56話
昨晩、シリウスとカトレアが夫人の晩餐会に訪れて少し経ってから皇子の容態が悪化した。そのまま朝になるまで医師と薬師は手を尽くしたが、施しようはなく朝方に息を引き取った。
急な皇子の死に、宮廷内には箝口令が敷かれた。帝族と一部の者にしか知らされず、死の原因を調べることに躍起になり、秘密裏に騒然とした気配を漂わせているらしい。
知らせを聞いたクローディアは、最初信じられない状態だった。だが、詳細を聞いていくうちに感情が激しく波立ち、泣きだしてしまった。
「ああ、ああ・・・・・・・・・お兄様・・・・・・・・・」
今もルッタに付き添われ、自室に引き籠もり悲嘆に暮れている。シリウスとエリクは知らせに来た宮廷からの使者と話を詰めている。だが、シリウスもエリクも、やりせのない怒りと絶望感からとりとめのないやりとりしかできない。
皇子が死んだのは、呪いによるものだ。クローディアと、王妃にかけられていたのと同じものだった。しかし、当初の見立てではまだ命を落とす段階には至っていなかった。
妙な空気と距離を維持したまま、二人はやり場のない不安と徒労感、そして今後の展望についてそれぞれ吟味していた。重苦しいまでの沈黙に支配された二人の間には、先程お互いの命を奪い合うようなやりとりをしていた故の気まずさがある。
そして、クローディアはエリクとシリウスを側に寄せ付けない。二人に不信感を抱いているからだ。
「俺のせいだな」
「・・・・・・・・・」
「俺の認識が甘かった。どこかで他人事だった」
「・・・・・・・・・」
「お前の言うとおりだよ。シリウス。俺はこわがっていた。避けていたんだな。信じることも信じられることも。だから孤独を選んでいた。一人で生きていれば楽だったからな。なんも責任を持つ必要はねぇし。自分のことだけ考えていればいい」
「・・・・・・・・・」
「皇子のこともクローディアのことも考えているつもりだったが、一番は俺の身の安全だった。自分を守るために先延ばしにしていたツケだ」
いつになく素直に自身の非をこれでもかと並べ立てるエリクに憐憫と同情を覚えずにはいられない。胸が苦しくなるほど痛々しい有様だ。
「結局お前の言ったとおりだ。なにも間違っていない。俺が招いた。俺が皇子を死なせた」
「いや、まだだ」
「?」
「まだやり直せるよ。まだ終わっていない」
何故ならクローディアがいる。
まだ呪いを解いていない。兄を失い、悲嘆にくれている彼女を癒やし、守らなければいけない。皇子の分まで。
「考えてもみろ。皇子が急に亡くなった。呪いとはいえだ。それも、レイモンドを捕らえた後にだ。僕と姉上が宮廷から帰るときに襲われた。いくらなんでも、全部のタイミングがよすぎる」
そうだ。シリウスにはやるべきことがある。やらなければいけないことが。
「夫人が危機感を抱いて、皇子の呪いの影響を早めたんじゃないか。僕はそうおもう」
己を責めるより、懺悔するより、謝罪ズルより、許しを乞うより。そして己が男として生きるか女として生きるか考えるより。
「僕はクローディア様を守る。夫人を捕らえて罪を白日の下に晒して、裁く。そうじゃないと皇子も報われない。クローディア様も、今度こそ危ない」
そうではないと、自分が許せない。
「宮廷へいく」
事ここに至っては、それしかない。レイモンドと昨夜手に入れた証拠を皇帝陛下に見せれば、そして皇子の死の真相とあれば無碍にはされないだろう。
「あいつ、きっと罠張ってるんじゃねぇか?」
「だからどうした。四の五の言っていられない。刻一刻も惜しい」
「そうか・・・・・・・・・やっぱお前は凄ぇな」
「君はどうするんだ?」
「・・・・・・・・・」
「もしも来てくれないのなら、クローディア様の側にいてくれ。さっき呪いの瘴気が出ていた。すぐに消えたけどまたいつ発作がおこるか。それに夫人がここへまた誰かを差し向けないとも限らない」
「俺は―――――――・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「僕一人ではクローディア様の呪いを抑えられない。君にいてほしい」
本当は一緒に来てほしかった。どのようなことが待ち受けていようと、エリクはなんだかんだで頼りになるし心強い。
それに、彼が正体を明かしてくれればその分自分達に不利になる。
だが、あえてシリウスはそれを強要しなかった。
先程の闘争を引きずっているのではない。ただ、今のエリクには酷なんだと今はっきりと理解しただけだ。
闘争の最中にぶつけあった本音。そして痛々しいまでのしょぼくれた陰を纏った暗鬱な彼は。
「俺は・・・・・・・・・」
「もう行くよ」
答えを聞く前に、シリウスは歩み出す。
「待て」
立ち上がりかけたエリクに呼び止められたが、足は止まらない。蝶番を持ち、開きかけた扉が、急に閉じられた。エリクが後ろから扉を手でとめたのだ。
非難めいた衝動のままに、くるりと後ろをむく。おもった以上にエリクとの距離が近く、ともすればぶつかってしまうところだった。
「前から聞きたかった」
切羽詰まっているようだった。扉に伸ばされた手と距離のせいで逃げ場がなくなっているシリウスよりも。
追い詰められている人間の顔だ。
「どうしてお前はそこまでクローディアのために動ける? こわくないのか?」
「こわいさ・・・・・・・・・とっても・・・・・・・・・」
どけさせるために手の甲に掌をあてがう。僅かに震えているのに気づいて、胸が締めつけられる。
自分の恐怖よりも何倍も、何万倍もこわいことがあるのを知っているだけだ。
「大切な人が苦しめられている。なのに、なにもできないことのほうが、もっとこわい」
シリウスという名前を好きになり、自信を、幸せを与えてくれた。覚えてはいなくてもお友達と呼んでくれた。あのとき、初めてシリウスは産まれてきてよかったとおもったのだ。
騎士を志したとき。男として生きる強さを持てたとき。クローディアの側にいることができなかった。呪いに苦しめられているときも、なにも知らないでいた。只憧れの皇女に仕える日々を夢見て鍛錬に励んでいた。自分自身の無力さを嫌という程味わった。後悔した。
(もう、同じじゃない)
こんなときにこそ助けなければ、クローディアに対する誓いも、幼き交した友情も、自分自身のありとあらゆることのすべてが無意味になる。
なにより、一番は我慢ならないのだ。夫人が。
「だから、僕は今度こそ守る。例えこの命を失おうと」
「お前は・・・・・・・・・」
だらんと力が抜けた手が、ずるずると下がってくる。そのままシリウスの肩に、そして頬に触れる。
「本当に強いな・・・・・・・・・」
暫しの間、視線が交錯する。静けさと不思議と心が落ち着いてくる。
「貴方達、一体なんなのですか!?」
叫び声が響き渡り、穏やかな静寂が破られた。
「ここをどことお心得で!? 皇女殿下がおられるのですよ!」
離宮内に物騒な気配が満ちている。聞き慣れた鎧と剣の金属が擦れ合い、重々しくも規律のとれた足音。
「残念だが、わかった上でやってきているのだ」
さしものシリウスとエリクも、ただ事ではないと部屋を飛びだす。離宮のエントランスでは武装した騎士達で溢れかえっていた。騎士達の先頭にはルッタが立ちはだかっている。
「団長! いかがされましたか?!」
「シリウスか。どうもこうもない。エリクという男がここにいるな?」
「エリクがなにか?」
つい後ろにやると、険しい団長がずいっとルッタを押しのけるようにして前に出た。
「第一皇子殺害の容疑で逮捕する!」
「な!?」
「どういうことだ。なんで俺が――」
「第一皇子の側近が教えてくれた。貴様、皇子に薬を渡したな」
「・・・・・・・・・」
「それがなにか?」
「薬を調べたところ、毒の成分があることがわかったのだ! 薬を飲んだのちに皇子が亡くなった」
「ち、違います! その薬は――」
「貴様にも来てもらおう。シリウス。貴様が薬を渡したことは調べがついている」
一体なにがおこっているのか。
何故こんなことになっているのか。
「ち、違う! エリクじゃない!」
「言い訳は取り調べでじっくり聞いてやろう」
「すべては第二夫人が仕組んだことです! 証拠もある!」
「おい、連れていけ」
「待ってください団長! 以前相談したことを忘れたのですか!? あの女は――」
エリクとシリウスを、騎士達が取り囲む。必死の抵抗も虚しく、取り押さえられる。
「なにをするの!?」
「クローディア様!?」
ルッタに呼ばれたのか、クローディアから歓談から下りてくる。
「一体これはどういうこと!?」
「お初にお目にかかります。クローディア皇女殿下。しかしこれも皇帝陛下のご命令。皇女殿下。貴方のお抱え薬師には第一皇子殺害容疑がかかっているのですよ。証拠もあります」
「兄上が、嘘よそんなの!」
「そうです! 僕らは無実です! エリクが殺したのではありません!」
「ではそれを証明してみるといい」
「証明って・・・・・・・・・」
「団長、貴方もわかっているはずだ! レイモンドの傷を治したのも! 第一、何故エリクが皇子を殺さなければならないのですか!」
「エリク、という男だけの企てならば関係はないだろう?」
「は?」
「皇女殿下。貴方にもお尋ねしなければならないことがあるのです。よろしければ――」
(やられた!)
きっと第二夫人はこれを機にクローディアを、シリウスを、エリクを、邪魔な存在をすべて処理することを選んだのだろう。
罪をでっち上げ、陥れる。自身のしたことのすべてを隠したまま。
「エリク・・・・・・・・・私は・・・・・・・・・」
「どうかされましたか?」
苦しそうに喘ぎ、膝を屈したクローディアに、ハッと我に返る。
「いかん・・・・・・・・・」
「いけない! 離れて!」
彼女を中心に黒い靄、瘴気が滲み出ている。騎士達が途端に狼狽し、怪訝がりはじめた。
「なんだ、これは?」
「逃げろ!」
瘴気は、常人には過ぎたものだ。一度触れようものならこのような大勢がいる場で発生してしまえば、どれだけの被害が及ぶか。
「やっぱり俺のせいだな・・・・・・・・・」
「え?」
すぐ隣にいるエリクがなにか呟いた。そうおもった次の瞬間、火柱が巻き上がる。轟々と燃えあがる炎は巨大な渦潮のように回転し、騎士達を飲み込み、吹き飛ばす。あちこちに魔術の残滓が吹きすさび、混乱している騎士達を置き去りにエリクはクローディアの元へと急いだ。
「暴発しかけてる・・・・・・・・・おい、念のため俺の部屋から薬を持ってこい」
「あ、ああ!」
言われたとおり、エリクの部屋へと赴き見知っている薬の瓶をいくつか手に取ると急いで戻った。しかし、そのときには既に騎士達は立ち上がり、エリクへと襲いかかっている。
「エリク!」
エリクの容赦のない魔術による攻撃は騎士達だけを炙り、圧倒し、武具の類いの意味を灰燼に帰しているだけに留まらない。離宮内部の絢爛さを消失させ、破壊し尽くさんばかりの猛威を振っている。この世ならざる異質な力を目にしてきたが、ここまでくると自分が見聞きした魔術はほんの一部でしかなかったと肌に粟が生じる。
「き、奇っ怪な!」
「なんだこいつは!?」
「おい、増援を呼べ!」
まだ息の根がある騎士達が次々に叫ぶ。対するエリクは逃げる素振りもない。
あろうことか、エリクは魔術を衆目の前で使ったのだ。彼が頑なに拒んでいた魔術は、轟々と火の粉を激しく散らし騎士達の叫喚が上がっている。離宮の壁を、床を、天井を焦がし、辺り一面火の海だ。金具が溶けたのか、シャンデリアが落ちてきた。床に突き刺さり、ガラスの破片が容赦なく飛び散り、粉塵が舞う。クローディアを庇いつつもさながら戦地のような光景。
「シリウス! クローディアを連れて逃げろ!」
円球の火の玉が空中で無数に出現し、騎士達へと殺到していく。衝突した途端に鎧を突き破る。
「に、逃げろって君は!?」
近づこうとした途端、炎が走りエリクとの間を遮った。
「けじめはつけるぜ。あいつを連れて逃げろ」
「な、」
一体なにを言っているのか。
なにをしようとしているのか。
遮る炎が揺らぎ、エリクの背中が歪む。
「今更だが、悪かったな」
「どうするというんだ?!」
エリクはなにも答えない。只外から集まってくる騎士達に目をやり、更なる巨大な魔術を発動させる。
「あっちのほう、裏側には誰もいないはずだ。そっちから行け」
「お前はどうなる?!」
なにも答えない。新たに集結しつつある敵の気配へと注意を払っているのみで、こちらを向こうともしない。
「それと、お前に会えてよかった」
「っ」
胸をつかれた。
最後にこちらに見せた笑顔はどこか穏やかで、寂しそうで、なにかを覚悟したものに見えた。
「大切なことを、思い出させてもらった。じゃあな、子犬。俺みたいになるなよ」
「ま、待て」
伸ばした指の隙間から零れていくようにエリクが突っ込んでいく。
「きた!」
「第一小隊、第二小隊! かまええええ!」
轟音が鳴り響いた。けたたましい銃声。悲鳴。いつまでもやむことのない闘争。
「エリクウウウウウウ!!」
殺到する騎士達と交戦に入ったエリクの姿が、ちらりと映ったのを最後に、崩れた天井が落下し瓦礫の山となった。そこからも火の手が上がり、喉が焼けそうな熱波に包まれる。
「逃げろ!!」
耳朶を打った。
「クローディアを守れ! いけええええええええええええええええええええええええええええええ!!」
もう、エリクの声が聞き取れなかった。




