸福なのだ。
苦しむことも己を責めることもない。
彼女が心から幸せに、安寧に過ごせるよう尽力するのみ。
「少し相談したいことがあるのだけれど」
「ご相談? 僕にですか?」
「ええ。お友達である貴方にしか相談できないことよ」
「ひゅほっっ!」
息がとまった。
引き攣った笑みと高揚感。気持ちが悪いとしかいえない反応は、ただ喜んでいるだけだが、クローディアには
「ひ、でゅひゅひゅ………お、お友達、友達………へへへ………」
「………聞いているの?」
「え、ええ……どぅふふ………もちろんでしゅとも………」
なによりシリウスとの過去を思い出したのだ。
今までと違って幼いときの友情を深めるように親しげに、距離を縮めて接してきてくれるのだ。それに、よく昔話をして過去を懐かしむことも増えている。こうして自分のことを友達と呼んでくれるのだ。
兄のことも、母のこともまだ彼女は忘れていないし癒えてはいない。だが、そのことを引け目に感じて生きていきはしないだろう。過去を振り返るということは、そういうことなのだ。
もしもそんなことになったとしても、自分が助けるのだ。
そうだ。例えどんなことがあっても変わらない。
(だって僕はクローディア様の友達で、騎士なんだ)
すべてが幸せだ。順風満帆で、当初思い描いていた離宮での暮らし、そのもの。
共と呼び、昔と同じように親しく、睦まじく接してくれるクローディアに、呪いの面影はどこにもない。少女だった頃の活発さと重い出来事を覚悟に変えた気高さが備わっている。
「最近エリクが優しすぎるの」
「………」
「昨夜も寝るまで私の頭を撫でて梳いてくれたし、腕枕もしてくれたのよ? 浴室に飛び込んでもそのまま受け入れられたし、私の話をきちんと聞いてくれているし」
「そ、そうですか………!」
「? どうしたの? 目と歯茎から血が出ているじゃない」
「いえ………お気になさらず………鍛錬です………」
とはいえ、敬愛するクローディアの惚気を聞かされるのは堪えがたいが。
「どうおもう?」
「それは、きっと自分の気持ちに素直になったのではないでしょうか」
相変わらず、喉か胸を掻きむしり、脳をぐちゃぐちゃにかき混ぜられているような不快感と憤怒、悲哀は増すばかりだ。
「よくそういう話を聞いています。あいつから。その、どういう態度をとればいいかわからない、と。今まではある意味一線を引いていた、と」
「一線………」
「ええ。ですが、諸々の問題は解決したのだからもう素直にしてみたらどうだい? と」
「素直………」
あのときのエリクの横顔。クローディアのためと言い聞かせながらアドバイスをしたが、胸がズキ、と痛くなったことも思い出した。
「そう………エリクは貴方にはなんでも話すのね」
「いえ、なんでも話すというわけでは………同じ男だからそういう話題を打ち明けやすいのでしょう」
「でも、前からおもっていたけどあなた達仲良くなりすぎじゃないかしら」
「!?」
なにかを探る胡乱な瞳。
「ご、ご心配なく! エリクはあなた以外なにも見えていません! 僕に嫉妬することは――」
「違うわ」
「へ?」
「貴方だけにじゃないの。エリクにも嫉妬しているのよ」
「え?」
「だって、私の一番のお友達と仲良くしているんだもの。お友達をとられたみたいじゃない」
「っ」
もじもじと全身が痒くなるような照れは、体温が上昇していくにつれて強くなる。
「そ、そうですか。エリクにも…………ん?」
「どうかしたの?」
「いえ」
(妙だな)
なんだか、クローディアの話に既視感があった。というよりも腑に落ちたというのだろうか。なんだか身に覚えがあって、自分も最近そういう気持ちになったような。
「失礼いたします。クローディア様。お茶とお菓子をお持ちいたしました」
「ご苦労様。それじゃあシリウス。カトレアとエリクを呼んできて」
「はい」
「今日のお菓子はなにかしら? ルッタ」
「はい。今日はマカロンを作りましたの」
すべてが順調にいっている。
幸福の渦中にいるはずなのに、なんだかクローディアの言葉が頭から離れない。
(嫉妬………クローディア様が僕とエリクに………うう~~~ん??)
「あら、シリウス。どうしたの?」
「お茶の時間です。姉上こそなにをなさっているのですか?」
カトレアの部屋に辿りついたときもモヤモヤとしていた。
「お母様からの手紙にどうしようかって悩んでいたのよ」
「手紙………母上からですか」
「そ。元々は第二夫人の晩餐会で人脈と殿方を見つけることが目的だったけど、良い人いなかったし。さっさと戻ってきなさいって叱られたわ。ぶぅ―――」
シリウスにも手紙が来た。
謝罪の文字が書き連ねてあったが、シリウスのことが誇らしいこと。そして、女に戻れというのは撤回する、自由に生きなさいと最後に添えてあった。
嬉しかったことは、姉には内緒だ。
「母上に頼んでお見合いをされてはいかがですか?」
「うううう~~~~ん………もっと運命的な出会いがいいのよねぇ~~~。それか若くて才能があってイケメンでなにか情熱とやる気を注げるものがあって性格よくて背が高くて私を甘やかしてくれる人」
「………」
そんな奴いねぇよ。
シリウスは心の底からおもったが口にしなかった。
「まぁ、最初はエリクでもいいかなっておもったけど」
「!? だ、ダメですダメ! ダメに決まってるでしょう!」
「あはは。わかりやすい反応。でも、大丈夫。諦めたから。私は人の好きな人をとるほどはしたなくなくてよ?」
「そ、そうですか………」
よかったと安堵した。いくら姉が変わり者で面白い出来事や非日常的なことが好きとはいえ、皇女殿下の想い人を奪おうなんて危ない真似は――
「だって大切な妹の好きな人なんだもの」
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………。
「ん? どういうことですか?」
「さぁ、今日はどんなお紅茶かしら~~~」
「ちょっと待ってください! 今の言葉の真意を!」
「え? そのままだけど?」
「へ、変なことを言わないでください! 冗談でも僕がエリクを好きだなんて!」
「え? なにが変なの?」
「だ、だ、だって………前に言いましたが! じゃあ姉上はどうしてそんなことを!?」
「だって貴方、エリクと一緒にいるとき女の子の反応してるじゃない」
「な!?」
「恋する乙女みたいな瞳で彼を見ているしよくもじもじしているし。私とエリクが話していると怒りながら泣きそうな顔になっているじゃない」
「そ、そんなこと―――」
「それって恥じらっているのよ。嫉妬してるってことでしょ」
「う、嘘だ………だって、そんな………」
だが、言われてみればいつもそうだった。
クローディアがエリクに心を奪われているという事実に苦しんでいただけではない。
エリクがクローディアと関係を持っているという事実にいつしか苦むようになった。
そして、さっき言われたクローディアの言葉。エリクにも嫉妬しているということも浮かんだ。
それは、クローディアのさっきの台詞とも重なる。
今までは想い人と仲良い騎士に嫉妬していたが、今はお友達と仲が良い想い人に嫉妬する。
それは、そのままシリウスにも当てはまらないか?
最初は敬愛するクローディアの愛を一身に受けるエリクが妬ましかったが、今はエリクが誰か自分ではない人と共にいることに苦悩するシリウス。
似ている。
もやもやが、晴れた。
「まさか、あなた気づいていなかったの? 自分の気持ちに?」
「………………………………………………………………………………………………」
(え、僕あいつのこと好きになってたの? いつ? なんで?)
え、え、え、と動転。段々と本当にそうなのか? と認めてしまいそうになる。ドキドキとした心地の良い鼓動。
「ふぅ~~~ん? ふぅぅ~~~ん? ほうほうほぉ~~~う?」
ニヤニヤとした意地の悪い笑みに嫌な予感がした。
「じゃあエリクがクローディア様ではない別の女性と愛を交わしていたら?」
「そんなこと……………………」
「イチャイチャと仲良くしていたら?」
「そ………れ………は………」
「体を重ねている場面を想像したら? 口づけをしていたら?」
「…………」
「嫌だったら、あなた。エリクが好きってことでしょ」
「………」
そうなのか?
そうだったのか?
(だけど………)
「あ、あいつは口が悪くて、自分のことしか考えていなくて」
けど、本当は優しい。クローディアとシリウスを助けるほどに。
「魔術のことしか頭になくて」
魔術の研究をしているときの真剣な眼差しは普段と違うくらい。
「女々しいところがあって、悩みや気にしていることを絶対に誰にも見せないんですよ! とんでもない負けず嫌いでへそ曲がりです!」
それだけ辛い過去があったのだ。人を簡単に信じられない。最近は改善の傾向にあるが――
「うわああああああああああああああああああああああああ!!??」
「慌ただしい子ねぇ。どうしたのよいきなり」
「なんでさっきから真逆なことがああああああああああああ!?」
悪い面を説明してどれだけ好きではないかと説明すればするほど、彼の良い面が浮かんでしまう。
「もう、素直に認めてしまいなさいな。そのほうが楽よ?」
「う、うう………でも、あいつは、クローディア様の想い人で………僕はクローディア様の騎士で、男としていなきゃいけなくて………それに………」
クローディアを裏切ることになる。
「とにかく。仮に僕があいつを好きなんて横恋慕なんて真似………」
己の騎士道を捻じ曲げることになる。
「そうねぇ。それはたしかに問題よ。でもね? 騎士であってもなんであっても、誰かを好きになることはいけないことなの?」
「っ」
「気持ちを一生かかえて隠していって、辛くならないと言い切れる? 嫌になることなんてない、こんな辛いのなら、あのとき告白だけでもしておけばよかった……って後悔しない?」
「…………」
「それに、なにがあるかわからないのだし」
(あ)
「そうか………そうですね………」
「ええ。もしかしたらクローディア様はエリクと別れることになるかもしれないでしょう? ただでさえ今皇位継承とか政略結婚の話が―――」
そうだ。
なにがあるかわからない。姉が言った未来は来るかどうかわからないが、別の予感があった。
だから、最後になってしまう前に。
せめて自分自身で、この気持ちの正体を見定めようと決めた。




