10.突撃☆海底の竜の穴
そして、問題の洞窟前である。
近隣の町でわざわざ話を聞き込むまでもなく、洞窟のことは噂になっていた。
曰く、「最近あのあたり魔物が多くて……」
曰く、「ドラゴンの目撃情報が」
曰く、「女の人の声がする」
「いやもうちょっと隠せよ、って思うじゃん?」
森の中の街道を歩きながらぶつぶつ言うと、カシェルが「楽でいいじゃないですか」と呆れたように返す。
楽なのはいいけれど、どうにも罠か落とし穴がありそうで嫌なだけなのだ。
誘われてるみたいな気持ちになるし。
「大丈夫です師匠! 何かあっても返り討ちにします!」
「うん、そこはあんまり心配してないよ」
ゴオレムに傷こそ負わせられなかったけれど、私とカシェルのフォローありとはいえ半日近く継戦しても平気なうえにあのゴオレムパンチを食らっても立ち上がれる耐久力のあるゴリラに育ったテル坊だ。戦闘に関する心配事は何もない。
心配なのは、戦闘以外の落とし穴があるんじゃないかと思えてくることだ。
何しろ、私は伝説編以外のシリーズ各編はめちゃくちゃうろ覚えである。
攻略に必要なアイテムとか見逃していそうで――
「あ」
「何ですか?」
思わず漏らした声に、カシェルとテル坊が注目する。
「なんか必須アイテムがあった気がする」
「必須アイテム?」
「お姫様を助けるのに、何か必要なんですか?」
「ちょっと待って、思い出す……思い出……あ、無理だわ」
は? という顔でカシェルの眉が寄る。テル坊は首を傾げるだけだ。ガリルーは私の言葉の続きを待っているらしい。
「ええと、前回アベちゃんの時に、本当ならアベちゃんがなんか残してるのよ。勇者の証的なやつ」
「ゴリラの剣じゃなくてですか?」
テル坊が、これこそ勇者の証じゃないのかと剣を掲げる。
心なしか、剣がドヤ顔している絵が浮かぶ。
「うん。でもさ、アベちゃんそんなもの残す間もなくあっという間に帰っちゃったじゃん? それで、私もそんなの用意してなかったなあと思って」
「――では、今からその証はカステルのゴリラの剣ということでいいのではないですか? それに、カステルはもう十分鍛えているんでしょう。証になんて頼らずとも、なんとかなるのでは? あの女神の介入もないのですし」
「たしかにそうなんだけど、なるべく不安材料は減らしておきたかったなと」
ガリルーが「何の話でしょう?」と私を見るが、私をそれを無視して続ける。
「カシェルの言うとおり、パワーで押せば勝てるとは思うから……その証で何かあるのかって言われても、私も覚えてないくらいにはなんとかなるのかなと思うし」
「なら、今考えてもしかたありませんね」
カシェルの言葉に、私もそれもそうかと考え直す。
忘れてしまったものは仕方ない。
「ともあれ、今はお姫様に集中か」
問題の洞窟の入り口……つまり海底トンネルの入り口を見つめた。
* * *
トンネルへの侵入はなんとかなった。
なんとかならないわけはないのだ。「魔物が多くなった」と言われつつも、南北の大陸を結ぶ交通の要所として現在も絶賛使用中なのだから。
むしろ、横穴があるとはいえなぜこんな往来の激しい場所を巣穴にしようと思ったんだと、ドラゴンに問いたいくらいである。
場所の選定センス、なさすぎやしないかと。
海底トンネルの長さは、片道で一日もかからない程度である。
前世の単位で言えば、十五から二十キロメートルくらいだろう。ゆえに、海峡自体はもっと狭いはずだ。そもそも小舟で渡れるくらいだし。
そのトンネルにある横穴を、片っ端から調べながら進んでいく。
ドラゴンなんて生き物が出入りしているんだから、あからさまな痕跡が残っているはずだ。残っていなければ、巣穴は別な場所ということになる。
「たぶん、この穴かな……」
それほど念入りに探す必要もなく、目当ての横穴は見つかった。
トンネルの半ば、おおよそ中間地点付近だろう。海の底っていうやつだ。
「ほぼ間違いないでしょうね」
カシェルも、横穴の痕跡を眺めながら頷く。
ガリルーにもテル坊にも異論はないようだ。
「まー、こんだけ足跡だの何だのって残ってたら、ねえ」
その横穴付近、均されたはずの地面はドラゴンが自重でデコボコにしているし、ドラゴンの身体がぶつかった壁やらも一部が崩れたり欠けたりしている。
こうもあからさまにしているのは、「ドラゴンがここにいる」とわかっていて侵入するような命知らずなんていないからだろう。
普通ならもっと痕跡を隠すはずだ。
「ドラゴンはだいたい自信家ですから」
ガリルーがにっこにこしながら奥を覗き込んだ。怖くないのだろうか。
「伝説の勇者の子孫とドラゴンの戦い……わくわくします。今まさに伝説が生まれる瞬間なのだと思うと、たまらないですね」
「竪琴ならすのはやめてね」
今にも歌い出しそうなガリルーを牽制して、私は前に出た。
「ここからは慎重に、本気出して行こう。
私が先行するから、みんなは少し離れて付いてきてね」
「任せました」
「はい、師匠!」
皆の返答に頷くと、私は暗い横穴に踏み込んですいすいと奥へ進んだ。もちろん、音を立てるような間抜けはしない。最小限の明かりを持った三人は、その少し後ろ、数十メートルほど後をついてくる。
これだけ距離を開ければ、三人の鎧が軋む音すら届かない。
私とカシェルだけなら音は立たないし明かりもいらないのだが、テル坊とガリルーが一緒なのだ。人間である以上、暗闇じゃ目が利かない。どんなに気をつけたところでエルフのように音を立てずに歩くことも難しい。
エルフじゃないのだからしかたない。
地面の痕跡やら物音やらに注意しつつ、私たちはゆっくりと進んでいく。
もっと魔物がたくさんいて行く手を阻むものだと思っていたのだが、そうでもないのは意外だった。同じ魔王に仕える魔物仲間とはいっても、ドラゴンとそれ以外では格が違うから仲良くなんかしない、ということなのか。
少し進んで先を確認して、安全を確保したら後ろの三人に来るよう合図を出して――そんなことを繰り返しつつ進むうちに、あたりの様子が変わったことに気がついた。
なんというか、やけに整備されているというか……私は三人が来るのを待って、「どう思う?」と意見を求める。
「ずいぶんかわいい装飾ですね。二十年ほど前に流行った様式のように見えますが」
文化に精通したガリルーが、花模様の装飾彫刻を感心したように撫でる。
「緻密で繊細なのにどこか力強くて……ドワーフ職人の手による彫刻のようですね」
「やっぱそう?」
カシェルも壁を不思議そうに眺めながら首をひねった。この先にあるのはドラゴンの巣穴のはずなのに、なんでこんなにかわいいのか。
「こんな穴蔵の奥でみっちり細かく装飾する職人とか、ドワーフ族以外にいなさそうだよね。しかも、めちゃくちゃ綺麗でそろってるし」
「もしかしてここはハズレってことですか?」
だったらお姫様はどこにと、テル坊も不安げな表情になる。
ここに来てまさかのハズレなんて予想もしていなかったという顔だ。
「でもさ、痕跡はたしかにあるんだよ」
「ドワーフの作った場所を奪ったのかもしれませんよ」
「ああ、たしかに、ドラゴンならそれもあるか」
地面の凹みを示しながら考え込む私に、ガリルーが言う。この世界でも、ドワーフの作った地中都市をドラゴンが奪うという事件はありがちらしい。
「とりあえず、最奥まで確認して本当に外れてたら、他の穴を当たってみよう」
点々と奥に向かう地面の凹みを目でたどって、私は軽く眉を寄せてみせた。
「あたしもう自信なくしそう」
「そんな、いけませんわ、グリトラ様」
そろそろ最奥かという奥のどん詰まりに明かりが見えて、よかったこれで何かしらの情報が得られるぞとほっとした私の耳が、話し声を拾った。
ひとつは低く獣の唸るような響きの声。
もうひとつはたおやかな人間らしい女性の声だ。
私は後ろの三人に止まるように合図をした後、さらに耳を澄ます。
「だって、ハリ様ったら全然話をきいてくれないんだもの」
「そんなことをおっしゃらないで。グリトラ様のお心はきっと通じてます。どうか愛を諦めないでくださいませ」
――愛? え? 何の話?
「最近は、あたしに会うことも避けてるみたいだし」
「もっとやり方を考えましょう? わたくしも一緒に考えますわ」
「でも、これ以上どうしたらいいのかわからないの」
「弱気になってはだめですわ。愛は戦いで勝ち取るものでもあるのだと、ものの本にも書かれていましたもの」
マジで何の話をしているのだろう。
ここはドラゴンの巣穴ではなかったということか。
「――サーリス、どうしましたか?」
「いや、その……なんか、ここ、違うかもっていうか」
困惑して止まったまま動かない私に、何事かとカシェルが寄ってきた。
他の二人は後ろにとどまったままだ。
「違う? 何か聞こえた――」
「――そこにいるのは誰!?」
私とカシェルのぼそぼそ話の気配を気づかれたらしい。
鋭い吠え声を伴う誰何の声にしまったと思うが、時はすでに遅かった。





